追われるよりも、追いたい派
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なにが最悪かと訊かれたならば、ノワールは迷わずこう答えるだろう――よりにもよって彼女に捕虜のこと、つまりはリリィベルとの尋問についてを、ブランシュに疑われたということが最悪なのだ、と。
なぜならば他の部下ならこうなったとしても、どうとでもなる自信がノワールにはあったから。
それこそ一兵士相手ならば、ノワールは得意の傍若無人を駆使して、上官に口答えするやつは銃殺だ! 上官に疑惑の目を向けるやつも銃殺だ! みたいな脅しひとつで黙らせられ――ん? 職権乱用だと? 知るか、私は冷酷非道な大佐だからいいのだこれくらい。みたいな態度でいける。
――だが、この基地内において唯一、それが通じない相手がいて。それが、このノワールの副官にして帝国軍中尉にして軍略家にして、して、して……
「そ、それは極秘事項ゆえ、部下に話すことはできんな」
「そうですか……では、中尉としてではなく幼馴染として訊きます。ノワール、あなた最近ずいぶんと捕虜にご執心のようですね?」
「ぬっ……卑怯な」
……彼女はノワールにとっては今の関係以前からの、子供の頃から家族ぐるみでのお付き合いがある幼馴染、というやつなのであって。しかも、タチの悪いことに。
「……な、なら、なお更ホイホイと口にするものではな、」
「……じゃあグレイッシュおじさまに言っちゃおうかな、もしくはお父様に。ノワールが、仕事もせずに尋問室に引きこもってばかりいるニート大佐になっていますって」
「なっ、やめろっ! その呼び名はあらぬ誤解しか生まないぞ! しかも父上だけでなく君の父君に、ブロンカッセ将軍にまで言うつもりか!?」
ノワールの父、グレイッシュ将軍の盟友にして帝国軍のもうひとりの将軍、それがブランシュの父親であって……怖いのだ、かなり。あの将軍、シンプルに怖いのだ。だって、だってだ。
さすがは父の、グレイッシュの親友か。娘のわがままのためならば顔色ひとつ変えずに国ひとつ滅ぼすくらいは躊躇いなくやれるような――極度の親ばかな人だから。娘、ラヴ。ラブじゃない、ラヴなんだ。それ以外は死んでもいい……昔、そう言っているのをノワールは直に聞いたことがあって。まあ、違うベクトルでノワールのあの親も大概だが、と。
ともかくだから、ノワールは幼馴染としてブランシュには強く出られない、というわけで。
そして、もうひとつ彼女には厄介な部分があって。それは、
「……お父様に無理言ってまで軍師として軍に入隊して、そうしてまであなたの隣にいる私に隠し事をするの?」
「そ、そうは言っていないが……そもそも頼んだ覚えもない」
「なに?」
「いや、なにも?」
この通り、紙以下の装甲のくせに親の威光を使いまくって軍に入隊し、さらにそのくせ天性の才を奮ってすでに本来ならノワールと同じく大佐の地位につけるだけの戦績も上げているのに、わざと昇進せずノワールの下につき、さらにさらに頼んでもいないのに副官としてこの基地にやってきて……ようするに、彼女は。
「最弱最狂のストーカー……」
で、あって。もっというなら、
「あらノワール、なにか言いました?」
「いや、空耳だろう」
「……まあ、いいですけどね。それで、捕虜の件です。聞けばなにやら……少女、なんだとか?」
「そうだが……君には、関係ないことだろう」
「……なにを言ってるんですの? 妻に黙って捕虜の女に執心なんて、許せるはずないじゃない」
「待て、君とファミリーネームを共有した記憶など私にはない!」
「失礼、未来の、でしたね」
「未来でもない!」
この、不思議っぷりなのだ。妄想癖というか思い込みの強さというか……そういった凶悪な兵器をその貧弱な身体に詰めるだけ詰め込んだ女性であって。
考え、たくはないが。本当に、考えたくはないけれど、もし、もしも。そんな彼女にリリィベルのことを仔細すべてバレたら……? ノワールは、無意識にそんなブランシュから胸ポケットを隠すように手で押さえて。
――間違いなく、ただでは済まない予感が膨らんでいって。そして、そんな予感は。
「なにを、隠してますの?」
「……秘密など、なにもない」
「あら、じゃあ……」
ふらりふらり、いつ倒れてもおかしくない危うい足取りでブランシュはノワールの部屋の本棚に近寄り、一冊のファイルを手にして。振り返り、にこり優雅な笑みを浮かべて。
「……この中身、見てもよろしくて?」
「……っつ!?」
手に輝く、そのファイルの背表紙は……ああ、神よ。ノワールは、絶望する。極秘、の二文字が血文字で書かれている気さえして。
――地獄に踏み入れる直前の罪人の気持ちは、こういうものか。