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言わなくても、言えている。



   ***



 言葉に出来ないものを無理に言葉にする必要はない。と、抱き締めたのはそういった判断からだった。


 泣かせてしまって、申し訳ないという気持ち。そして逃がしたくはない、と心から思っていることへの肯定として。リリィベルの言葉を、自分の感情の正体を、認めた証として。


 それらをすべてを言葉ではなく、行動でノワールは示しただけなのだ。だから、いまは先ほどの言葉通りこれが精一杯なのだ。だって――まだ、


「……あの、えっと、大佐さん」


「……聞きたいことは、たくさんあると思う。だがもう少し、このままで」


「ふぁ……い?」


 この感情の正体を、君に明かすわけにはいかないから。ノワールはリリィベルの小さな身体を包み込むように抱き締め続けていた。それだけを、続けていて。それだけが、唯一出来ることで。


 リリィベルはそんなノワールの抱擁に最初こそ驚いていたけれど、いまはただ力なくくったりとして、その身体を預けてくれている。そして、そうしてしばらくはそのままで。


「……君は、敵だから。そして私もまた、君の敵なのだから」


「……そうですね」


「……出会う場所が違えば、殺しあっていた仲なのだから」


「……はい」


「だからこんな出会いは、こんな行動は……なにもかもただの偶然なんだ。叩けば壊れる、脆いガラス細工のようなものなのかもしれない。その程度のものなんだろう」


「……」


 抱きとめたまま、ノワールは口を噤んだリリィベルの髪を撫でる。指の隙間から、さらさらと絹のように柔らかな感触が零れていく。甘い花のような香りが立ち、不意に鼻腔をくすぐられ。心臓が跳ね上がり。呼応するみたいに、言わぬと決めたこの口は、簡単に。


「……でもだからこそ私は、君を――」


 君を、と。言いかけて、しかし喉元までこみ上げた瞬間。


「――いや、なんでもないか。しかし君の髪からは、とてもいい香りがするな」


「か、嗅がれると恥ずかしいのですが……」


 無理やりに飲み込んで、飲み下して。腹の奥へとまっさかさまに蹴り落としてやって。残ったわずかなノワールの理性は、次点で優先すべき言葉を、リリィベルの髪の香りをせり上げて声にしてみせて。


「ふふっ……褒めているのだがね? そう照れなくてもいいだろうに。なんならその綺麗な首筋の香りも……」


「やあ……っ」


 あっさりと、腕の中から逃げられてしまって――そうだ、これでいい。これで、正解だノワール。くくくっ、とノワールは口に拳を当てて可笑しそうに笑ってみせて。


「……なんだか大佐さんが、いじわるです」


「おや、知らなかったのか? 私の性格は、ひねくれすぎていると評判なのだよ」


 ふっ、と微かに口角を吊り上げて。いつもの調子で眼鏡を押し上げながら、高慢に、不遜に、立ち上がり。見下すみたいに見下ろして。


「もう一度、思い出すといい。私は君の敵で、君は私の敵だ。そしてこれもすべて、その敵の情報を手に入れるためのもの――ただの尋問、なのだから」


「……大佐、さん」


「君は、私にとってはただの捕虜なんだよ」


「……っ、そう、ですよね」


 そんな冷たくあざ笑うように言い放ったノワールに、それでもリリィベルはなぜか少しだけ悲しそうな顔を浮かべて手を、伸ばそうとするから。だから、ノワールは。


「羨ましいよ……君のように素直には生きられない、反対でしか物を言えない天邪鬼だっているものさ」


 そいつは嫌われ者だから独りきりがお似合い、なのかもしれないな。と、そのどうとでも取れる、いや、どうにか受け取って欲しい言葉を投げて。背を向けて、扉に手をかけて。


「……では、また」


 伝われば、それでよし。伝わらなければ、それもよし。一礼して、ノワールが扉を開けて立ち去ろうとした……ときだった。


「……ぐっ?」


 背中に衝撃、なにか小さな塊がぶつかったような感触に、振り返れば。


「……どうしたんだい?」


「……」


 顔を俯けて背中に張り付いた、リリィベルの姿があって。そして――


「明日は、尋問しないでください」


「……?」


「朝ごはんもいりません、昼ごはんも、おやつも、夜ごはんも、いりません」


「……なにを」


「大佐さんの顔なんて、見たくありません。会いたくなんて、ありません」


「……ぐふっ!」


 ――突然の言葉の刃、雨あられ。もしやさっき冷たい態度をした仕返しか。容赦なくドスドスと鈍い音を立ててノワールのガラスのハートに突き刺さり、眼鏡が割れて耐え切れず血反吐が口から吐き出されたあたりで。


「……勘弁してくれないか、これ以上は死んでしまう」


「大佐さん」


 な、なんでしょう……? 死にかけのノワールに、背中のリリィベルはぱっと顔を上げて見せて。


「天邪鬼だって、本当は独りが好きではないかもしれません。仲間が、案外近くにいるのかもしれませんよ?」


 見上げるその柔らかに桜色の唇緩ませて――また、明日。こないでくださいね? その無邪気な小鬼のいたずらっぽい微笑みは、ノワールにはあまりにも、あまりにも眩しく見えていた。



 ――素直さが欲しいと願ったけれど、案外それがなくても満たされるものだ。

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