告発の矢
その時、佐口さんの携帯電話に着信が入った。彼女は1コール目で素早く反応し、画面に視線を合わせることなく応答する。
「はい、こちら佐口」
彼女は二人の来客にちらりと目を遣る。
「ただいま取り込み中ですので、緊急性の低い用事は後程改めて…………」
素早く事務的な定型文を並べていたが、彼女の言葉はそこではたと止まった。顔色も一気に変わり、緊張が張り詰める。
「…………把握しました。私は今手が離せないので、代理で今から三人ほど送ります。詳細は彼らに伝えてもらえれば。……ええ、いつもすまない」
彼女は頬から携帯を離し、ふぅ、と一息つきながら通話を切断した。一瞬だけ明るくなった画面を盗み見ると、採用担当の四文字が写って、消えた。
「……ああ、話の腰を折ってしまって申し訳ない。こちらの仕事が一つ入ったもので。理恵、遼、朔馬の三人はこれより少し席を外すことになる」
前後の文脈から推測するに、先ほどの電話の件で間違いあるまい。
「僕らですか?」
自分に人差し指を向けて首をかしげる、という古典的しぐさで疑問の意を示してしまった。振り返って遼と理恵と顔を見合わせていると、佐口さんはよく通る声でその理由を補足した。
「これより君たちの高校に向かってくれ。そこでウチの採用担当が待っている」
「高校って、七丘?」
「君たちが転校したという報告は受け取ってないぞ。ほら、さっさと仕度」
言われるがままに頷き、出発の準備に取り掛かろうとした矢先、叡掠さんが口を挟む。
「採用担当、ということは人員の追加かな。良いねえ〈守り手〉は見境なくて。こちとらエッダに選ばれし者だけに、入団を許されてるもので」
「見境がないのはどちらだ。現に今の惨状を引き起こしたのは、そちらの軽薄さであることを忘れたか?」
何か言いたげな叡掠さんだったが、ともかく半ば強引に促され、僕らは図書館を後にした。
**
「採用候補なんていたんだ。遼、あんた知ってた?」
図書館までの道を行く。最近は森賀さんと四人で通ることが多かったこの道だが、彼女抜きの三人で歩くのは昨年以来。ほとんど時間は経っていないのに、随分と昔のことであるように思える。
「いいや、俺も初耳。でも言われてみれば、いたとしてもなんらおかしくないよな。関係者をすべて異能力者で固めなければならないなんて決まりはないし、それに一般人に協力者がいると何かと便利だ」
「便利って、例えば?」
考えてみたが、ぱっとは思いつかない。
「そうだな…………たとえば、連盟が異能力者の配置を把握しようと努めてるって話があるだろ。ほら、朔馬がウチに入った時もデケムが来た」
「確かに、来てたね」
「俺たちは紳士協定に基づいて、人員情報に関しては公開のものとしている。連盟はその中継役だ。魔具や禁書の類は、ある特定の異能力者の協力が必要不可欠の場合もある。そりゃ緑玉碑文はヘルメスの方がよく扱えるだろうし、カエサルの物はカエサルにって昔から言うし」
「それはちょっと違うでしょ」
今のはツッコミ待ちだったようで、遼は嬉しそうに言葉を続けた。
「おっと失敬。まあ、それもこれも表向きには世界を円滑に守っていくためって奴なんだが、実際はパワーバランスの監視合戦だよ。当然お察しの通り」
「それとこれと、何の関係が…………」
そこまで言いかけて、僕は口をつぐんだ。一緒に足も止まって、理恵と遼は振り返る。
「もしかして、公開が義務なのって異能力者の情報だけだったり……?」
「そ、その通り。誰をどれだけ抱え込もうが、戦力と見なされなければ好き勝手やって構わんわけだ。当然、俺たち内部といえども共有されている保証は無い。今回みたいにな。全部知ってるのは誰だろうな…………綿津見と、あと佐口くらいか」
「採用担当、どんな人なんだろうね」
「さあな。どんな人であろうと、仕事仲間が増えるだけだよ」
理恵の投げかけを軽く流した遼。そのそっけない反応に、むすっと頬を膨らませた理恵は、今度は僕に話題を振った。
「異能も魔術も無いのに、私達に協力してくれてるなんて、何か事情があるとかかな?」
「さ、さぁ…………」
さすがにさっきの遼と同じ返事をしちゃまずい。とはいえ誤魔化すわけにもいかない。
「詮索するべきじゃない話かも。楽しいエピソードばっかりの世界じゃないし」
「それはそうね。でも、なんで学校で待ち合わせなんだろ。もしかしてクラスメイトだったり……」
「そうならば、異常者の密度が高すぎるな、我がクラス。中の句字余り」
異常者という呼び方はどうかと思うが、まあ通常ではないから間違ってはないか。
**
「あれ、あそこにいるの先生じゃん。何してんだろ」
下校時刻はとうの昔に過ぎ、片側だけ閉まった校門には、静かにもたれかかる男が一人いた。それは間違いなく、ジャージ姿の僕たちの担任だ。目を閉じ、誰かが来るのを待っているようだ。
「せんせ、何してんの」
理恵が声をかけると、彼はゆっくりとその瞼を上げた。
「ん? ああ、なんだお前らか」
「どうしたんですか。誰かと待ち合わせ?」
先生は理恵の顔をまじまじと見つめ、その後遼と僕の顔も交互に見た。そして頭の中で何かを反芻し、しまいには「なるほど」と呟く。
「まったく、相も変わらず人が悪い。こっちもこっちの準備があるってのになァ」
「何の話?」
「何もなにも、独り言だよ。とはいえ考えてもみてくれ。今学校は不審者騒ぎで半封鎖状態。校門指導する生徒もいないんだから、教師がここで突っ立ってる意味はない。強いて言うなら、図書館から待ち人がここまで寄り道せずに来ると仮定するならば、通過する校門はここだろうなと踏んだだけなんだが……さて、そろそろ誰か気付く頃か?」
彼の苦笑の意図は、さすがの僕にも見当がついた。
「先生…………副業してます?」
「おうとも。あらためまして、採用担当の新崎だ」
先生は笑った。その笑みはたった今より、日常に属するものではなくなった。
**
人狼ゲームで言うところの狂人役だな、と先生は自身の立場を説明しながら、昇降口の鍵を開ける。促されて、僕らは電気の消えた校舎に足を踏み入れる。
「人狼は狂人の存在すら知り得ないが、狂人は誰が人狼であるかを知り、それを影ながら支援するのが役目だろう。俺もそうだ。誰が異能力者たるかを把握し、そのバックアップをする」
「具体的には?」
遼が問う。
「そうだな。万が一の際の情報操作とか、不慮の破壊行為の後始末とか。お前らも、年末に盛大に校舎をぶっ壊しただろ。ああいうのの修理は俺が請け負っている」
先生の後を追い、校舎を進む。この方角は中等部方面だ。
「どうやって工作してるの。もしかして、先生も魔術を?」
「いいや。ただその代わりに禁書を一冊借りてる。ほら、あそこは図書館だろう」
「図書館って、そりゃそうだけど……。なんでいままで私たちに正体を明かさなかったのよ。協力すれば、便利なことだっていくつもあるでしょう」
理恵の質問は当然ともいえるものだった。僕も気になる。だが先生はふと顔色を曇らせて、いきなり立ち止まってしまった。
「今だって、明かすつもりはなかったとも。だが佐口がそうすべきと判断したなら、従うより他にない」
「答えになってないぞ、センセ」
「メリハリをつけなきゃならんだろうが。〈守り手〉での縁と、学校での関係とは話が別だ」
「相手は同じなのに?」
「そうだ。いや、だからこそ、といった方が正しいか」
先生は深く息を吐き出す。
「入った店の店員が知り合いでも、だからといって何かあるわけじゃないだろ。なんでも線引きは大事なんだよ」
またすたすたと歩きだした先生の後ろを、僕らは今度は黙ってついて行った。
「さて、ここだ」
立ち止まって鍵を取り出した教室は、中学一年のC組だった。そういえば僕も中一の時はC組だ。なんだか懐かさがあふれてくる。
「口で説明するよりも先に、まずは見てもらった方が早いと思ってな。入る時、頭に気をつけろよ」
先生の言葉に違和感を覚えるより先に、教室に最初に入った遼が悲鳴を上げた。
「うわッ…………今変な声出た」
続いて僕と理恵も教室に入る。異変は一目瞭然であった。
「なに、これ」
教室の壁という壁、天井、黒板に至るまで、ありとあらゆる場所に所狭しと人の顔が並んでいた。窓にまでそれは及んでおり、陽光が遮られて教室は薄暗い。電気をつけようと手を伸ばしたが、スイッチにも顔が貼りつけられているのを見つけ、思わず手を引っ込めた。
気味が悪い要因はまだある。そしてそのどの顔にも、大きな紫色の罰点がつけられていたのだ。それらが足元にも張られているのに気が付いて、僕は慌てて足の踏み場を探す。
「…………写真、か」
顔の正体は写真だった。その枚数は百や二百を下らないようだ。机や椅子にも貼り切れず、教室に縦横無尽に張り巡らされたロープにも、夥しい数の写真が吊り下げられている。先生が言っていた頭上、とはこのことらしい。これが国旗か何かなら、パーティーの飾りつけにでも見えただろう。
「……ここのクラスの生徒や、授業を受け持っている教師たちの写真だ。全てを確認しきれたわけではないが、たった一人を除いて、このクラスの構成員全てが被写体になっている」
「その一人は?」
先生は何も答えず、黙ったまま教室の後ろまで進む。ごみ箱の中に手を突っ込んだかと思うと、取り出したのは一足の上履きだった。
「射手矢悠里。つい先日、俺のところにいじめの相談をしに来た男子生徒だ」




