黒を見る(赤の場合)
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いきなりだが最近、ちょっと友人の様子が変らしいのだ。
と、どこか他人事のように語ったのには訳がある。というのも「変なのよ、あいつ」と愚痴っぽく語ってくれたのがその友人の副官だったからであって。
「……だってさっき、いきなり目の前で着ぐるみ着てる姿で小躍りされたのよ。変としか言えないじゃない、あなたも友人なら少しはなんとかしなさいよ」
とのことであって。
このところすっかり彼女の移動の際の足代わり。廊下でへたり込んでいるのを発見し声をかけるや否や、己の肩に乗ってきた美しい白い髪と赤い瞳、ダボダボの軍服姿のこの少女。それがパシパシと(一応旧友とはいえ上官なはずの)自分の頭をはたいてなんとかしろとせっついてくるものだから、仕方なしヴェルメイユは。
「おーい、ノワールいるか?」
きちんとブランシュを部屋まで送り届けた後で、件の友人、つまりはノワールの部屋を訪れた次第なのだが……あのノワールが、果たしてそんなことをするだろうか? ヴェルメイユは来はしたものの、冗談半分。ブランシュが倒れている間に見た、悪夢かなにか。つまりは夢の話だろうと思っていた。
だが、ノックもせずに開け放った扉の先。そこで、目にしたものは。
「ぐ、ぐう……っ!」
悲痛な声と、床に転がる黒いシルエット。それは間違いなく、
「……ノワール!? いや、違うか?」
ノワール、の姿だと思ったのだが。駆け寄ろうとした足がぴたりと止まって、あ、あれ……? 首を傾げて悩んでしまう。だってこの部屋に居る黒いのは間違いなく、ひとりのはずだ。よく見知った、あの男のはずなのだが。
「……黒い、まんじゅう?」
どう見ても、どれだけ目を凝らしてみても、そこにあるのはあのクールな雰囲気を纏った男の姿ではない。こう、コロコロとした丸っこい、しかし黒いなにかモフッとした物体であって……あれは、なんだ一体……恐る恐る近づいて、伺ってみれば。
「……ノワール、なのか?」
「ヴェルメイユ、貴様か……」
そう言った声は、間違いなく友人の、ノワールのものであって……よくよく見ればそれは確かにブランシュの言っていた黒猫の着ぐるみ。まさかとは思ったがフードの下にあるのは、眼鏡とこの姿に不釣合いなほど整ったノワールの顔そのもので。
しかもその口元には、一筋血の跡が残っていて。
「どうしたんだノワール、血が出てるじゃないか!」
「ふっ、不覚にもやられてしまったよ」
「い、いったいなにがあったと言うんだ!?」
どうしたら一体、そんなモフモフな姿で血を吐いて倒れる状況が生まれるというのか。幾多の戦場を渡り歩いたヴェルメイユですら、まったく想像できなくて。抱え起こすようにして、倒れた愉快な格好の戦友の手を、いや肉球をぎゅっと握ってやる。柔らかい。
すると、そんな心配そうなヴェルメイユに気が付いたのか、ノワールは可笑しそうに笑みを浮かべる。そして握られていないほうの肉球で、すっとなにかを指し示してみせて。見れば、
「……電話? 電話がどうしたというんだ、ノワール!」
壁に掛けられた黒地に金の装飾がなされたクラシックな形の電話。受話器はプラプラとコードで振られて宙を揺れており、さっきまでノワールが誰かと話していたということはヴェルメイユにもわかった。だが、あの電話がなんだというのか? 悩んでいると、
「……さっき、電話が鳴ったのだ」
ノワールが、弱った声で語りだす。
「……私は、なにか急な案件かと思いすぐ電話をとったのだ。私の部屋の電話など、厄介ごとでしか鳴らないから、な」
「……いったい、誰からだったんだ!?」
言いながらも思い浮かんだのは……まさか、敵からか!? 反乱軍にしろ隣国にしろ、帝国にはなにかと敵が多い。ゆえに、ノワールほどの男であればそれら敵対勢力に命を狙われたっておかしくない。
事実、数年前にも一度あったことなのだ。あのときは自分やブランシュが一緒だったこともあり、何事もなく襲撃者を退け捕らえることに成功したものだが……いかんせん、今回は状況が違う。
いま、ノワールはなぜか着ぐるみ姿で、しかもひとりきりだったのだ。もしや敵がここの電話を鳴らし、ノワールは気を逸らされたところで遠距離からの銃撃をされた、という可能性もある。なのでヴェルメイユはすぐさま周囲を確認し、窓の傍の壁際にノワールを抱えて移動する。
「……くっ、スナイパーか?」
そして窓の外を窺いながらも、ノワールに聞いてみれば。
「……ふ、ふふ、確かにスナイパーだったよ。まさか、まさか」
「まさか?」
まさか、とノワールは繰り返し、その口が語った真実は。
「……リリィベルさんが、私の部屋の電話番号を知っていたとはな。耳から打ち抜かれたよ……なんなのだあの甘いボイスは……お声が聞きたくなって、とか……反則だろう」
「……え?」
耳を疑い、問い直す。が、思い出しているのか黒猫姿のノワールは、お耳が幸せなのだ……と、うわ言を繰り返すばかりでかなり意識が朦朧としているようで。
まさかな……と、ヴェルメイユはそっとノワールを床に降ろして、そうしてゆっくり電話へと近づいていって。宙で揺れる受話器をそっと、耳に当ててみれば。
「……大佐さん、大丈夫ですか?」
聞こえたのは、心配そうなリリィベルの声であって――ああ、なるほどな。すぐにヴェルメイユは、事態を把握して。
「リリィちゃん、少し待っててくれるかな?」
「あれ……ワンコさん?」
そのままノワールを電話の傍までズルズルと引きずって連れて来て、そのかぶったフードの隙間に落ちないようにしっかりと受話器を挟み込んで……よし!
「……! ……!! ……!?」
かすかにリリィベルの声が受話口から漏れるたびに泡を吹いてビクンビクンと跳ねるように目を白黒させるノワールに、「じゃ、俺はこれで!」とヴェルメイユは言って、部屋を後にして――
「で、どうだった? やっぱりノワール、変だったでしょう?」
「んー……そうだな」
――それから一応報告のためやってきたブランシュの部屋にて、ヴェルメイユは腕を組んでしばし悩んでみせて。そしてややあって、うん、と頷いて。
「いつものノワールだったぞ? 心配は不要だろう!」
それに親友のために、やってやれることはすべてしてやれたはずだ! と。
満面の笑みで言い切ったヴェルメイユを、「そう……?」とひどく不安げな顔で見ていたブランシュが甘ボイスによる拷問を受け続けているノワールを発見したのは――その夜のことだったという。
――個人に対する見え方がそれぞれであるように、その個人の平常を決めるのもまたそれぞれだ。