兄と呼ばれて天にも昇れ
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――と、いうわけで。
まあ、父の思惑がなんであれ、来てしまったものはしょうがない。それはいい、もうこの際構わないとしよう。だが、だがそれでも、だ。ノワールは屋敷の広間できつく顰めた眉間に人差し指を立てながら、そこに並んだ馬鹿者ふたりに物申さざる得ないわけで。
なにを、それは。
「とりあえず着替えろ、何を考えてるんだ貴様らは。馬鹿なのか、馬鹿こじらせずぎてそろそろ死ぬのか?」
着てしまったものについては情状酌量の余地などない、ということであって。なので即刻脱げ、とノワールは命ずるが。
「うっさいなあ。だってグレイッシュ将軍が、コレ着て行かなきゃ即時銃殺っていうんだもの。まあ、私と犬は反乱軍に顔割れちゃってるし、変装の意味合いもあったんでしょうけどね。じゃなきゃ、誰が好き好んでこんなの。ねえ、犬」
ブランシュは本当に不本意だったらしく、すぐに文句を漏らしながらも持ち込んだ大きなアタッシュケースから着替えを取り出し始める。だが、
「え、脱がなきゃダメなのかノワール」
「……え?」
「え?」
片や名残惜しそうに、ヴェルメイユは眉を下げてみせて……え? ノワールとブランシュは、揃って言葉を失って。着てたいのか、そのままがいいのか、それでいいのか親友。ふたりとも言いたいことは、言葉になってはくれなくて。しかし、
「おふたりとも、すごくお似合いですね……あの、大佐さん。これは、わたしも着たほうがいいのでしょうか?」
便乗、でもないが。なぜか小首傾げたリリィベルはそんなことを言い始めて……やれやれ、この天使ときたら……そんなの、そんなもの――
「だめ、でしょうか?」
「ぜぜぜぜぜぜぜひっ! お願いしようかっ!」
――即答、からのブレーキを失ったノワールの妄想が凄まじい勢いで加速する。メイド服を纏ったリリィベルさん……なんだそれは、幸せそのものじゃないか。可愛くないわけがない、可愛いはずでしかないじゃないか! 押し上げた眼鏡が、動揺からくる指の震えでカチャカチャ音を鳴らす。
なにそれ見たい、超見たい。このふたりのメイド姿などに一切興味はないが、リリィベルさんなら話は別だ、別腹だ。では、と言いながら着替えようとするリリィベルへノワールは食い入るように、一歩前に出る、が。
「ノワールキモいわよ。ねえリリィ、隣の部屋で着替えるから手伝ってくれない?」
「あ、はい。お手伝いします」
「なんだと!?」
叫ぶも声は虚しく空を切り……期待を裏切られ、踏み出した足に会わせる様にリリィベルはブランシュに呼ばれて隣の部屋へと行ってしまって。
あああ、と手を伸ばしたままで床に膝から折れたノワールの肩を、ポンッ、とヴェルメイユが叩いて。振り向けば、そこには鬱陶しいほどに爽やかな笑顔が輝いて。
「……すまないな、ノワール。せめて俺のメイド姿で我慢してくれ」
「なるほど、よほど死にたいと見える」
ノワールは即座に胸元から取り出した銃を、メイド服着込んではしゃぐヴェルメイユの胸倉掴んで引き寄せて、その眉間に銃口を抉らんばかりに突きつけてやって。
「ははは、なにを怒っているんだ? 俺的には、かなりイケてると思うんだが?」
「よーし、死ね。弾倉が空になるまでぶち込んでやろう」
この馬鹿犬は、どうやら死にたいらしい。ならば容赦なし、残念だがこの男との長い付き合いにメイド服でピリオドを打ってやろうか、と。引き金にかけた指を、引き絞ろうとした瞬間。
「ねえ、ノワール。そういえばさ」
「なんだ、いま忙しい!」
ガチャっと隣の部屋のドアが開いて、顔だけひょっこり覗かせたブランシュが声をかけてきて。もう殺す、すぐ殺す、とりあえず殺す。な、ノワールががなるように返事を返せば。ブランシュは、部屋の中と外を交互に見ながら、んー? と唸って。
「なんでリリィ、髪真っ黒なの?」
今更すぎる質問を、投げかけてきて……いや本当、今更過ぎるだろう。なんで初見で気付かなかったんだ、と。ノワールは思わずがくっと力が抜けて。
「ああ、もしかしてこれも変装? ノワールの妹的な設定なのかしら」
「……好きにとればいい。それに関しては、説明すると長くな、」
「リリィー! ちょっとちょっと!」
「おい、話を振ったならこちらの話も聞け!」
こちらの返事もろくに聞こうともせず、ブランシュはまた部屋の中へと顔を引っ込めてしまって。なにやらよく聞こえないが、リリィベルと何事かを話しているような声だけがかすかに聞こえてきて。
「……まあ、いいか。さて、待たせたなヴェルメイユ。死ね」
「はははっ、目がマジだぞノワール」
「心配するな、貴様の言葉ではないが私もいつだって本気だぞ」
どちらの意味でも待ってやる必要なし、再度引き金を絞ろうと指に力を込めた――その時。
「ノワール、ちょっとちょっと」
ポンポン、と肩を叩かれて、勢い良く振り返れば――
「ええい、またか! だからいったいなんだと――」
――いつの間にかそこにいたのは、なぜか照れたような表情で軽く握った拳を口元に当てたリリィベルの姿であって。な、なんなのだ本当に……思考出来たのはコンマ数秒。そして3,2,1、はい。
「……ノワール、おにいちゃん」
パアンッ!! と、リリィベルの恥ずかしがったような台詞が聞こえたと同時に、花火のように高く高く眼鏡が飛び散って。勢い余って、引き金にかけた指がスライドして、
「おわあっ!」
パアン……乾いた似たような音が響いて、咄嗟に避けたヴェルメイユが床に転がる。そして、ノワールの手からずるり、銃が落ちた後は。
「……ノワール、真っ白になって動かないんだが」
「本当、しかも口からなんか出てるわね。白い、魂的なものが」
「うぅ……恥ずかしいです」
「まあ、リリィちゃんも顔から似たようなの出てるし問題ないだろう」
「湯気と魂の質量って、同じなのかしらね……」
三人に見つめられながら、静かな灰になっていって――そのまま風に乗って消え行く中、ノワールは思った。思っていたのは、ただ。
ヴェルメイユ、大股開くな、見苦しい。
そうしてノワールは今までで一番耳が幸せで、一番目が不幸せな死出の旅路へと出発したのだった。
――場所は新たに戻った日常。嬉しくないは嘘であり、そしてまた真実でもあるのだった。