表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/114

契約↻更新

 時計の針は、午前三時を少し過ぎたころ。寝静まった大通りには、タブレットを見つめてとぼとぼと歩く、一人の少年の姿があった。

 その足元に影は伸びない。姿を照らすはずの街灯は、彼が横を通る時に限って不自然に消えてしまうのだ。彼は暗闇の中にいた。ただ星々だけが、遠方よりその姿を照らす光源となる。


「インスマスの仮定着は完了。ルルイエが浮上していれば二つ目となっていた筈でしたが、こればかりは仕方ありませんね。あとはそれぞれにどの色をあてがうか(・・・・・・・・・)ですが………」


 彼はきょろきょろと左右を確認すると、駆け足で車道をわたる。目指すはこの通りに面した純喫茶だ。普段は自らの棲み処たる『路地裏』から出ることのない彼であったが、今日ばかりは事情が違った。彼は呼ばれた(・・・・)。己が契約者に。己が同盟相手に。




「……失礼する」


 からん、とドアベルが鳴る。扉を開けるとすぐに、むせかえるような血の匂いが少年を包み込んだ。

「……良い趣味してるな。死体の山と血の海の中で優雅にティータイムとは」


 カウンターに倒れかかる店主。座席についたまま息絶えた常連客たち。ある者は黒焦げに。ある者は首から血を流し。またある者は口や鼻から泡を吹き出し。全員がまったく異なる方法で絶命していた。


「アンタは珈琲の方が好きかい? まあ、人間以外に飲茶の習慣があるなんて話は聞いたことないが」


 その中でただ一人、一切動ずることなく紅茶をすする青年。カウンターの一席に座って静かに本を読む彼は、入口に一瞥もくれずに口を開いた。


「まあいい。習慣のあるなしに関わらず、一杯付き合ってもらおうか。そういう筋書きなんだ。ご了承願いたい」

「……いいでしょう。ヒトのもてなしはなんであれ、僕たちの力となる」


 少年はまっすぐ店内を進むと、空いている席に黙って座る。青年は本から目を離さぬまま立ち上がると、カウンターの上にすでに用意していた紅茶を一杯、少年の席まで運ぶ。まだ湯気がたちのぼっていた。


「神殺しの逸話がある毒でも混ぜましたか?」

「ダージリンだ。契約相手に無粋な真似はしない」


 青年の目をじっと見つめていた少年だったが、やがて一思いにそれを飲み干す。やがて少年は喉をおさえて苦しみだすと、椅子から音を立てて転がり落ち、そのまま動かなくなった。


「……ま、嘘なんですけどね」


 青年は大きく息を吐き出すと、少年の死体を踏まないように避けつつカウンター席まで戻る。ちょうどその時、またドアベルがからんと音を立てた。店に入ってきたのは、先ほど死んだはずの少年だ。彼はなにか言いたげな表情で、青年をまっすぐに見つめている。


「おや、非礼を詫びた方が良いかな。砂糖の代わりに、純度の高いヒュドラの毒を混ぜたんだが」

 青年はそこでようやく本から目を離すと、依然床に倒れ伏したままの少年の死体に視線を移した。

「ちゃんと効いて自分でもびっくりしている」


「いや、構わない。言ったでしょう、どんなもてなしも僕らの糧となる。君が僕を殺すなら、君という人間と僕という存在の間に、殺害という新たな関係性が紡がれたことを意味する。それは僕の存在そのものを強化することにも繋がる」


 少年は自身の死体に近づくと、そのわき腹を靴の先でつつく。死体は霧のように消え去った。


「だが先ほど君が『毒を盛っていない』と言った時、心の底からそう言っていた点には興味がある。その毒入り紅茶は、君自身で淹れたはずだろう。あそこまで自身を偽れるとは、感心の域と言っていい」

「得意分野ですから。虚構の世界を、さも現実のことのように描画するのは小説家の十八番でして」



 青年は横の席で動かなくなった客を突き飛ばすと、空いた席に少年に座るよう促した。


「…………さて。本題に入ろうかナイアルラ(・・・・・)君。昨日------といってもつい数時間前のことだが、黄泉の術式が成功を迎えた。こちらが用意した画材は黄。さて、そちらは何を提示する?」

「せっかち者めが。…………インスマス、だ。秘密教団に覆われた、陰鬱と閉鎖の港町」

 ナイアルラが忌々し気に吐き捨てるが、青年が意に介する様子は一向に無い。


「うん、いいだろう。ではこれより、彼女の統べる世界は理科室からインスマスへと移行する。その共通点は強欲。人の皮を求める人体模型から、深海の秘宝を求める漁師への変容だ。うん。良い筋書きじゃないか」


 彼は読んでいた小説にしおりをかけると、今度はポケットから手帳を取り出した。彼は自分の発言を手帳に書き留めると、満足げにそれをしまう。


「僕たちはこれで、それ単体で閉じた箱庭の世界をひとつ得る。君は自身の属する虚構をひとつ現実とする。これぞまさしく等価交換だ。違うかい?」


 少年は------ナイアルラは黙ったまま、青年の顔を見つめている。その表情に嘘まやかしが無いか見極めようと放たれた視線は、やがて意味がないことを悟って虚空を向いた。


「つくづく妙な男だ。どこまでが嘘で真実か、境界を意図的にぼかせるヒトなど滅多にいない。それも君の魔術の為せる業ですか」

 ナイアルラのぼやきを聞くと、青年はいわくありげな笑みを浮かべる。


「これは僕の(さが)というか、生まれついての妄言吐きでね。魔術はそれを加速させたに過ぎない」

「……それも嘘?」

「ご想像にお任せします」



 青年がはぐらかすと、二人はしばし無言の時を過ごした。時計の針だけが律義に音を刻み、ときおり不規則な水滴の音が店内に響き渡る。滴るは紅茶、血液、水道水。背の高い丸椅子に腰かけた、二十歳程の青年と、小学生ほどの少年だけが意志を持って動いている。




「…………黄泉は昔から面白い子でね」

「興味無い」

「まあそう言わず。子供って時に残酷でしょう。蝶の羽を引きちぎったり、アリを巣から捕まえて遠くまで持ってっちゃったり。捕まえた虫を引き出しに入れたまま、衰弱死させちゃったりとかもありますね。ちょうど君の見た目くらいの年齢の子供の周りには、大人の周りよりも死が充満しているものなんですよ。その死の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、子供はそれを忌み嫌って大人になる」

 青年はそう言うと、胸いっぱいに息を吸い込んで見せた。彼が今吸っている空気こそ、死がぎっしりと充満している。



「黄泉…………この国における、死者の世界を示す名でしたか」

 ナイアルラはそんな青年の思惑が読めず、結局話に付き合うことにした。


「そう。名前とは呪です。タンパク質の塊でしかない僕たち人間を、それぞれの個たらしめる烙印だ。僕らにとって名前を与えられることは、すなわち運命を定められることに等しい。あの子は黄泉という呪を授けられた。であるが故に(・・・・・・)、あの子は一切の死という概念を遠ざけられ、十八になるまで育つに至った」

「倒錯的、のように思うが、いや、違う」

 青年の視線に含まれた、その試すような色を嗅ぎ取る。


「ああ、果たしてそれは家の思惑であり、そして成功した。あの子は死霊術を継ぐ身でありながら、死というものに向ける感情があまりに希薄だ。生を肯定せず、死を否定せず、死霊に哀れみを向けず、死体に憐憫を抱かない。ああまるで、小説家が自分の書いた作品に向ける無感情と同じじゃないか」


 青年は最後の文言を強調した。ナイアルラはそれにより、ようやく彼の話の意図を掴む。

「ああ、成程。それは僕たちに(・・・・)極めて近い」


 他人が一方的に抱く感情こそが核であり、実際に存在するか否かは二の次である。たとえ虚構を信奉していたとしても、そこに信心あるならばそれもまた、ひとつの在り方である。

 それは奇しくも、ナイアルラが属するかの神話大系と同じ原理のものであった。否、偶然ではあるまい。土御門家は、おそらくそうだとわかって(・・・・)、あえてそうしたのだから…………。



「……では、お次もよろしくお願いしますよ。次は白か、緑か、はたまた我が黒か。キャンパスの用意は急がれますよう…………」


 青年は去り際に財布から千円札を取り出すと、もう動かない店主の死体に向かって放り投げた。からんからんとベルが鳴り、店内にはナイアルラがただ一人残された。

「朔馬さんと同じで、あの人にもどこか同属の匂いを感じますが……これは嘘の匂い、ですかね?」


 ナイアルラが店内を照らす照明に鋭い視線を向けると、パリンと音を立てて電球が割れる。喫茶店は暗闇に包まれ、影と形の区別は曖昧になる。


「…………土御門、黒乃(・・)。奇妙な名前だ。これは縁か? それとも…………」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング

ツギクルさんはこちらです。クリックで応援よろしくお願いします!↓

ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ