バンかけごっこ
アタシ達は車を降りて、敷地内に一歩踏み込んだ。
「懐かしいわねぇ……寮なんてすっかり綺麗になっちゃって」
アタシが警察学校の生徒だった頃の学生寮は木造で、今にも崩れ落ちてしまいそうなボロさだったし、壁なんてほんと薄くて、今みたいに個室なんてなかったわよ。
それに比べたらなんて立派な建物かしら。
「……いい子が見つかるといいですね、北条警視」
彰ちゃんがいつになく真面目そうな表情で言う。
「……あの子は?」
「あの子って誰です?」
「あんたの可愛いステディよ。県警を受験するって言ってたじゃない」
確か名前は周君とか言ったかしら。
あの子は高校を卒業したら、県警に入るってアタシにも宣言してたわ。
「……周君は、まだ来期からですよ。それに彼には絶対、特殊捜査班ではなく、強行犯係にきてもらいますから」
「採用試験で落ちたりしてね」
ま、たぶん大丈夫だと思うけど。
……さて。
今はちょうど体育の授業中。
警察学校にはアタシの古い顔馴染みが何人かいて、予め今日来ることを伝えておいたし、あんまり目立たないよう久しぶりに制服を着てきたから、すれ違う人達に何も不審には思われなかったようだわ。
まずは普通の学校で言うところの職員室に挨拶に向かう。
廊下を歩きながらグラウンドを見ていると、若い男の子達が走っているのが見えた。
ふと、耳に学生達の会話が入ってくる。
「なぁ、あの噂ってほんまか?」
「マジじゃって。俺、教官達が話してるの聞いたんよ」
「スカウトってやつ?」
「ま、そういうことじゃろ」
「……プロ野球みたいにドラフト会議とかないんかのぅ……」
「……ほんとにね」
アタシは思わず、口に出してそう呟いてしまった。
どの部署だって優秀な人材が欲しいに決まっているわ。
もっともアタシの場合は、仕事の上でもプライベートでも支えてくれるパートナーを募集中な訳だけど。
「え……?」
彰ちゃんが怪訝そうな顔でこっちを見てくる。
「今、学生達が話してたのよ。警察の人事にもドラフト会議があればいいのに、って」
「……聞こえるんですか? 学生達って、今、トラックを走ってる集団ですよね……?」
ここからトラックまでだいたい1キロってところかしら。
「聞こえるわよ」
「さすが、異常な聴覚の持ち主ですね……」
そうよ。だから、アタシの悪口を言う時は気をつけなさい。
さて、誰かいい子はいないかしら?
アタシ達は足を止めて、しばらく走っている学生達を見てみることにした。
「あ、彼なんかどうです? 一番前を走ってる彼」
彰ちゃんの視線の先を追うと、そこにいたのは五分刈り頭の筋肉ムキムキ。
「……もう、ああいうのは見飽きたわ、正直言って」
今いる部下は全員、あんな感じ。
どいつもこいつも筋肉フェチ。暇さえあれば筋トレしてる。
アタシが求めてるのは、爽やかなイケメンかつ、細マッチョなのよ!!
「……外見で決めるんですか?」
「いるはずよ、きっと。真剣に探してちょうだい」
すると彰ちゃんたら、深々と溜め息をついた。
「なんで僕が、せっかくの休みに……」
アタシは彼の肩に手を回し、耳元にそっと唇を寄せた。
知ってる? この子、耳がほんとに弱いのよ。
「あんた、アタシの事フったでしょ? それぐらいの罪滅ぼしぐらいしなさいよ」
「……何年前の話ですか、それ……」
ほら、真っ赤になっちゃった。可愛い。
その後も走っている生徒達を見守っていたんだけど、なかなかすぐに、ピタリと当たりは見当たらないものね。
今年は確か、新入生が全部で70人。2クラスに別れていたはず。
ちなみに大学卒、もしくは社会人の転職者達は短期課程で、年齢もバラバラ。
中には既婚者もいたりするから、気をつけないと……。
「教場に行きましょ」
アタシは彰ちゃんに背を向けて歩き出す。
「え、校長に挨拶は……?!」
「いいのよ、そんなのは後で」
ガラッ、と教場のドアを開けると、ちょうど授業中だったみたい。
教壇の前で一人の生徒が職務質問の実演をしていた。
こちらに気づいた生徒達も、教官もびっくりしている。
ちなみに教官はアタシの顔見知りで、今日来ることは伝えてあったからすぐに納得顔になったわ。
「あ、アタシ達のことは気にしないで続けて」
無理だと思いますが……と、後ろで彰ちゃんが呟いているけど気にしない。
一番後ろの席に陣取って、今、前に出ている生徒を見ていて気づいちゃった。
なかなかアタシ好みの顔してる!!
「ねぇ、彰ちゃん。あの子なんていう名前?」
「知りませんよ、そんなこと……」
「ちょっと、生徒名簿借りてきて」
「嫌ですよ、そんなこと自分で……いたっ、痛いです! あ、足が潰れ……わかりました、借りてきますから!!」
彰ちゃんが慌てて教場を出て行くのを見守りながら、アタシは学生達の下手な『バンかけごっこ』を見守ることにした。
「あの……もしもし。ちょっといいでしょうか?」
アタシが目をつけた男の子が、教官相手に警官役をするみたい。
「なんですか? 私、急いでいるんですけど」
「お時間は取らせません、少しお訊ねしたいことがあります」
「なに?」
「あなたのお名前を教えてください」
ダメよ、まずは自分から名乗らないと……。
こっちは今すぐにでもあなたの名前を知りたいのに。
「なんで、名乗らなきゃいけないんですか?」
「そ、それは……その……」
あら、これはちょっと……。
「まぁいいでしょう、私は立石といいます」
言いながら立石が片手をポケットに突っ込んだのを、アタシは見逃さなかった。
立石は警備課にいた頃のアタシの後輩。昔から顔色が悪かったけど、最近はもっとひどくなったわね。肝臓でもやられてるんじゃないの? 大の酒好きだし。
「では立石さん、持ち物を確かめさせてください」
「てめぇ、ふざけんな!!」
突然、立石が吠える。もちろん演技。
「何の権利があって人の荷物に触ろうっていうんだよ、このポリ公が!!」
ビクっと彼は全身を震わせた。
あーあ……あんなふうに怒鳴りつけられて怯んでたんじゃ、この先務まらないわよ?
顔は好みなんだけどなぁ。
「よし、ここまで。お前な、たかがあれぐらいでビビってどうする?」
はい……と、顔の色を失った彼はとぼとぼと自席に戻る。
うーん、どうかしら。育てれば伸びるタイプか、それとも……?
とりあえず候補の一人目にしておこうっと。
「次、誰だ?! 宮野!!」
元気な「はい!!」という返事と共に前の方に出てきたのは……これもまた、顔だけなら悪くないわね。
宮野君、覚えておくわ。
宮野君の職務質問はなかなか上手。
教科書をまるまる暗記してみるみたいな、まさに模範的な実演。
でもね、現実はマニュアル通りに行かないのよ。
「よし、いいだろう……北条警視!」
不意に、立石がアタシを呼ぶ。
「現役警官として、学生達に職質のお手本を見せていただけますか?」
あら、気が効くじゃない。
前に出れば必然的に、学生達全員を見渡すことができるしね。
そこでアタシは前に出て、ざっと学生達を見回した。
好みの顔をした子は何人いるかしら。
あ、いたいた。1人、2人、3人……あら、豊作じゃないの。
少なくとも5人は見つけたわ、あとで個人的に面談したい子。
と、そんなこと言ってる場合じゃない。
バンかけの模範演技を見せろって言われてるんだったわね。
仕方ないからアタシはわざと立石の背後に回り込み、後ろから急に話しかける。
「そこのあなた、ちょっとよろしいですか?」
「……な、なんですか? 急いでいるんですけど」
「お時間は取らせません。私は北条と申します。あなたのお名前を教えていただけますか?」
「……立石です」
「立石さん、では恐れ入りますが、持ち物を確認させていただきます。絶対にポケットへ手を入れないで」
「……嫌だと言ったら?」
「そんなことを言うと、私の心証を悪くするだけですよ」
立石が大人しくポーチを差し出してくる。
アタシはそれを受け取って、中を開く。
財布、名刺入れ、それからライター。
ライターには流川のとある有名なキャバクラの名前が印字されている。
「やだ、あんたキャバクラなんかに出入りしてんの? 奥さんに叱られない?」
あんた、生活安全課にいたことなんてなかったわよね。