するのではなくされるのです。
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何かを得るには、何かを犠牲にしなければならない。犠牲なくなにかを得ようと思えるのは、戦争をしたことのない者達の甘い幻想だ。
譲り合い、分け合い、共有する――素晴らしいことだ、とてもとても素晴らしい美談だ。だが、ノワールは知っている。戦争というものを経験してしまった、軍人という立場が故に。
……その対象が、『命』になったとき。そういった本当に大切な、たったひとつしかないものだった場合。そのとき人は誰一人として譲ることも分け合うことも共有することも出来ないものだと。そうでなければ、成り立たないから。所詮、そんなものなのだと。ノワールは、残念なことに知ってしまっていて。
誰かを犠牲にしなければ、自分が生きられない場面だって世の中には少なくないのだから。
だから、逆説でもないが。
ノワールは犠牲を払うことに躊躇したりはしない。それが例え命だとしても、それで欲しいものが手に入るのなら喜んで犠牲にすべきだとさえ思っている。対価は常に、必要なものなのだと。
そう思っている、いるからこそ。
「ねえノワールは、捕虜の気持ちが知りたいのよね?」
「そうだ」
帝国軍基地、地下最深部牢獄。ノワールとブランシュは、そこで。
「まあ、捕虜の気持ちが知りたいのなら捕虜になってみればいいとは言ったよ? 言ったけどね?」
「……私だって、こんなこと本当はしたくないさ。こんな屈辱的なこと、さすがにプライドが傷つくさ」
「まあ、やり方をどうこう言うつもりはないけれども。それでもね、ノワール」
首輪で繋がれ、両手を手錠で塞がれ、自由の一切を奪われ拘束され。あたかも敵に捕まった捕虜のように、牢へと収容されていて――そう、ノワールは犠牲を選んだのだ。我が身を犠牲にすることを。
それは、すなわち。
「……だったら、なんで」
「……ん? どうした」
ジャラリ、細い手首が捩るように鎖を引く音がして。
「……なんで、私なのよ!?」
自分でやんさいよ!? 鎖で繋がれたブランシュの声が、狭い牢内に響き渡って……はい、犠牲犠牲。誰が、この変態が。犠牲になっていただいている、ということで。
「仕方のないことさ、ブランシュ。私は犠牲を選ぶことでしか、なにかを得る方法を知らない。私だって、心苦しいのだよ」
「だから、それなら自分が捕虜になればいいでしょ! というか犠牲なっているの、私!」
だが、どうやらこの扱いには不満らしいブランシュが牙を立てるようにがなってくる。ノワールは、そんなブランシュの前に立ち、眼鏡をくいっと押し上げて「はっ」と鼻で笑い。
「何を言っているのだ、貴様は? 貴様のような変態を尋問してやらねばならない私が、どれほどの精神的ダメージを被っていると思っている? こんなやりたくもない尋問、我が身を裂くほどの犠牲を払ってやっとなのだよ」
「……うーわ、知ってはいたけど最低ねあなた」
「もっと言うなら、貴様に尋問するための時間を作るために、上ではヴェルメイユが代理で仕事をしてくれている犠牲もあったりする」
「あなた、なにひとつ犠牲を払ってないじゃない!」
ガチャガチャと鎖を振り回しながら、ブランシュはさらにそう叫ぶ。が、そんなことを言われる筋合いはない。ノワールだって、ちゃんと犠牲を払ってこの尋問もどきに望んでいるのだから。
ノワールはくっ……とブランシュの言葉に顔を歪め、「貴様にはわかるまいよ」と呟いて。
「……今日は、リリィベルさんに会いに行く時間が作れない犠牲」
「そういうのを犠牲とは言わないわよ!」
ほら見ろ、やっぱりわかっていないじゃないかこの変態め。ノワールはやれやれと呆れ顔で首を振る。今どれほど上官が苦しい思いでこの尋問に臨んでいるかを察することも出来ないとは、相変わらず不出来な副官だな、と。しゃがんでみせて。
「……君だけは知っているだろう、私はリリィベルさんに会わないと死んでしまう病なんだ。だから君はさっさと尋問されて、その感想を報告してくれさえすればいい。……こんなこと、君にしか頼めないんだ」
私だって、この命を犠牲にする覚悟なんだ……優しい声色で、諭すようにそう言うが。ブランシュは、
「いやあなた、どうせ死んでもすぐ蘇るじゃない」
ぺっ、と吐き捨てる真似。おやおや、どうやら優しい上官の心が微塵も伝わってないご様子。なので、
「きゃうっ?」
「……どうやら、尋問のコースをAからZに引き上げる必要があるようだな。このメス犬」
「はう……」
優しい顔は終了。強引に鎖を引き、ブランシュの両手を無理やり引き上げながら、ノワールはその顎先を指で引き上げて。
「可愛がってやろう……さあ、どんな声で君は鳴いてくれるのかな?」
歪に吊り上げた笑みを浮かべ、本来の冷酷で残忍な大佐としての顔に変わる。さあ、恐れろ怯えろ! 生きていることさえ苦痛であるような地獄の責め苦を味あわせてやろうではないか、恐怖に染まる顔を見せてみろ! ふははははっ……ノワールは高笑いを響かせる、が。
「……はあ、はあ、はあ」
ブランシュは、いやこの変態は。
「……待て、貴様なぜそんな恍惚とした顔をしている」
「……え? し、してないわよ?」
否定しているが嘘だ、している。顔を赤らめてすごくわくわくとした表情をしていて。嫌な予感、ノワールがちょっと強めに手錠に繋がった鎖を引いてみるたびに。
「……も、もうちょっと強めに」
「なにを言っているんだ貴様は?」
なぜか逆に要求されてしまって――ああ、そうか。ノワールは合点がいって、ふっと口元を緩めて。
「……人選、ミスった」
もっと強くーっ! そんなブランシュの声だけが、しばらく狭い牢内に木霊するのだった。
――もう、帰ってもいいですか?