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弱ったときほど、油断出来ない



   ***



 ――緊急事態、発生だった。



 時刻は夜七時、少し前。場所は、尋問室ベット内部。いつものようにノワールが尋問のため訪れたそこで、今までにない静寂を感じる。返事がない。言いようのない不安に室内を見回したところ、ノワールのリリィベルさんセンサーがビビッときて。すぐにベットの辺りで異常な熱源を感知して。駆け寄れば、


「……三十八度、いや九度か」


「へくちっ!」


「あああ、鼻水が……と、とりあえずティッシュとなにか水分を……」


 火照ったような、いや完熟したトマトのように真っ赤な顔。ベットの上でシーツに包まりくしゃみを繰り返すリリィベルを発見して……なんて、ことだろうか。これを緊急事態と呼ばずになんと呼ぶ。だって、まさか、そんな。こともあろうに、リリィベルは。


「なんだか頭が、ぼーっとしまひゅ。けほっけほ」


「この症状は……風邪、だと……!?」


 引いて、しまったらしくって――馬鹿な、ありえない! ノワールはテキパキと鼻をかませ、室内の暖房温度を上げ、しっかりとシーツをもう一枚増やして、急ぎ水分を用意し、氷でよく冷やしたタオルを準備してその額に乗せてやってから……ありえない、なぜ風邪など引いてしまうのだ! ガッと前髪を乱暴に搔きあげて。


「……体調管理も、栄養管理も完璧だったはずだ。多少の風邪菌など、近寄ることすら出来ないはず。なぜだ、まさか新型の敵国のウイルスだとでもいうのか……っ?」


 そう、自分はリリィベルの日ごろの体調も普段の栄養面も、なにひとつ手を抜いた覚えはない。だというのに、今まさに目の前の天使が熱で苦しんでいるのだ。しかし弱った姿も愛らしい……違う、とてもとても、苦しそうだ。汗ばんだ首筋が、とても色っぽくて心配で目が離せない。


 しかしだとしたらこれは、ただの風邪では、ない……もしや情報漏洩を防ぐために、反乱軍の手の者がなにかしらのウイルスを放ったと考えるのが妥当だろう。くそっ、だとしたら抜かった。なんてグッジョブなのだ反乱軍……間違えた、非道なのだ反乱軍! 急ぎ隊を編隊し、殲滅しにいかねば……と、思ったのだが。


「……大佐、さん?」


「……ん?」


 部隊を集結させるために尋問室を後にしようとしたノワールの背後、震えるような声がして。


「どこに、いますか……いなくなっちゃ、やだあ」


 泣き声にも似たそんな台詞が、聞こえた瞬間。


「大丈夫だ、私はここにいる」


 神速のクイックターン。質量を残した残像を描きながら瞬きの間もなく扉の前からベットの傍まで戻ってみせて、なにかを探し求めるように宙をさ迷う小さな手を即座に取ってやって。


「……大佐さん」


「……心配しなくていい、ちゃんとここにいる」


 その瞬間、リリィベルは安心したように顔を緩め、しばらくしてすうすうと寝息がして……そんなリリィベルをベットの傍で膝をつきながら見つめるノワールは、ふと思い出す。病気のときは、心が弱くなるものだと聞いたことがあるな、と。


 苦しさが孤独を生み、そして苦しさゆえに孤独を嫌う。他の誰にも代わってもらうことも出来ない苦しみは、どうあっても自身で戦うしか方法はなく。だからこそ自分だけの苦しみは、苦しんでいるときだけは誰かに縋りたくなるものだ、と。


 万年虚弱体質のどこかの女が、そんなことを言っていたのをノワールは思い出していて――本当に、つらそうだ。そんな当たり前のことを、今更のように認識しなおして。


 きゅっと、軽くその手を握り締めて。


「……そういえば、今日は珍しく昼食もあまり食が進んでいなかったな。すまない、きっとあのときにはもう熱があったのだな。そんな些細なことですら、私は気付いてやれなかった」


 そっと、呟いて。


 思い返せば、今日は朝から少し顔色が良くなかったような気もする。だが話せばいつも通りのゆるっとした雰囲気はそのままだったので、こうなるまでノワールは気にも留めなかった。いやもしかしたら、昨日からかもしれないし、一昨日からかもしれない。いつからかを正しく口にすることは、難しいが。


 けれど、だとしたら。


 彼女は、リリィベルは、ずっとずっと我慢していたということになる。もしかしたらノワールに迷惑をかけてはいけないと、そんな風に考えていたのかもしれない。この少女は、とても優しいひとだから。


 それだけは間違いようもなく口に出来る、ノワールが尋問という時間を通して知った真実に違いないのだから。そして、同時に。


「……大佐さん、大佐さん」


「ん、どうした?」


「……ごめんなさい」


「ふっ、ふふ……まったく、寝言でまで謝るとはな。迷惑をかけまいとでも思っていたのか? だとしたら、お笑い種だな」


 もうひとつ、確かな真実がある。それは、


「……君に出会ってしまった時点で、私はもうすでに大いに迷惑をかけられているのだよ」


 と、いうことで……いやもちろん、いい意味で、だが。いい迷惑などこの世にあるものかは知らないが、ともかくノワールはそう思っていて。


 そのままノワールは、しばらく待ってまたリリィベルが寝付いたのを確認してから手を離す。そしてそっと音を立てないように立ち上がり、医務室から薬を持ってこよう、と歩き出そうとするが。


「……大佐さん」


 パチリ、また目が開いて。どうやらリリィベルさんは、とても物音に敏感な子らしくって。やれやれ困ったな……と、なんだか長くなりそうな予感を抱きながらノワールが振り返ると――


「今夜は、ずっと一緒にいてください……」


 ――真っ赤な顔で涙が少し浮かんだ、どこかとろっとした気弱な青い瞳がこちらを見つめてきていて。数秒、時が止まってから。


「……はい?」


 間の抜けた声と合わせてピシッと音を立ててヒビの入ったこの眼鏡は、先ほどの予感の的中の知らせか。


 ともかく長い夜はまだこれからだということを……ノワールはこの胸に予感させて止まないのだった。



 ――独りを嫌う金色は、いまだけは黒の中に沈んで眠りたい。

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