滑走するもの
散らばる点と点を線でつなぐのは難しい。推理小説なら話は容易になる。紙の上では本筋に関わらない情報は排除されるからだ。だが現実は、そう巧く情報が転がり込むことはない。
背後は、気付かぬうちに取るものだ。
まだ夕方。校内には教職員はもちろん、部活動に勤しむ生徒たちも多数残っている。彼らを避難させるべきか否か、峰流馬は悩んでいた。
「だが避難させるにも方便が立たねえ。何かいい案あるか?」
「校舎に放火するとか。あとで私がちゃんと消すからさ」
「馬鹿野郎、俺たちが破壊活動をしてどうする。それに、万一火災が起こったら避難場所は運動場だろうが、アネクメーネ化する裏の学園って奴がどこまで広がるか判らん以上、やるなら徹底的に中を無人にしなけりゃならん。…………まあいい、策は道中考えるとして、だ。おい二人とも、まだ準備終わんねえのか」
峰流馬は既に扉の前に立っているが、女子二人はあれこれと準備を進めている最中だ。森賀は鞄の中に入れて持っていく人形を選びあぐねているし、良須賀は鞄一杯に水を入れたペットボトルを詰め込んでいる。
「お、重い……。遼、この鞄運んでってくれる?」
「ああもう、わかった。わかったが、一刻を争う事態になるかもしれない以上、俺は先に向かってるぞ。急いでくれよ」
峰流馬は重い鞄を受け取ると、溜息をついて背負いこむ。そうして彼は扉の前に立ち、ドアノブに手をかけ------
「黒猫、いる!?」
その瞬間、扉は勢いよく開け放たれる。言わずもがな、目の前に立っていた峰流馬は弾き飛ばされた。代わりにぬっと姿を現したのは、なんと息を切らしたカフ。素早くあたりを見渡したが、探し人の姿を見つけられず落胆する。
「……あら峰流馬、ひとつ尋ねても?」
「まず謝罪の一言でも挟んでくれると嬉しいんだが……痛ってえ頭打った……」
良須賀に助け起こされた峰流馬は、鞄を背負いなおして頭をさする。
「黒猫ならさっきの座標の調査に行ったぞ。伝言なら承るが」
丁寧に申し出た峰流馬だったが、カフはその誘いを断った。
「いえ、いいの。自分で伝えるわ」
「そうか。…………時にカフ。お前、これから少し時間あるか? 丁度いいところに来てくれた。少し力を借りたい」
峰流馬が借りたいという力、それはもちろん幻術である。
「ええ、別に構いませんが…………何をするんです?」
事情をよく呑み込めていないカフは、流されるままに首を傾げた。
**
その日、学校に不審者が出たらしい。
警察にも通報されたが、結局その不審者は捕まらなかったそうだ。とはいえ念には念をということで、教職員を含めて一世下校することになった。門はすべて警察が見張ることになったとも聞いた。
『---ということで、今日はもう学校には入れない。それと、送られてきた馬の死体はその不審者と関係あるかもしれないという話になって、警察が回収していったんだ。悪いが詳しい話を後日でいいから聞かせてくれるか?』
「ええ、僕は構いませんよ。では良須賀にも伝えておきます------」
峰流馬は電話を切ると、隣にいるカフに目線を送った。
「……助かった」
「礼には及びません。人影の一つや二つ、噂の一つや二つ程度、些細な幻ですから」
彼女は遮光カーテンを少しだけ開けて、外の様子を伺う。峰流馬をはじめとした四人は、既に理科室の中にいた。
「………いま、巡回の警官が外に出ました。交代の者が中に入るまで五分ほどの猶予があります」
カーテンを閉じる。部屋は夕焼けさえも遮られ、より一層暗くなる。
「で、どうするのよ。本気でアネクメーネに潜るつもり? このままじゃ私達、飛んで火にいる夏の虫だと思うのだけど」
良須賀が鞄からペットボトルを取り出した。机の上に並べたそれらのキャップを開けると、その全てに指をつっこんでいく。水は透明から赤に移り変わりながら、彼女の周りをヴェールのように取り囲んだ。
「綿津見達に断りも入れずにさ。子供が四人敵陣に飛び込んで、はい元凶やっつけましたとはならないでしょ。相手はあの土御門黄泉。返り討ちどころか、魂まで抜かれてはい終わりよ」
良須賀がぐえっとふざけて声を出すと、口から赤色の魂が飛び出してきた。もちろん、異能力を用いたお遊びだ。
「いや、戦わない。冷静に考えてみろよ。今回理恵宛に送られてきた馬の死体は、間違いなく死霊術に用いるためのものだろ」
「そうね」
「だが死体は速やかに学校外から運び出されて、今はもうここにはない。もし死体に直接細工をするのなら、怪異の発生は学校内じゃ起こらない」
「ええ。でも蛙もツバメも鯉だって、正確に学校に対応する座標上で観測されたわけじゃないわ。戦闘箇所だって街中に散らばっている。報告書、読んだでしょ?」
ああ、と峰流馬はとりとめもなく相槌を打つ。いつもならすぐに答えに辿り着いている筈の彼の頭脳は、今度ばかりは苦戦を強いられているようだ。
「だが、死体がこの地を経由していることは何か理由がある筈なんだ。そうだろ?」
峰流馬は棚を開けると、フラスコやら試験管やらを数本拝借する。
「見届けるか。黄泉の策略が、一体この学園でどう結実するか------」
**
巡回の当番が来た。まったくもって奇妙な仕事である。
----学校に不審者が出た。だから念のため、校内の見回りを含む警備をすることになった。
これはわかる。この学校には以前も爆破予告なんてものが届けられたことがあって、その時も近所の警察署から人員が派遣された。子供の命を守るのは、我々の立派な仕事の一つである。
だが先ほど自分は、馬の死体なんてものを運び出していた。脚が不自然にねじれた馬の死体。死んでからそう長い時間が経っていないソレを、その奇怪な脚からなるべく目を逸らしながら運び出す作業は決して心地よいものではない。
「薄気味悪いよな、人のいない学校って…………」
ぼやきながら廊下を歩く。人がいないぶん無機質な廊下がより無機質で、冷たい。どこまでもどこまでも無限に伸びていくような感覚を覚えるのが少し怖い。
「それにしてもあの馬、可哀想だったな…………。脚、あれじゃ相当痛かっただろうに」
あらぬ方向へ折れ曲がった脚は動きを封じるためのものか、それとも別の目的があったものか。どちらにせよ、それが致命傷となったわけではあるまい。せめて絶命後に折られていたことを祈るしかない。
「脚、ほんとに四本だったよな。ぐちゃぐちゃになりすぎて、もっとあるようにも見えたが……」
警官はそこで立ち止まり、ぶんぶんと頭を横に振った。考えるだけでもいたたまれなくなる。
**
「…………行ったか。後はあの警官の安否にさえ気を配ればいい」
おそらく警官の者と思われる人影は、理科室の前を通り過ぎて行ったようだ。峰流馬は止めていた息を吐き出すと、身を起こした。
「後を尾行るぞ」
「りょうかーい」
扉が軋まないように、一行はゆっくりと廊下に出る。冷め切った廊下に差し込む夕陽も、もうすぐ落ちてしまう頃だ。
「…………私、帰ってもよろしくて?」
唯一、教室の中に留まっていたカフが、ゆっくりと口を開いた。
「ここまでの小細工には手を貸しました。これ以上貴方たちを助ける義理、ありましたらご提示ください」
「いや…………無い。助かった。感謝する」
何か言いたげに口を開いたが、結果揉め事を避けた峰流馬。その返事にカフは満足したようで、ゆっくりと頷くと、その姿を煙に変えた。続いて彼女は、警官が歩き去ったのと反対側の廊下に姿を現す。音もなく。
「…………ああ、後で言った言わないで黒猫と揉めたくないですし、やっぱり忠告だけしてあげます。先ほどお渡ししたアマデウスですが…………」
彼女はそう話している間にも、足のつま先からどんどんと輪郭を失っていく。霧がたちこめはじめたのか、それとも彼女の身体が霧となって消えていくのか。おそらく後者だろう。
「世の中そう巧い話があるはずもなく、ですよ。利用するつもりで利用されないようにお気をつけて」
彼女は最後に意味ありげな口元のゆがみだけを残すと、跡形もなく姿を消した。立ち去る足音すら、耳を澄ませど聞こえてはこない。
「……行くぞ。頭の片隅に置いておく程度で留めよう」
「カフ、私達には素っ気ないよね。黒猫にはあんなにべたべたなのに。ま、学校も所属も違うんだし、当然っちゃ当然か」
「さあな。魔術師の考えることは、俺にはさっぱりわからん」
今の話に魔術師だからは関係ない。彼の興味は既に、警官の動向に移っていた。
**
部屋は教職員の手によってすべて施錠されている筈だ。いちいちすべての教室を開けなくていいというのは幸運だった。でなければ、扉の向こうに何かいるかもしれないという恐怖と、何度も何度も向き合わなければならなくなるところだった。
廊下の突き当たりの角を曲がる。
「…………痛ッ」
つま先に何かが当たった。そこに置いてあった予備の椅子に気付かず、蹴っ飛ばしてしまったらしい。運悪く小指に衝撃が入ったようで、つい顔をしかめる。
そういえば、さっき馬の死体を運搬したときも、何度か角に死体をぶつけてしまったのを思い出す。荷台に乗せたはいいものの台座に収まりきらず、曲がり角のたびに脚や頭をぶつけてしまったのだ。もう死んでるとはいえ、申し訳ないことをしたな。
「------それでいい、その、罪悪でいい」
突如、耳元に囁き声と、含むような笑い声。驚いて横を向いたが誰もいない。振り返る。いない。それでもクスクスクスと、女性の声は止むことはない。
「だ、誰だッ!」
ライトを点け、あたりを片っ端から照らしまくる。誰もいない。いない、いない。
クスクス、クス-----
「こ、こちら校内巡回担当、校舎内に誰か…………」
慌ててトランシーバーにがなり立てる。だがこんな時に限って巧く作動しない。
言い終える前に、先ほど歩いてきた廊下の奥から、なにかが滑るような音が近づいてくるのに気が付いた。はっと我に返り、おそるおそる、廊下の奥を覗き見る。
「何か----------」
**
「だ、誰だッ!」
警官が突然、虚空に向かってライトを照らしはじめた。そのままトランシーバーに何か騒ぎ立てたかと思うと、そっと振り返り、今度は元来た道の様子を伺うと、ひっと息を呑む。明らかに、彼には峰流馬たちに見えていないものが見え、聞こえないものが聞こえていた。
「…………おい、始まったぞ」
峰流馬は姿を隠すのをやめ、警官に向かって駆けだした。慌てて二人もその後を追う。だが廊下に彼らが姿を現しても、警官は一向に三人に気付く様子は無い。
「なぁアンタ、どうした?」
峰流馬は警官の前に立つと、肩を叩いて話しかけた。だがそこまでしても、警官は峰流馬に気付かない。やがておそるおそる、まっすぐ森賀に向かって指をさす。
「ば、バケモノ…………」
「失礼が過ぎるでしょう」
「いや、違う…………」
良須賀が何かに気付いた。警官は確かに森賀を指さしているが、その焦点は彼女に合っていない。もっと、もっと後ろ。
振り返る。
そこには、先ほどまでいなかったはずの、一匹の馬が立っていた。オレンジ色の陽光を浴びて、その純白の身体が美しく光り輝いている。
いや、ただの馬ではない。異様さは誰もがすぐに目についた。腹部には黄色い魔方陣。そしてその脚は四本ではなく、八本だ。下半身はごちゃごちゃと、その全てが蹄で廊下のタイルを小突く。そして走り出した。脚は全て地に着かず、地面を滑るようにこちらへ進みだす。
「スレイプニル…………」
馬は開いた窓から流れるそよ風をその身に受けて短く嘶き、そしてその奥に浮かぶ、巨大な三日月へ目を向けた。その様子を目で追った彼らは気付く。ここはもう、アネクメーネの中だ。




