たまには泣いてもいいんです。
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襲撃から数日、ノワール自室。そこにはデスクで口元を隠すように手を重ねて険しい表情を浮かべるノワールと、ソファで腕を組んで座るヴェルメイユの姿。互いに会話はなく、なにかを待つようにただじっとしていて。
かれこれ、こうしはじめて数時間は経っただろうか。時計の針が進む音だけに耳を傾け続け、そしてそれから更に三十分ほど過ぎた辺りで。
「……入るわよ」
声と共に、部屋のドアが開く。同時にふたりはそちらへと視線を飛ばし、見やれば。
「ブランシュ中尉!」
立ち上がったヴェルメイユの隠すこともない嬉しそうな声の先、カラカラとタイヤの回る音が部屋へと入る。女性兵士に押されたその車椅子に乗って現れたのはいつものダボついた軍服姿のブランシュで……その姿にノワールは、ふん、と鼻を鳴らして笑みを浮かべ。
「……なんだ、思ったよりも元気そうだな。それならば君の父君に余計な報告をして、いらぬ戦火を増やさずに済んだと喜んでよさそうだな」
「ええ、おかげさまでね」
そんな皮肉交じりの言葉に、ブランシュもまた薄く笑みを浮かべてみせる。そしてヴェルメイユが車椅子を押していた兵士に「代わろう、君は下がっていいぞ」と言って押し手を入れ替わり、カラカラとソファの辺りまで動かしたところで。
「本当によかった、ブランシュ中尉……もう、どこも痛んではいないのか?」
下げた眉、前髪が頬にかかるほど深く落とした心配そうな顔で、背後から覗き込むようにヴェルメイユはブランシュに訊いてみせていて。
「なによ、ヴェルメイユ。そんな情けない顔して? もしかして心配してくれてたりしたのかしら?」
ブランシュはそんなヴェルメイユに、茶化すように軽い口調。瞼を伏せて呆れたみたいに両の手のひらを小さく上にしてみせて笑って。だが、
「ああ、したさ。この数日一睡も出来ない程度にはな」
「ちょ……そうも素直に言われると、反応に困るじゃない」
「素直にもなるさ……俺は、君の傷つく姿を見たくはないんだ。お願いだブランシュ中尉、もう無茶はしないでくれ。そうでないと、俺は」
「わ、わかったから! だから手を握るな放せ!」
「ふふん、貴様が寝ている間中、ずっとヴェルメイユは一睡もせずに手を握っていたのだがな」
「はあっ!?」
「うむ。俺には、それしかできなかっただけだがな。いやだったか?」
「いや、その、いやとかそういうわけではないけど……ああもう、いいから放してってば! ばか!」
あまりにも素直なヴェルメイユの言葉に、流石の捻くれ妖精もしどろもどろ顔を赤らめてみせて――そうして再会の喜びも、復帰の激励もそこそこに。ブランシュは車椅子に背をもたれ掛からせる様にして軽く息を吐き、打って変わって真面目な顔。ノワールを見つめて重々しく口を開き。
「ここに来るまでにあらかたの現状は聞いたわ。それを踏まえてノワール、まず最初に言っておくわよ。今回のこの襲撃は、反乱軍によるものじゃないわ」
「……なんだと?」
小さな唇から放った言葉は、ノワールにとってはあまりに予想外の言葉であって。思わず、立ち上がって……いや、だがなるほど、道理で尻尾が掴めないわけだ。数瞬の思考で、しかしノワールはすぐに合点がいって。
「……盲点だった、というわけか?」
「というより、錯覚ね。思い込み、とでも言うのが正しいかもしれないけれど」
そうか、そういうことか。納得し合うふたりに、だが状況を理解できないヴェルメイユは首を傾げてみせて。
「どういうことなんだ?」
ここでも素直に訊いてきて。そんなヴェルメイユにノワールは面倒そうにふん、とまた鼻を鳴らしてどっかりチェアへと腰を落として。
「探すべきものが間違っていたのだから、そもそも探しものが見つかるはずもなかったというだけだ。つまりはここ数日、私と貴様は揃って無駄骨折ったということさ」
「……つまり?」
つまり……ここ数日、ノワールはヴェルメイユと共に使えるものはすべて使って情報収集を行っていたのだ。だが、こうしてブランシュが目覚めるまではなんの情報も得られず、苛立ちだけが募っていたものだが――それもそのはずだ、と。根底から、間違っていたのだからな、と。頷いて。
「狙われたのは、尋問室だけだった。そして、奪われたのはリリィベルだけだった。だから私は反乱軍による彼女の救出作戦であると予想していたが……違うのさ。着眼点が、そもそも逆だったのさ」
「逆?」
そう、逆なのだ。視点の変更、一方向からではなく多数の分岐に目を落とせば簡単なことだったのだ。ようは、今回のこの襲撃の真実は。
「リリィベルが狙われて、ノワールの基地が襲われたのではなく。ノワールが狙われて、だからこの基地にいたリリィが襲われた、ということよ」
ブランシュが言うように、そういうことであって。リリィベルが狙われたと思い犯人を反乱軍だと短絡的に決め付けていたが、実はまったくの逆。狙われたのはノワール、正しくはノワールにとっての大切な相手。つまり、つまりだ。
「奪われたものは同じでも、奪われた目的が違ったのよ。襲撃者の狙いはノワール、その大切にしている存在であるリリィだったってこと。目的は、たぶん」
「……リリィちゃんを使って、ノワールに脅迫でもしようってのか」
そういう、ことで。相手の目的は、ノワール自身。そしてノワールの不在を狙い、リリィベルを奪い去ったということであって……ようするに、巻き込まれただけなのだ。彼女は、リリィベルは。ノワールの、せいで――くそっ! と、ノワールはデスクに拳を振り下ろす。そして、
「その証拠に、ここを襲ったのは」
ブランシュが取り出した一枚の写真、それを見てその予想が正しいことをノワールは確信する。だって、そこに写っていたのは。
「こいつら、よ。過去の資料に、残ってたのよ。ヴェルメイユ、あなたも覚えているでしょう?」
「……こいつら、数年前にノワールを襲った黒ずくめのローブ集団じゃないか」
反乱軍、ではなく。数年前にノワールを襲った他の反帝国主義の連中だったのだから。そして、そうだとわかればノワールは背持たれに寄りかかり、小さく息を吐き。
もうひとつ、わかったことに頭を抱え。がんじがらめ、絡み合いすぎて解けない糸の中にいるような気分のままに。
「……私のせい、というわけか」
……どちらにせよ彼女が奪われた原因は、すべて、自分にある。それだけを、いまはただ噛み締めるばかりなのだ。
――悪役に徹すると決めはしたものの、こうも優しくない世界では悪役も楽にはこなせない。