叡智のシンギュラリティ
魔術連盟に共通の目的は無い。各々の家は自らの悲願のみを追い求め、そこに協調性の文字はない。ただその皮を被るのみだ。
それは利己的な行動しか行わない筈の野生動物が、将来自らに見返りがあることを期待して利他行動を行うことがあるのと同じ。理性をひたすらに追い求めたはずの彼らの行動は、それでも野生に縛られるのだ。
「ああは言っていたものの、これもデケムの計画のうちなのよね」
魔術連盟の通路を急ぎ足で駆け抜けながら、カフは短く舌打ちをする。〈道化師〉に命令されて、仕方なくアマデウスを作成した? 馬鹿馬鹿しい。魔術師が魔術を振るった時点で、それはすべて己のための行動なのだ。
幻術師がその姿を他人に見せることは極めて稀である。殺気だって歩き去る彼女の姿を、連盟の職員たちが物珍しそうに振り返る。
とはいえ、彼女とて理智の世界の住人である。第十書庫の扉が完全に閉まるころには、その頭は幾分か冷静になっていた。依然として焦燥と苛立ちは隠しきれていないが、一度立ち止まってこれからの行動を考えるだけの心の余裕は確保していた。
「黒猫達に魔術式を共有して、それでその後はどうするのよ」
自問には、もちろん自答するしかない。
魔術式は、その術式の仕組みを把握することで効力が薄れるものが多い。数学の公式と同じだ。一見すると答えを導く魔法のアイテムのようにも見えるが、仕組みさえわかれば魔法でも何でもない、ただの計算の集積だと判る。
黒猫達にアマデウスの開発動機、ならびにその意図を伝えたとしても、状況が変わることはない。彼女たちは自ら戦う力を求め、魔術連盟はそれに応えたに過ぎないのだ。カフがそれに水を差し、結果アマデウスの使用が控えられたとしても、今度はまた戦力不足という壁にぶつかることになる。どちらにせよ、彼女らのためにならない。
「------おや、あんたは確か運命の輪の…………」
道半ばで呼び止められ、思考は途中のままに意識が引き上げられる。カフが振り向くと、そこには一人の男が立っていた。クリップで束ねた分厚い書類を携えた彼はカフの顔を見てにこりと笑い、被っていたフードを脱いで丁寧にお辞儀をする。その礼儀に、ひとまずカフの方も応えることにした。
「運命の輪の従者、カフと申します。貴方は確か、隠者の従者の……」
覚えててくれたんか、と男はぱあっと表情を明るくする。彼は〈隠者〉の名前に合わず、その性格は社交的であるようだ。
「ヨッドや。従者就任の儀以来の顔合わせやな。ま、お互い姿を隠す身やから、仕方ないっちゃ仕方ないんやろうけど」
こてこての関西弁が耳につく。そういえば、彼はたしか関西の方にある大学に通っているのだとか。
「で、どうしたんやカフちゃん。そんな気難しい顔して」
「え、ああ、まあ色々と悩み事が……」
「高校範囲の勉強ならちょっとは教えられるけど」
「いえ、そういうわけではないです。お気遣いありがとうございます。では…………」
ここでにこやかに立ち話をするつもりはカフにはない。軽く頭を下げ足早に立ち去ろうとする。その背中に、ヨッドの落ち着いた声が降りかかった。その声色は先ほどまでとは打って変わって、鋭く、低く、力強い。
「------道化師の策に弄されたか?」
図星を指されたカフが振り返る。そこには先ほどと変わらぬ笑みを浮かべたまま、肩をすくめるヨッドの姿。
「何故、それを」
「従者とはいえ僕は隠者に類する者やからな。知識の蓄えは十分や」
「アマデウスの作成に、第八席の〈隠者〉も関わっている。そういう解釈でよろしいでしょうか」
「いいや、答えはノーだ。君が正しいのは礼儀だけ。憶測はすべて誤植まみれだ」
「なんですって…………?」
途端殺気立つカフを見て、慌てて弁解を挟むヨッド。
「ちゃうちゃう。僕は君を怒らせたいわけじゃないんや。僕が言いたいんはつまり、君の目は曇っているということ。姿を惑わす霧の中に留まりすぎて、自分の視界を曇らせる雲に気付いとらん」
「曇らせる…………誰が私を曇らせてるっていうのよ」
「それを言ったらおしまいやろ。他人に指摘されないと気付けないのは、ただ自分の視界が曇っているという事実だけやからな」
全て見透かしているようなヨッドの口調に腹が立たないわけではなかったが、彼が悪意を持って発言しているようには見えなかった。カフがその意図を問うと、彼はしたり顔で声を潜めた。
「君は他の魔術師とは違う。過去に囚われ、旧習だけを後生大事に抱えるような老人共とは見ている方向が違う。僕と同じ、この吹き溜まりを超えて進む者だ」
違うかい、とこれ見よがしにウインクをするヨッド。だがしかし、カフは首をきっぱりと横に振った。
「いずれヒトを越える私達には、自己と他者以外の区別は不要よ。私とあなたは、残念ながら同じじゃない。私は私の道を行く」
決別を込めてそう言い放ち、一瞬にして姿を消したカフ。その残滓を求めて、ヨッドは空中に目を滑らせた。その目に慈愛や友情は欠片もなく、そこにはただ諦めだけが充満する。
「いいやカフ、魔術師は変わらなあかんのや。この時勢のうねりは看過できん。だってそうやろ? ヒトの作りしカミを宿す異能力者が現れたのなら、逆もまた然り。僕たちもいつか、カミが作りし起源魔術を------」
彼は自分の言葉を言い終わらぬうちに歩き出す。彼の手に持つ書類の束。それはデケムから報告が上がったばかりの報告書。現在〈禁書の守り手〉に所属する一人の異能力者、黒乃朔馬に関するデータであった。
------異能力の起源として本人が主張するのは、演劇の舞台装置デウスエクスマキナ。古代ギリシアから連なる演劇の歴史の中で作り上げられた、神の名を冠するシステム。物語というひとつの世界に神の如き力を以って鎮座する。人造の神ともいうべき概念。カミの落とし仔たる異能にしては殊に、ヒトの領域たる魔術に近しいことを報告しておく。
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中学三年の教室で飼っていた金魚が死んだらしい。
中庭の池で放し飼いにされてた鯉も死んでいた。
高校二年の校舎棟に巣を作っていた燕の姿も、いつごろからかぱったり見かけなくなった。
学園の中では、死という言葉を軸にした奇怪な事件が多発していた。だが生き物は生きている限り、いつかは死ぬ運命にあるのもまた事実。それらが連続したからといって、互いに関連があると考える者は稀である。
唯一、峰流馬遼を除いて------。
「------なァ理恵。ここ数か月に出現した怪異のうち、廃墟区画に出現した一覧を読み上げてくれるか? たしか金魚と鯉がいたはずだよな」
カフは連盟に戻り、黒乃たちも扉をくぐり調査に向かった。ヤイバとミツは連れ立ってどこかへ出かけてしまっていたから、この場に残っているのは峰流馬と良須賀、それと森賀の三人のみであった。良須賀はちょうど、今月の戦闘記録を報告書にまとめている所であった。
「えーっと、金魚の幽霊、火炎吐きの鯉、虹吐きの蛙」
「ドマイナーな怪異ばっかりだな。虹吐きってあれか、魂を喰らう蛙か?」
「そうよ。一緒に現れた雨ツバメを喰らって凶暴化して、もう大変だったんだから」
「なんだ、ツバメもいたのかよ。理恵も花音も、それで気付かなかったのか?」
「…………何のこと?」
はたから見れば一目瞭然の符合も、当事者にとっては意識しづらいというのはよくあることだ。峰流馬はここ一か月ほど、偏頭痛を理由にアネクメーネでの活動を休止していた。彼は報告形式でのみ情報を収集し、だからこそ第三者の視点を保つことが出来ていた。
「表層にほど近いアネクメーネにおいて、人体模型が理科室から逃走したんだろ。それに呼応するように、エクメーネでもさまよう人体模型が目撃された。つまりアネクメーネ-エクメーネ間に物質的な経路が繋がれたことになる」
「そうね。で、それとツバメに何の関係が?」
「大アリだろう。人体模型を解き放った土御門黄泉は何の魔術師だった? 死霊術だ。廃墟区画の怪異はどれも、エクメーネ側の学園内で死亡した生命と一致する」
「蛙は?」
「学園のどこでなにが死んでいてもおかしくないだろ。ただ金魚、鯉、ツバメの三種については、同時期に学内での死亡が確認されている。知ってるはずだ。そしてその死体はどれも、どこかの誰かが回収していったことも」
死んだ者の行く末を気にする者は少ない。墓に埋めるまでは気にかけることがあっても、逐一掘り返してそこにいることを確認するものなどいないのだ。
「待って、つまり遼は、怪異を生み出したのは黄泉だって言いたいのよね。たしかにここ最近出現した怪異はどれも、今までこのあたりでは観測されていないものばかりだけど…………」
森賀も作業の手を止め、二人の会話に混ざり込んだ。彼女は眺めていた魔術目録を指でなぞると、そのうちの一行を読み上げる。
「死霊術。呼び出したい魂を用意した死体に吹き込む魔術式、とあるわ。新たな器となる身体よりも、そこに何の魂をあてがうか。その魂から何を聞き出すかに焦点が当たるのよ。学園内の死体を用いたことそのものは、魔術的には重要ではないのでは?」
森賀の指摘に素直に頷くと、峰流馬は回転椅子でくるくると無邪気に回る。
「そうとも。だから俺たちが見極めるべきは、死体を怪異化させてしまう魂とやらの方だ。まったく、近頃はどいつもこいつも人工にこだわりやがって」
しばらく無言が続いたが、その静寂は携帯電話の着信が破ることになった。回転に身を任せていた峰流馬は、溜息と共に手を伸ばし、呼出に応じる。
「なんです先生、理恵なら今一緒にいますけど…………」
茶化しながら電話に出た峰流馬の顔色が、みるみるうちに蒼ざめていく。
「連れてすぐに戻ります。誰も、その死体には触れさせないようにお願いします」
電話を素早く切った彼は、そのままの表情で森賀と良須賀に目を向ける。
「学校に戻るぞ。準備は怠るな」
「何があったの?」
彼はしばらく言葉を選んでいたが、やがて意を決して口を開く。
「理恵、お前宛に差出人不明の荷物が届いた。安全のため先生方が確認した中身は馬の死体」
彼は机の上に乱雑に放り投げたペンケースをひっつかみ、立ち上がりながら上着を羽織る。
「嫌な予感に限って的中しやがる。黄泉の活動が再開したぞ」




