ハッピーエンドはまだ遠く
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割愛――それはすべてを省略することの出来る魔法の言葉。もしそれを説明しろと言われれば、正しい用法を、例を挙げてみろと言われたならばノワールは。
この滲むように沈む夕暮れの中で武装した数百名の反帝国思想の組織と真っ向から退治した廃墟群にて、一触即発の戦場においてこのように使うだろう。
「くくく、よく来たなノワール大佐。私は反帝国主義思想の者たちを束ねる者。名は、」
「第一部隊、一斉射撃開始」
「え、ちょっ……」
――割愛する、遠くから偉そうにふんぞり返って拡声器で叫ぶやつの名を。砲身から鉛球のはじき出される音、無数に。飛び上がる薬きょうの金属音、踏みつけ途切れぬ足音と共に大地に鈴の音のように響く。
「ま、ま、ま、待て待て待てっ! いいか、私の策略によって貴様らの背後にはすでに反乱軍共が進軍してい、」
「第二部隊、砲撃開始。続いてヴェルメイユ、ゴー!」
「よしきた!」
「ちょっ、せめて名乗らせ、って、いきなり砲撃は……うわああああっ、なんか素手で突撃してくる馬鹿もきた!?」
――割愛する、やつの企みを謀り事を。銃弾の隙間を縫って、腕っ節だけで戦果を積み上げ大佐になった赤毛の犬がすべてをなぎ倒す。振るう拳は、一振り三人計算。馬鹿みたいな無邪気な笑顔で暴れる馬鹿の力、略して馬鹿力。その目に立つもの皆叩きつけられ、吹き飛び、それをかわしたところで蜂の巣に。敵の前面が、数分もせずに壊滅したのを確認して。
「だから、話を聞け! いいか? すでに貴様らは袋の鼠なのだ! どれだけ我らを殺そうとも、もうじき反乱軍が貴様を殺しにやってくる! しかもこちらには人質が、」
「第三、第四歩兵隊突撃開始。戦車隊は後方への砲撃を緩めるな。あとブランシュ、この隙に内部へと小隊をただちに潜入させろ。目標は言わずもがな、私が彼女に辿り着くための道、そこまでの眼前の敵はすべて排除させろ」
「はいはい、もうとっくに潜入済み。というか、指示遅いわよ。すでに廃墟内の潜伏してた輩は殲滅済み。ついでに爆薬も各所にセットさせたわ。ふふんっ、つまりリリィへの道は五分前には確保済みよ」
「毎度そのドヤ顔は心底鬱陶しいがパーフェクトだ、ブランシュ。では、私も向かうとしよう!」
――さらにはブランシュの無駄のない策略が光る。もう、こいつらのことで話すことなどない。すべてを割愛、割愛、割愛、割愛。軍服を翻して車両から飛び降りたノワールは、黒に踏みにじられて転がる無数の屍の道を悠々と歩いていって。その真ん中で、へたり込むように拡声器片手で震える男の前で。
「ば、馬鹿な! こんな簡単に我らが、」
「なんだ貴様、さっきからきゃんきゃん五月蝿いぞ。ついでに邪魔だ」
カチャッと胸元から銃を出して、鬱陶しそうな顔で引き金に指をかけ。
「私は、貴様などに用はない」
「じゃ、邪魔とはなんだ! だったらいったい、ここになにしにきたのだ!」
「ただの似合わない人助けさ。というかところで貴様、いったい誰なのだ?」
「んがっ! だから、私こそが――あんっ」
パン――と、乾いた音。額に鉛をぶち込んで、「リリィベルさんが待っているのだ」と返り血を丁寧にハンカチで拭ったノワールによってそいつは軽く蹴り飛ばされて。結局なにが言いたかったのか、なにがしたかったのか。それすらすべて割愛したのでもはや知る由もなく――はい、これがノワールの割愛術というわけで。ついでに割りと大事だった戦闘は、ものの十数分で決着となって。
と、そんなことはともかくとして。ここからが本題。そう、ノワールにとって大切なのはここからであって。
「……もうすぐだ、もうすぐなのだ」
そのためであり、そのためだけなのだ。
銃を胸元にしまいながらゆっくりと、先ほど打ち抜いた男になど目もくれずノワールは進む。ブーツを乾いた地面に打っては鳴らし、踏みしめるように、確かめるように進んで行き。廃屋のひとつ、その扉の前で立ち止まり考えることは、たったひとつ。
ノワールは、砂埃舞う中で眼鏡を押し上げる。くくく、と湧き上がる高揚感からの笑みを漏らし、そして。
「……今すぐに、捕らえてやるさ」
もう一度、再び君をこの手に――扉を、蹴り開ける。そのまま屋内へと走り込めば、眼前には地下への古びた階段。この先だ、ここを越えれば、また君を……急いた心で勢い良くそれを下っていく。が、その最中に突然。
「ぬあっ!?」
屋外で大きな振動、衝撃でぐらり揺れたことでよろけ、パラパラと細かい瓦礫が降る中で壁に手をつき振り返れば。
「て、敵襲―っ!」
聞こえたのは、ひどく張り詰めたそんな声。どうやら殲滅した敵とは別に、何者かが部隊を襲ったようで――しかしそれが何者でなんのために襲ってきたのかは、その大体の予想はノワールは瞬時についた。それがどれだけ不味い相手かも、わかっていた。予想はしていた。
同時に、肩につけた無線機から途切れ途切れにブランシュの声がして。
『ノワール、大変……反乱軍、――襲撃して……背後を――』
だがノワールは、チッ! と舌打ちを打ち、そのまま地下へと走り出す。戻らなければ部隊が危険だとは知りつつも、それでもノワールは踵を返すことなく階段を下っていき、大声で。
「――リリィベル、どこにいるのだ!?」
それらすべてよりも優先される、たったひとりの名を叫ぶ。そして、そしてそして、
「……大佐さん! ……ノワールさん!」
「……そこかっ!」
鳴り響く轟音の中で聞こえた声、聞き逃さず。さらに揺れが増す中で、それでもノワールは一直線に駆ける。下りきった先、伸びた薄暗い地下道。並ぶ錆びた牢の、そのひとつで。伸ばされた真っ白で細い、助けを求めるようなその手を、一目散に駆け寄って掴んで。
「……見つけた!」
「大佐さん!」
握り返され、確かに繋がって。そうして急ぎ錠を破壊し、飛び出した、涙をいっぱいに浮かべたリリィベルを抱きとめて。
「……あまり、心配をかけないでくれ」
「……ごめんなさい」
抱き締めながら、涙伝うその顔を見ながらノワールは、む、むう、なんて柔らかい……違う、そんな場合じゃない。ともかくしっかりとその小さな身体を包みこんで。
――言いたいことは、まだ山ほどある。聞きたいことも、沢山ある。だが、それよりもまずは、まずは。再会を喜び合う間もなく、その身体を引き離して。
「……恐らく君の母君が、攻めてきている。ともかくすぐに、逃げるぞ」
「え……?」
「割愛だ、訳はあとで話す!」
「ひゃっ?」
驚くリリィベルを両腕でしっかりと抱き上げて、まるで姫を救いだした勇者のように。「救出は成った! 撤退準備始めろ!」強い口調で無線に叫び、そうしてノワールは、逃げるのだ。この助けた姫を、その母に渡さぬために今は――すべて割愛する。
とにもかくにもただ尻尾を巻いて、黒猫は天使を抱いてただ、逃げ出すのだった。
――奪い、奪われ、その繰り返し。断ち切るためには、どうすべきなのだろう?