表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/100

怒ってないです。



   ***



 実はさっき膝枕してもらっていました、大変気持ちよかったです――と、そんな最近の幸せメモリーについてはともかく。


 思い出話、でもないけれど。自分で言うのもなんだが幼少の頃より、ノワールは出来た子だったという自負がある。


 というのも七歳でいまの父、つまりはグレイッシュ将軍に養子として迎え入れられてからはその期待に応えようと、常に人並み以上の並々ならぬ努力を重ねたからだ。


 義務教育課程から軍事学校までの成績は、常にトップだった。一度として落としたことなどない。さらには軍に入隊後も、どんな敵に対しても臆することのない父譲りの武勇と持ち前の頭脳、そして冷徹にして冷酷なる感情抑制をもってこの若さで大佐という階級にまで上り詰めた。


 ……いつだって、期待には応えてきたから。失敗なんて、したことがなかったから。


 なので誰もノワールを、それこそ父を含めても本気で叱れるものなどいなかった。もっというなら、怒られたことなんて、人生においては経験したこともなく。


 だから、そんなノワールは。


「……大佐さん、足を崩してもかまわないですよ」


「……はい、あ、いえ……このままでお願いします」


 こうして五つも下の少女の前で、(命じられたわけではなく、あくまで自発的に)正座したこともなければ。こうも情けない小さな声で返事をし、あげく命の次くらいには大切な眼鏡まで奪われて、それを指先で弄ばれながら。


「……大佐さん、いまのわたしの気持ち、わかりますか?」


「……お、怒っていらっしゃる、ということは間違いないかと」


「はい、怒っています」


「……すみません」


 ご機嫌を伺ったことも、あるわけもなく……どうしよう、すごく怖い。なにがって、よく見えないうえにスペアの眼鏡もないいま、どうして怒っているのかもわからないハイパワーな少女の前にいることが、怖い。ノワールに合わせて正座している姿も可愛いけれど、やはり怖い。いや、よく見えないけれど。


 だって、だってだ。この状況のまずさを、ノワールは理解できないはずがない。


 リリィベルという、この白いドレスに身を包んだ可憐な花のような蝶のような少女。細く華奢で、容易く手折ることの出来そうなほどに細い彼女が、その実。鉄の鎖をなんなく千切る程の力をもった少女だという事実を、ノワールは先代の眼鏡さんの犠牲の上にいやってほど知っているのだから。


 もしも、彼女が本気になったなら。


 もしも、彼女と一対一で戦うことになったなら。


 ――くしゃっと、一息に捻り潰されるビジョン。まず、勝ち目などあるわけがなくて。そんなことをするくらいなら、裸一貫で数百万の軍勢に単身殴り込みをかけるほうがよっぽど勝ち目がある気がして。


 普段怒らないひとほど怒ると怖い、と聞いたことがあるが。それは確かに事実だった。というかリリィベルのおっとりした性格や雰囲気から、こうも怒りを露にすることはない、とタカをくくっていた部分もノワールにはあって。


 油断、していただけに。この展開は、いくら帝国一と称されるこの頭脳を持ってしても対処はできなくて。ノワールは、無駄口も言い訳もなにもせずただ返事をするマシーンと成り果ててみせる。


 ……が、そもそもいったい彼女は、なにをこんなに怒っているのだろうか? もしや、喜ぶリリィベルの姿に浮かれきって、そのうえテンションぶち上げで倒れてしまったことを怒っている、のか? ノワールにはわからなくて。と、思ったとき。


「……わたしは、大佐さんに無理してまで頑張って欲しくはありません」


「……え?」


 怒号のひとつでも飛ぶかと身構えていたノワールにかけられた声は――ひどく穏やかなもので。


「大佐さんは、少し優しすぎます。こんなことしてくれなくても、わたしは逃げたりなんてしませんよ?」


「え、あ、いや……」


 なんの、話だろうか……? リリィベルの言葉の意味が、まったくわからなくて。ノワールが、返す言葉に困っていると、リリィベルは。


「……眼鏡、お返しします」


 そっと、眼鏡を差し出す。ノワールはとりあえず、受け取って。あるべき場所へ、かけ直して。そうして、鮮明に開いた、その視界にまず映ったのは――


「……泣いて、いたのか?」


「はい、泣いてしまいました」


 ――ぽろぽろぽろり、と。心臓が、ギクリ、音を立てて。


 いくつも透明な粒が頬転がり落ちる、リリィベルの泣き顔で。なんで、と言いかけて。でもそのなんで、の答えは涙を見れば一目瞭然で。それが分からないほどに、ノワールだって鈍くはなくて。


 けれど、なぜだろうか? 心配をかけてしまった、ことよりも。なによりも。


 彼女の勘違いが、ずばり自分の知らない本心だったことも含めて、ぜんぶまとめて。


「……ッ、逃がしたくなかった、か」


「……違い、ましたか?」


「いいや? ただ、痛いところをつかれたというべきか、見透かされたというべきか……まったく、君というやつは」


 ノワールは、やれやれとリリィベルの涙を指先で拭う。そのまま、引き寄せて。


「……大佐、さん?」


 とりあえず、いまは。


「すまないが、今はこれで精一杯なんだ」


「あ……」


 言葉を並べるよりも抱きしめることが、最良だと。強く、抱きしめて。



 ――敵のために泣く捕虜がいるなら、敵を抱きしめる軍人がいても構わないだろう?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ