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誰のこととは言いませんが。



   ***



 すでに、朝の尋問に向かう時間は過ぎていた。だが、ノワールは動けない。動くわけにはいかない。じっと、デスクチェアに座ったまま一点を見据え続ける。


 頬にはいつ以来かの冷たい汗が滲み、冷静な面持ちを崩しこそしないが少なからずの動揺が手を震えさせ……だめだ、動くな。下手に動けば、間違いなく最悪の事態に繋がる。強い意志をもって震えを堪える。


「あらノワール、ダンマリですの?」


 そんなノワールを嘲笑うように、敵はくるくる回る。三回転もせずに、足がもつれて「はうっ?」転がっている。くそう、アホだあいつは。貧弱のくせに。呆れかけて。


 しかしさて、どうしたものか……安い挑発には乗らずノワールは思慮深く思案し、ぴくりとも動かない。こんな緊張感は、戦場でもそう味わえるものではない。なにせたった一手のミスで、すべてを失うのだ。


 地位も、名誉も、名声も、信頼も、何もかもを、だ。


 それだけのことに繋がるブツを、ノワールは敵に握られてしまったから。そうあの、ファイルを。反乱軍の秘密が、ノワールの趣味思考がふんだんに詰まった、アレを。極秘ファイル、またの名をリリィベルさん写真集、だ。


 それを不覚にも血色の悪い、あのダボダボの軍服を着た白髪の女に――史上最狂の幼馴染に奪われてしまっているのだから。


 だから、それを取り返すまでは、尋問へは行けない。つまりリリィベルに会いに行けない……くそっ! ノワールは、静寂を破るように、しかし静かな口調で口を開く。

 

「……要求は、なんだブランシュ。そしていつの間に私の服に着替えたのだこの変態め」


「私、早着替えは得意ですの……んう……いい匂い。たまんない」


 うっとりとした声に、ゾクッ……と背筋に悪寒が走る。もういやだ、こんな部下、というかこんな幼馴染。ノワールは秘かに腰のホルダーに手を伸ばし、銃に手をかける。このままその透き通るような白髪から覗く額に、銃弾を打ち込めたらいいのに。


 いっそ、戦死したという扱いで抹殺してやろうかコイツ……そうも思うが、ブランシュの父の報復が怖いのでそっと手を離して。


 ……もう、ふざけている時間はないのだ。だって、すでにノワールは、ノワールの身体には。


「……すまないが、本当に時間がないんだ。どうして欲しいか、どうしたらそれを返してくれるか、それだけを、言っては、もら……えない、だろうか」


「……胸なんか押さえて、随分と苦しそうですわね?」


「気にするな、これはただの」


 禁断症状、だ。それが、出始めているから。別名、リリィベルさんに会いたい病。これがノワールを苦しめる不治の病、だ。そして、


「……ともかく君と遊んでいる時間はないんだ、ブランシュ。私は、一刻もはやく薬を摂取しなければいけないんだ」


「薬……? なら、別に構いませんわ。どうぞ、今ここで御飲みになってください」


「……ここには、ないさ。それが出来ないから、こうして交渉しているのだしな」


「……なら、どちらに?」


 その病を抑える薬、ノワールに安らぎをくれるのは、たったひとつだけ。


「……尋問室だ。あそこにいけばこんな胸をしめつけられるような苦しみも、切ないような気持ちもすぐに収まる」


「……っつ」


「……会いたいのだ、いますぐにでも」


 だから、どうか。どうかお願いだから。ノワールは自分から、深く深く頭を下げて。


「……だからそれを、返してくれないか? 故あってそのファイルがなにかを言うことは出来ないし、君に見られるわけにもいかないんだ。だから、私はこうして頭を下げてでも、無様に君に願うことしかできないのだ」


 奪うのではなく、頼む、のだ。生まれて始めての、誰かへの命令ではなくお願い、をしてみせて。自尊心の塊みたいなノワールが、自分でも驚くほどにあっさりと、プライドを捨ててみせて。


 そして、そんな姿は他の誰でもない。幼馴染のブランシュにだからこそ、


「……そこまで言えば、もうそれが答えではありませんか?」


「かもしれん、な」


「はあ……馬鹿に、してますね」


 効果的、だったようで。


「……もう、いいですわよ」


 そう言って、ブランシュは星屑を散りばめたように輝くひとつに纏めた白髪をなびかせながら、拗ねたような、あるいは悔しがっているような顔。ため息ひとつ、開くことなく極秘ファイルことリリィベルさん写真集を本棚に戻してみせて――その姿に、よかった、と。ノワールは、一気に身体の力が抜けて。


「そんなあからさまに安心した顔なんてして……もしあなたが力ずくできたなら、簡単に私から奪えたでしょうに。というか、押し倒してくれるのを期待していましたのに」


「……? するわけないだろう、そんなこと」


「あら、なぜ?」


 そんなことをしたら、君の父君が烈火の如く怒り狂うから――も、あるけれど。しかし、それよりも実のところ。


「……乱暴な真似をするのは、趣味じゃない。それに……そんなことをしたら、か弱い君が傷ついてしまうだろう? ――大切な幼馴染に、そんなことできるはずないだろう」


 で、あって。


 ノワール的に要約すると、おまえヘナチョコだからちょっと乱暴したら壊れそうだ、の意。だったのだが。


「……ノワール、わ、わ、私は、」


「なんだ、もう用は……」


 ブランシュは、わなわなぷるぷる震え始めて。最後に、


「私は、あなたを諦めませんからねっ!」


 バーカ! 語彙もへったくれもないそんな台詞はき捨てて、鮮やかに耳まで朱に染めてブランシュは逃げてしまって。



 ――同じ女性という生き物でも、こうも違うものかと感心せざる得なかった。

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