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泣き喚くことは、またの機会に



   ***



 弔いの赤い花は、とりあえず一輪たりとて用意する必要がなかったことだけが幸いだった。


 何ものかの襲撃によって壊されていたのは基地のある極一部分のみで、複数上がっていた黒煙は敵が逃走の際に放った目くらましの火によるもの。実質的な物損は、その一部分の崩壊を除けばほぼない、と判断できる程度のものでしかなく。


 だが、それでも。


「……君がいたというのに随分と、手ひどくやられたものだな。なあ、」


 ブランシュ……ノワールのかけた声に、返事はなく。心音をグラフで明示し続ける機器の無機質な音だけが狭い病室に鳴り響いていて――物損は、確かに少ない。誰も死んじゃいない。だがそれでも、傷ついた者がいたことには間違いなく。ノワールは、小さく舌打ちを鳴らす。


「……ブランシュ中尉」


「命に別状はないそうだ」


「そう、か……それは、よかった」


 言いながらもベットで横たわるブランシュの傍で膝を突き、ヴェルメイユがその手を握る。しかし伏せた瞼は、その声にも反応はせず……つい先ほど、のことだった。ヴェルメイユが尋問室の中で倒れているのを発見し、ブランシュはこうして医務室へと運び込まれたのであって。


「……なあ、ノワール」


「なんだ」


「……すまないが、しばらくここにいても構わないだろうか」


「……好きにしろ。私は損害状況の確認のために、もう一度基地内を回ってくる」


「すまない……」


 初めて聞いたかもしれない、この男に似合わないひどく気弱な声だった。だが、らしくないそんな友人にかける言葉も特になく、ノワールはその背に肩を竦めてみせて。


「気にするな」


 ノワールはそれだけ言って、そんなふたりに背を向けて医務室を出る。ともかく今は、状況の正しい把握が必要なのだから、と。歩き出し、向かうのは。


「……あの場所で、なにがあったというのだ」


 今回の襲撃で一番の被害があった場所、いや、唯一の被害があった場所。それはノワールにとっては、この基地内において最も大切な……そう、尋問室だ。


 しかしなにも、あそこが壊されたからといってノワールにとっては大した問題ではない。壊された施設なら、金を積めばすぐ元通りにすることなど容易だからだ。だが、そこへ向かうノワールの視線はひどく穏やかではない。歩く歩は早く乱暴で、時折苛立ったように壁を殴りつけて。


 ――そうだ、問題はたったひとつなのだ。


「……リリィベル」


 奪われたか、あるいは逃げ出したか。それはまだ、わからないけれど。


 それでもこうして悲惨に崩れた、見る影もない尋問室の中で。呟いた、その名。毎日ここにいるはずの、それが当たり前だったはずの……失った、失われてしまった彼女のことだけがノワールにとっては問題なのだから。


 基地が壊されたこと、襲われたこと、ブランシュが傷ついたこと。どれもが重要で、見過ごすわけにはいかない問題だ。だがしかし、それでもなおそれだけであったならばノワールは余裕の微笑みでいられただろう。いつものように、冷静でいられただろう。だが、


「……くそっ、くそっ、くそ!」


 苛立ちが噴き上げて、手当たり次第にそこらのものを目に付く端から蹴り飛ばす。転がる瓦礫と一緒に彼女がいつも使っていた割れたカップも、彼女がいつも眠っていた壊れたベットの木片も、彼女がいつも座っていた椅子も。彼女が、彼女が、彼女が……リリィベルの残滓に成り果てたものすべてとにかく蹴り飛ばしていって。


「……くそが、こんなものだけ残っていても、意味なんてなにもないではないか」


 思い出に成り果てた残骸共を、蹴散らして。はあはあと息を荒立てたままにノワールは腰から地べたへと落ちて、天を仰ぎ見て。


「……思い出だけで満足できるほど、私の心はセンチメンタルにはできていないのだよ」


 誰にでもなく、また呟いて。静かに、眠る前のように瞼を伏せる。


 ……だが、瞼の裏で彼女を思い出したりはしない。共に過ごした時間、きらめく思い出に浸りもしない。乙女のように嘆き、失った悲しみに涙したりもしない。それが出来るほど、それを選べるほど、ノワールという人間の心は素直でも、脆くもなくて。むしろ、


「く、くくく……」


 楽しくはない、可笑しくもない。なのにこみ上げた笑い。こんなときだというのに、いやこんなときだからこそか。考えることは、たったひとつの事柄だった。それは、シンプルに。


「……なんにせよ、取り戻さねばならんよな」


 このままで終わらせるつもりは、ないということだけで。


 逃げたのなら、再び捕まえよう。奪われたのなら、なにがあっても奪い返そう。地の果てまでも追いかけて、邪魔するすべてを排除して、あらゆる力と手段を持ってもう一度、彼女をこの手にする――そうだ、とても簡単なことではないか、と。


 そうしてノワールは、立ち上がる。しかしその表情は、それは姫を救いに立ち上がる勇者の顔でもなければ、傷つきながらもヒロインを助けようとするヒーローの顔でもなく。そんな、輝いたものではなく。


「……彼女を、取り返す。邪魔するもの皆殲滅だ」


 下卑た笑みを貼り付けた悪役の顔、そのものだ。だが、それでもいいのだ。なにせこれから自分がすることは……奪った者を、また奪われて、そしてまたそれを奪いにいく。ノワールは、軍服を翻して歩き出す。


 ……そこにはきっと、正義なんて言葉は存在しないのだから。だからこのまま、悪役であればいいと思うのだ。



 ――正義の味方に正義であれる免罪符があるのなら、悪にだって悪であるための免罪符はあるはずなのだ。

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