ドキドキは、移るんです。
***
「そうですか、お父様とそんなお話をなさったのですね」
「ああ」
翌日、尋問にてノワールはグレイッシュとのやり取りを彼女に、リリィベルに話してみた。
それは前日軽く触りを口にしたところ、彼女がその話に興味を持っていたということもあるし、なによりノワール自身もリリィベルに聞いてほしかったから、で。
――君と出会ってから、私はどうにもおかしな病にかかってしまったらしいのだ、と。言ったところ、リリィベルは。
「まったく困ったものだよ、いつどこでなにをしていようとも君のことばかり考えてしまう。君を思わない日が、時間が、なくなってゆくばかりだ」
「……あの、大佐さん」
「なんだ? もしやレアチーズはお気に召さないか」
「いえ、これはとてもおいしいのですが……そうではなくて」
今日のおやつであるレアチーズケーキを口にしながら、相変わらずやる気のあるのかないのかよくわからない口調、長い睫毛を瞬かせながら輝くサファイアのような瞳をノワールに向け、
「もう一度、もう一度大佐さんがわたしに感じたものを口にしていただいてもよろしいでしょうか?」
「……? なぜだ?」
こんなことを、言い出して。カチャリ、手に持ったフォークを置きながら。
「いえ、捕虜の身で大佐さんにお願いなどしてはいけないとは知っているのですが……なんといいましょうか」
「ふむ?」
そっと、胸のあたりで手を合わせ、瞼を落とし。眼鏡を押し上げるノワールの前、うまく言えないのですが、と。
「大佐さんの声で、言葉で、わたしが評されているのを聞くのがたまらなく嬉しいと思ってしまって。それになぜでしょうか、先ほどのお話を聞くとどうしても、わたしも胸の辺りが苦しくなるような。そんな気持ちになってしまって」
言われて。からの、
「大佐さんの声は、言葉はすごくドキドキするんです。もっと、聞かせてほしいです……」
「……ッ!!」
ほんのり頬を桃に染め、照れたようなはにかむような笑顔が花開き――ノワール、悶絶。立ち上がり、壁をゴッゴッ! と連打して、
「なんなんだ、なんなんだ君は! どうしたいんだ私を! うおおおっ、耳元で囁いてやろうかあんなことやこんなことまでえっ!」
「耳は弱いので、ごめんなさい」
「うああああっ、また無自覚にそんな煽るようなことをおおおおっ!」
爆発しそうな妄想を、殴り倒しにかかって。したい、すごくしたい。その弱いという耳元に囁きかけたり、息を吹きかけたりしてみたい! どんな顔するのか見てみたい! すごく! それを湧き出た端から叩き潰して。
連打、連打、連打……ひとしきり叩いて、パラパラと壁の一部が剥がれ落ちた辺りで「ふうう……」と、ノワールは自身の高ぶった気を静めるように息を吐き。振り向きリリィベルを見ながら照れからか、すこし意地悪な物言い、
「大佐さん、大丈夫でしょうか?」
「……もしこれが大丈夫にみえるなら、君という女性のあざとさに私は絶句するしかない」
「あざとさ、でしょうか? 仰っている意味がよく……?」
「いい、気にしないでくれ。ふっ、しかしそれより耳が弱いという情報、確かに聞いたぞ。愚かなものだ、自らのウィークポイントを口にしてしまうとはな! 今後は容赦なくそこを責めさせてもらおうか!」
ふははははっ! と高笑いしながらノワールは精一杯の強気で、高慢に接してみる。が、
「……? 大佐さんは、耳がお好きなのでしょうか? ……でしたら大佐さんがしたいというのであれば、捕虜のわたしは素直に耳を差し出します……恥ずかしいですが」
指先で髪をかきあげる仕草、リリィベルの形よい耳と、真っ白な首筋が露になって……うああっ! 慌てて目を逸らし。
「くっ……いまほど天然というものを恨めしく思ったことはない!」
「……お嫌いでしたか?」
「そんなことはない、あとでそのポーズで写真を一枚頼む! 尋問の資料に!」
「はい、構いませんが……」
すべてが逆効果、自らの首を締め上げる行為にしかならず。しかし苦しみながらもさりげなく、ノワール的には艶姿なリリィベルを写真に収める許可を貰ったところで。
「はあ……カメラを準備するゆえ、いったん休憩にしよう」
「はい。あ……それで、大佐さん」
「ん?」
自室にカメラを取りに行こうと席を立ったノワールの軍服の裾を、リリィベルはそっと指先で引っ張って。なんだ? と振り向けば。
「……もう一度、聞かせてはいただけないのでしょうか?」
「なにをだ……?」
「ですから、その……」
言いづらそうに、口ごもり。なにやらもじもじと視線を泳がせているリリィベルの姿がそこにはあって――ああ、とノワールは思い出して。
一刻も早くカメラを用意し、心行くまで撮影することで頭がいっぱいだったせいで忘れていたが、そんな話もあったな、と。どうやら彼女は、先ほどのノワールの台詞がどうしてもご所望のよう、なので。
……まあ、いいか。なんだか心待ちにしてこちらを見つめているし、ここは手短に省略してさっさと言ってしまおう。カメラ、持って来なければだし。なのでノワールは、少しだけ腰を落とし、リリィベルの目線に合わせて、小さな声で。
「……私の中はもう、いつだって君のことだけだよ」
「……ふあっ」
それだけ言って、さてカメラカメラ……と踵を返して階段を駆け上がっていって――そんなノワールは、まだ知らない。
そのとき背後のリリィベルが、真っ赤な顔で卒倒した事実を。カメラを持ってウキウキで戻ってくるそのときまで……まだ、知らない。
――この胸の高鳴りを説明できるのは、神様にだって不可能です。