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みんな一緒でもいいんです。



   ***



 思えば初めて見た瞬間に、心奪われたものはあの金糸のように美しい髪だった。と、ノワールは述懐じゅっかいする。一目でこの心は、釘付けにされたものだ、と。以来、奪うつもりが奪われ続けていたものだな、と。


 自身が名の通りに黒く深い色であった故に、それはあまりにも眩しく輝き煌いていた。薄ら暗い地下牢であってさえ、いや最初の出会いがそこだったこともあり。さながら暗闇に浮かぶ月の様だとすら思った。


 それは羨望からくる過剰な美化、であったかもしれない……だが、それ程に、それでも足りないくらいに。ため息が出るほどに、本当に本当に彼女の金色の髪は美しかった。と、そんな割と近しい時間の思い出話に成り下がったものを思い出しながら。


「……私は、君の髪色が好きだったのだがな」


 淡い陽光降り注ぐ深い森の中、屋敷の外周を囲むように広がる庭園で。そこに設えられた白いベンチに腰掛けながらノワールは呟く。過去形になった言葉を、しみじみと呟いて、そして眺めていた。


「……でもわたしは、この髪の色をとても気に入っていますよ?」


 そよぐ風に、柔らかな声が乗る。庭園彩るゆらゆらと揺れ踊る純白の花たちのその中で、黒の大きなリボンが腰元に添えられた、咲く花々と同じく穢れのない白いドレス姿が振り返る。合わせた様に長い髪が、弾むようにふわり、羽のように広がって――


「……それに黒は、あなたと同じ色ですから」


 ――黒髪をなびかせて、花びら舞う中リリィベルは笑ってみせて。お嫌いですか……? そんな頼りない言葉に、ノワールは笑って首を振って。


「いいや、別に責めてるわけじゃないさ。よく、似合っているよ」


「……本当、ですか?」


「ああ、本当に。今の君は、とても、」


 とても、綺麗だ、と素直に思えた。


 庭園に佇むその姿は、吹く風になびく黒髪は。黒い羽で羽ばたく天使にもノワールは見えていた。そしてそれ以上に……失った金色を嘆くつもりが、いつの間にやら。清廉に輝くその長い黒髪をただ、黒により映える両の眼の青さを……ただ、美しいと。また薄く浮かべた笑みが知らずに漏れて。


「朱に交われば、赤になる。それは黒であっても、同じことなのかもしれないな」


「……?」


「独り言さ、気にするな」


 ――結局彼女はどうしても、どうあっても、この心を奪ってしまうのだろう。だとすれば染めたのは、自分の色だとしても。染められたのは、果たしてどちらだったのだろうか? なんて。


 考えたところで答えなど出るはずもない問答を頭の中で思い、ノワールは空を仰いで瞼を落とす。背もたれに両手を広げて預け、脚も開け広げ。そのまますべてが彼女と自分と同じ色。


 閉じた先、真っ暗で真っ黒な世界に身を預け。静かに繰り返す呼吸の中で感じるのは、木々の青い香り、花の甘い香りと。頬撫でる風の感触だけだった。沈むように静かな、時間。だが、そんな世界の中であっても。


「……少しだけ、いいですか?」


 一際響くのは、いつだってこの声であって。


 瞼を上げて見やれば、そこには開け広げた脚のスペースに収まるようにちょこんと座ったリリィベルの後ろ姿で。艶やかな黒髪が、すぐ鼻先で零れるように揺れていて。身を預けるように、少しだけその背が胸元に寄りかかってきて。


「……今日の君は随分と、甘えたがりだな」


「かも、しれません。……ご迷惑、でしょうか?」


「……そんなことは、ないさ。ただ、そんな寂しがりの猫のような君を、少し不思議に思っただけさ」


 そう言ったノワールに、リリィベルの笑い声。形のよいつむじが、くすくすと笑う動きに合わせて小さく揺れて。


「……ふたりきりなのは、今日で最後ですから。だから、今日だけは、こうしてみようと思ったんです」


 顔は、見えなかった。けれど、とても嬉しそうなそんな声が聞こえて。


 だけど普段とは違い、自分から擦り寄るようにしてきたリリィベルのことを。嫌ではなかったが、胸元の確かな温もり、リリィベルの体温に鼓動は否応なく早まって。ノワールは声に頷きながらもその髪に触れつつ、この鼓動が伝わらぬようにと誤魔化すように。


「……そ、そういえば、そうか。メイドが来るのは、今日だったか」


 話題転換、思い出したようなとぼけた声で言って……そうか、そうだった。今日、これからふたりほど父が送るといっていたメイドがこの屋敷にやって来ることになっていた。


 そもそもこうして庭園に出ていたのも、ただリリィベルと散歩を楽しむためではない。そのふたりが迷わぬように、見つけられるようにと。そのためであったわけで。ノワールは、ちらり腕にはめた時計に視線を落とし。


「ふむ……そろそろ到着の時刻か」


 言いながらも……チッ、と。軽く舌打ち。ノワールはまたリリィベルの髪を撫でて。


 ――ふたりきりなのは、今日で最後、か。先ほどのリリィベルの言葉を反芻し、しかしそう思えばそれがひどくもったいない様に感じてきてしまって。


「……メイドなど、不要だ」


 不満が、口を突く。だってこの父の気遣いは、とてもありがたい。子を思う親の気持ちに、感謝している。それは本当なのだけれども、だからこそリリィベルとこのままふたりきりでずっと暮らしたくとも、メイドの件を断れないという理由でもあるわけで。


 だいたい、メイドなんていなくたってなにも困らないのだ、実際。家事一切はすべてノワールがそんじょそこらの女子よりパーフェクトにこなせるし、屋敷と庭園の管理だって抜けはない。日々の食事に関しても、この腕前は自他共に知るとおりだし。


 つまり、自分さえいればこと生活という面においてはなんの問題もない、というわけであって。むしろ来られても邪魔なだけで――と、そこまで考えたところで、ノワールは「む、そうか」と閃いて。


「……いっそ、難癖つけて追い返すか」


 そうだ、そうするか……くくく、と。不適な笑みがべったりと浮かんで。そうだ、それがいいではないか。だってリリィベルさんもふたりきりがいいと仰っていたし、これはつまりリリィベルさんの望みそのものではないか。


 ならば、前日涙させてしまった侘びとして、彼女の願いを叶える義務が自分にはあるはずだ。それに、それにだ。黒髪ショックもあって後回しになってはいるけれど、ノワールは実はまだ、彼女には話せていない大切な話だってあるのだ。


 ならば、これからゆっくりとふたりきり。その大切な話をするのになお更に他者は不要なはずだ。と、勝手に理由付けしてノワールは頷いて。


「君は、どう思う?」


 一応、リリィベルにも確認してみる。そっと後ろから覗き込むようにして、横顔に問いかけてみる――が、そこにあったのは。


「……すう」


「!?」


 安らかに、無防備な天使の寝顔、再び。しかも今回は、自分のお膝の上バージョンだった。


 くったりと、完璧に身体を預け切って。半開きの唇からは、うっすら涎まで垂れてるほどの熟睡なリリィベルさんが、この眼鏡を突き破って瞳の中に飛び込んできて……「グハッ!」と久しぶり、パリンッ! と眼鏡が逝って。続いて血反吐、噴出して。


「……んう、大佐さん」


「げはっ! 寝言まで可愛い……!」


 更に致命打、心臓に打ち込まれて――このままでは、殺される! 可愛さに、殺されてしまう! 身を捩り、逃れようとする。が、少し動いただけで、「んうー……」不満そうな声。徐々に落ちた小さな身体は、ぴっとり張り付くみたいに膝の上へと移動して。きゅっと、服を掴まれて。


「……逃げ場が、ない!」


 両手をあわあわとさせて、しかしどうにもならなくなって。先ほどまでふたりきりがいいと、そのための邪魔者排除まで考えていたくせに手のひら返し。思わず誰か、誰か助けてくれ! と願えば。


 そこに、現れたのは。


「……なに、してんの?」


「なっ!?」


 白い髪、赤い瞳。小柄で華奢な、見慣れた妖精のように可愛らしい少女の姿と。


「はははっ、なんだお楽しみ中だったのか」


「ななっ!?」


 大柄な体躯と、燃えるような朱色の髪。人懐っこい犬のような、無邪気な笑顔の男であって……それは、そのふたりは間違いなく、間違いなく。ノワールは身動きできぬままに、叫ぶ。なにを、そりゃあ、


「どうだ、ノワール? 俺、似合ってるか?」


「……メ、メイド服姿の変態がやってきたー!」


 で、あって。これは中身と外見、それぞれの意味であって……メイド服姿のふたりに放ったノワールの叫びが、深い森の中いつまでもいつまでも木霊し続けたことは――言うまでもないことか。



 ――ほら、笑いなさいよ? 笑ってない顔でそう言われた時ひとは、絶対に笑うことは出来はしない。

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