いざ、君待つ場所へと進まんや
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舞台は整えた、なればすべきことはたったひとつだ、と。
――茜色の空の下、集う激流は激しくも乱れなく規律正しく進む。黒染めのヘルメット、軍服、銃器、車両に戦車、どこを見ようが黒、黒、黒。ゆうに千に届こうとするその波は、砂埃巻上げ一切を踏みにじり飲み込みながら荒野をなお進む。
「進め、邪魔するもの皆消し去れ」
率いる者の気質、そのままに。従うならば、染まればよい。従わぬなら、飲み込まれ消え失せればよい。黒の軍団は止まることなく波間の中央、一際大型の車両に不遜に座る漆黒を頂点に、白と赤を両に添えて怒涛の様に、狂ったように。
「歩を上げろ! ハリーハリーハリーッ! 前が遅くば銃をその頭部に突きつけろ! 背後が遅くば手榴弾を放り投げろ! 左右が遅くば銃剣を振り回せ! 前後左右と貴様らひとりの命は繋がった、帝国軍という名の大きな命と知れ! 止まるものあれば味方であっても容赦はするな! 進め!」
ノワールの弩声と共に幾度と鳴く舞い上がる粉塵は、各人奮迅せよと急かしたて。ヤーッ! と、その度にけたたましい雄たけびが上がる。踏みつけるブーツの音は、ザッザッザッ、と壮大な協奏曲にも似て鳴り続き。
「貴様らは、なんだ!」
『栄光在る帝国軍、黒の軍であります!』
止まれば己が死ぬ、そして止まらず進んでも誰かは死ぬ。
「貴様らは、なぜ進む!」
『帝国の敵を、滅するためであります!』
行き着く先は、その果ては同じことだとしても。それでも誰一人として止まるものなどいはしない。
「貴様らは、その果てに何を成す!」
『永遠の帝国の繁栄と、我らが司令ノワール大佐に勝利を!』
いつだってそうやって、ひとつの強靭な顎としてこの部隊はすべてを蹂躙し、殲滅し、駆逐してきたのだから。ゆえに、
「ならば、臆せず進め! 絶対の黒を敵にぶちまけろっ!」
『ヤ――――ッ!』
黒が黒だと言うならば、彼らにとってそこに色など存在しない。塗りつぶし、塗り替える。絶対の統率は、恐怖か畏怖か、様々だとしても。
「……君が会った反乱軍のリーダーは、一言で多勢の兵を下がらせた恐ろしい人物だったと君は賞賛したが……何を言うノワール、俺にはその人物よりも君がもっと恐ろしい」
「……最近、ちょっと忘れてたかも。やっぱりあなたって、とんでもなく怖いひとね」
たったひとりの少女にはどれだけ羞恥を晒そうとも、戦場におけるノワールの姿は音に聞くものそのままだということに相違など微塵もない、ということであって。幾千の怒号に震える中で、ヴェルメイユとブランシュが笑みを浮かべて小さく震える。
千の眼が、手が、足が、たったひとつの言葉で簡単に命を散らす。それが成り立つ、それがノワールという男の真価であって……だが、それでも。その中の誰ひとりとして今回ばかりは。
「……だが、まさかすでに敵の去った戦場に赴くとは誰ひとり思いはしないだろうな」
眼鏡を押し上げたノワールの言葉通りに、であって。
黒に染まったが故に彼らは、これからなぜ戦うのか? 誰と戦うのか? それを正しく理解しているものはきっと、きっと存在していなくて。それは隣に立つヴェルメイユ曰く、
「……だからこそ、俺は君が恐ろしいんだよノワール。たったひとりの少女を救うために、この大軍を動かす、動かなければならない状況を作り上げた。戦いに必要な名目というものを見定め作り出し、それでいて邪魔者を取り除き、まったく別の敵に当てる。正直いま身震いが、止まらない」
で、あって。最大級の賞賛を惜しまずに浴びせられる。だが、ノワールは喜ぶこともなく小さく鼻を鳴らし、足を組みつまらなそうに頬杖ついたままに。
「……そう、思惑通りに果たしていくものか」
「……ノワール?」
周囲の轟音に掻き消されるほどの小さな声で呟いたのは、らしくもない不安。そんなノワールの様子を、さすがは幼馴染というべきか、ブランシュが気付き心配そうに横顔を見つめてきて――はっ、なにを言ってるんだろうか私は? 自分で自分を笑ってやって、立ち上がり。
……どうにも、リリィベルのことになると自分は少し気弱になるきらいがあるようだ。馬鹿馬鹿しい、もうその彼女は目の前だ。なにを思うことがあろうか? もしあるとすれば。
「……気にするな、ブランシュ。ただ少しばかり、慢心を捨て用心というものを覚えたのさ私も」
「なら、いいのだけれど」
「ふん……いまは、彼女を救うことだけ考えればいい。それ以外などすべて些末なことでしかないのだから」
そう、それだけでいいのだ、それで。それ以上はなにも言わず、ノワールは黒の波が進む先へと視線を飛ばす。言い聞かせるように思いながらも感じた一抹の不安は、心の奥へと捨て去って。追いやって。
――もうすぐ、もうすぐなのだ。彼女の元まで、あと少しなのだ。
近づく廃墟群へ狙いを定めるように、ノワールはただ、息を吐き拳を合わせてその時を待つだけなのだ。
――待っていろとは、言わない。だが、必ず迎えに行く。それだけを声に出せれば十分なのだから。