君のためは、自分のためです。
***
一週間ほど間を空けて、ノワールはリリィベルの元へとやってきた。
そして再会するや否やすぐさま――拘束具、両手両足へ。目元は黒の皮製の目隠しでしっかりと塞ぎ、周囲の景色の一切を遮断した。厳重に、決して悟られてしまわぬように。
「……大佐さん、わたしはこれからどこへ連れていかれるのでしょうか」
「なにも教えることは出来ない。ほら、それよりもうすぐ段差があるから、そう……ちゃんと私の手をとって……そうそう、気をつけて。転んでしまっては、怪我をしてしまうからな」
「はい、ありがとうございます……大佐さんの手、大きいですね」
「……そういうことを言われると、手元が狂うからやめてくれ」
握るではなく、あくまで添えるように結んだ手と手。ノワールのそれだけを頼りにさせ、彼女のおっかなびっくりとしたたどたどしい足取りを進めさせる。焦らせず、急がせず。ゆっくりと。
あの地下最深部の牢獄からの、移送であった。だが、まだ行き先はリリィベルには知らせておらず。そのせいか、
「……痛いこと、されてしまいますか?」
リリィベルの声は、どこか怯えたようだった。少し震えてもいるようだった。不安の色は濃く、もしも冗談でもこの手を離してしまえば、泣き出してしまいかねないほどで――そんな姿に、痛いことをしてしまう妄想は膨らむ……じゃなかった、心は痛むけれど。
「……すまないが、まだなにも教えてはやれないんだ。いまはただ、黙って進んでくれるとありがたい」
「……は、い」
ノワールは、多くは語らない。まだ、語ってやれない。なぜなら、
「ほら、もう到着したよ」
「……どこですか、ここ?」
どれだけ怖がらせてしまおうとも、恐れさせてしまおうとも。それでもこの場所は、ギリギリまで隠しておきたかったから。ここは、この場所は、
「いま、目隠しを取るよ。ここは――」
「……うわあ」
開けた視界と同時に、彼女がのんびりとした歓喜の声をあげてみせたのは――
「君のための、特別な収容施設だ」
――君の、リリィベルのためだけに作らせた特別な部屋、なのだから。
汚れひとつない真っ白な壁、それに合わせたように広がる金の刺繍が施された純白の床敷き。そこに一輪咲き誇るバラのように、真紅のソファが設えられ。さらにその奥に置かれた大きなキングサイズのベットは薄いブルームで覆われたようにレースをふんだんにあしらってある。
加えて、上質な樫の木作りの大きなクローゼット。もちろんこちらも、艶やかな純白に染め上げてある最高の一品。その中には、
「かわいい服が、いっぱいありますね」
「ああ、それは好きなものを着てくれて構わない。すべて、君の物だ」
色とりどり華やかで、愛らしく。様々なドレス達が並ぶ。ノワールに拘束具を外されながらも、待ちきれなかったのか駆け寄り、それらをリリィベルは堪えきれないような笑顔を漏らしながら手にとってみせて、小さく息を吐き。
「……着てしまっても、いいのでしょうか?」
少し申し訳なさそうに、訊いてくるものだから。ノワールは顔色ひとつ変えずに頷いてみせて。
「ああ、なんなら今からでも。……では着替えがあるだろうから私は少し、席を外しておこう」
「はい……あの、大佐さん」
「なんだい?」
「どうしてかはわかりませんが……ありがとう、ございます」
陽だまりのように、柔らかく輝いた笑顔が弾けて――心から、嬉しそうな笑顔がノワールを打ち抜いて。ピシッ、とその衝撃に眼鏡が割れかけて。
「……ッ、気にしなくていい。君がここから出られず、尋問が続くことに変わりはないのだからな」
「はい、でも……」
「いいから、ともかく着替えてしまってくれ。尋問する時間が減ってしまうからな」
そう冷たく言い放って、扉を開けて部屋の外へと出て行って。すぐさま閉じた扉に、背を預けるようにして。
「……あんな笑顔、ずるいだろう」
してやったり、な気分と併せて、してやられた、と思わざるえなくて。
緩みそうな口元を隠して、ノワールは崩れていって……喜ばせることは、大成功だった。このために連日徹夜の突貫作業。一週間もかけて作り上げた部屋なのだから、当然だとも思っている。どうだこれが、私の本気だ、まいったかこの捕虜め! とか言ってもやりたい。けれど、けれど。
それ以上に、今は。
「……衣擦れの音のせいで、気が狂いそうだ」
しゅるりしゅるりと、扉一枚隔てて聞こえてしまうリリィベルの着替えの音に。あの笑顔のあとのこれにノワールはただただ消え入りそうな冷静さを保つことで精一杯で。なんかいろいろ、捗ってしまいそうで。
「……大佐さん?」
「……」
「お待たせしました」
聞こえた声に立ち上がり……誇るよりも、達成感に浸るよりも。まずはこのあとどんな顔で行くべきか。ドアに手をかけたノワールにとっては、それがなによりも重大なことなのだった。
――消えない笑みは、どう繕うのか知らないから。