依存しているわけじゃない
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――その後どれだけ懇願しようともその病の名をついに父は、グレイッシュは口にしてはくれなかった。あげく帰る直前の見送りの瞬間には、
「教えては、いただけないのでしょうか」
「ふあははっ! さすがに帝国の将軍といえども息子に口で説明するというのは、こっ恥ずかしくてできんわい!」
そう言って豪快に笑い、不服そうな表情を浮かべるノワールの肩をバシバシと叩きながら。
「だがな、少なくとも私もわずらったモンさ、おまえと同じものを同じくらいにな……いや、今も、というべきだな。ふあははははっ! 尻に敷かれっぱなしだ! 失うことなど、何年、何十年経っても考えられん。もう死ぬまで治らんなこれは!」
「……ますます意味がわからないのですが」
「なあに、いずれ分かるさ。だが、そうだな……少しでもはやく知りたければ、もっと尋問を続けてみろ。そうすれば、自ずと気付くだろう」
「気付く? 病に、でしょうか?」
「さてな、それはその捕虜が教えてくれるかもしれんさ」
「……?」
「時間をかけろ、愛しい息子ノワールよ。積み上げたものは時には無駄になるかもしれん。無意味に思うかもしれん。だが逆に、積み上げねばなにも形にはならんものだぞ」
……ではな! それだけ言って、呼びつけたのかはたまた来たときからずっと待たせていたのか知らないが、ともかく運転手付きの黒の武装車に乗り込みさっさと帰ってしまって。見送りながらも、ノワールはただただ釈然としない、なにか悶々とした気持ちがなくならなくて。
――そして、その夜。
「……さて、どうしたものか」
帝国軍基地、厨房。エプロン姿でノワールは夜の尋問を(基本的には朝昼晩の三回で、仕事が片付いた日は三時のおやつ時も含む)行うために、その準備に取り掛かっていた。
邪魔な前髪はピンで留め、すっきりとした視界。眼鏡の奥の眼差しはまっすぐ手元を見つめる。握った包丁は軽快な音でまな板を叩き、手馴れた手つきでノワールは下ごしらえを進めていて……元々料理は、好きなのだ。誰かのために作るようになったのは、最近のこと、だが。
しかし、調理をしながらもノワールは考えていた。父の言葉を、病を患ったと表現したその言葉を。確かにそうかもしれない、と。根拠もなにもないけれど、でも、本当にそう思うのだ。だって、ノワールはこんなにも。
「彼女はどうも野菜の類を嫌う傾向があるからな。しかし苦手だからといってまったく口にさせないというのも健康面で心配が……って。ふっ、なにを考えているのだろうな私は」
こんなにも誰かのことを想いながら――ふとした瞬間も、そうでない瞬間も。二十四時間いつだって、らしくない程に想い募っているのだから。
しかも父の手前ああは言ったが、この胸が苦しいとまで言ったが。それでも苦しいはずなのに、その苦しさは心地よく。嫌なものではまったくなくて――
「狂わされている、どうしようもなく」
――確かにこれは、病気かもしれないな。そんなことを考えながら、ノワールは手にしたトマトを指先で回しながら眺める。さあ、どう料理してやろうか? その台詞を思い出し、そして知らずに口元に笑みが浮かび。
「……どうやら私は彼女から、とんだ毒をもらってしまったらしい」
触れずとも、口を付けずとも、打ち込まれたのは毒だったのか。胸を締め上げこの身を焦がし、思考の一切を奪う毒。さながらそれは、猛毒か。不覚にもそれを、知らずに受けていたのだろうか……なんて。馬鹿らしいことまで思い始め。
そしてノワールは、作った料理を持ち階段を下る。長い、長い、地の底へと向かうこの階段を。この先に自分を苦しめる毒があると知りながら、しかしそれでも向かっていく。
……でも、向かわなくてはいけない理由もちゃんとある。だって、
「さあ、尋問の時間だ」
「はい、大佐さん。お待ちしてました」
「……いや、待っていたらだめだろう。君は捕虜なのだから、怯え震えながら、この時間を恐れていないと」
「……ああ、そうでした。ついうっかり、楽しみで」
この、ノワールを苦しめる金糸のような美しい髪を揺らす小さな生き物。ぽわっとした、警戒心など露とも感じさせぬこの少女の毒が、困ったことに。
「……それより大佐さん、なんだかお疲れのようです」
「ん? ああ、大丈夫だ、もう吹き飛んだ」
「……?」
「まったく、君は本当に困ったひとだよ」
蝕む毒でありながら、苦しめる毒でありながら。なおそれでも会えばその苦しみを緩和させてくれる唯一の薬のような存在なのだから。会わねばもう、ノワールに生きていく術はないのだから。
――彼女は毒にも薬にもなる、その差はほんの紙一重。