見失う線引き
「アマデウスの配属、指示通り完了しました。でも、本当にアレを渡して良かったのでしょうか?」
魔術連盟第十書庫〈幻惑の間〉。足元どころか天井すらない真っ暗な空間を、カフは遊泳して前に進む。書庫と銘打っておきながらここには本棚はない。目に映るのは視界を覆う霧のみ。すべては幻術によって秘匿されている。
立ち止まったカフがおもむろに腰かけると、何も無い空間に椅子が出現した。否、彼女はそこに椅子があると判っているからこそ腰を下ろしたのだ。どれだけ巧妙に隠蔽しても、既にその存在を知っている者に対しては効果は無い。
「……良いも何も、道具は使用されることにのみ価値がある。そして彼らは、アマデウスを扱う素質を兼ねていることは疑いようもない。そうだろ?」
「ええ、まあ。デケム、貴方今どこにいるのですか?」
「ロフトだ」
カフがちらりと上空に目を遣ると、上から見下ろすデケムの姿を視界に収めた。彼は和食のレシピ本をぱらぱらとめくりながら、興味無さげにため息をつく。
「まったく、俺には料理は向かないな。味覚を惑わせば誤魔化せるというのに、わざわざ手間暇をかけて味をととのえる意義が見いだせない」
「料理は奥が深いですよ。まあ、味覚音痴の英国風に吹かれているなら、到底理解できないかもしれませんが」
「口が過ぎるぞカフ。俺個人が味に疎いのは否定しないが……いや、それは置いておこう。さておき、どうしてそんな懸念を?」
「委員会の思惑に彼らを利用するのは、なけなしの良心が痛みませんか」
「おや、まるで俺たちを悪者扱いじゃないか。リスクはちゃんと説明したんだろう。じゃあいいじゃないか。嘘はついていない」
ロフトから飛び降りたデケムは、そのまま空中に着地する。彼は厳しい表情を変えぬまま、手に持ったコピー用紙をカフに差し出す。それはアマデウスの開発計画書だった。
「一度目を通しましたよ」
「じゃあ、もう一度最初から読み直せ。アマデウスは一般人のアネクメーネでの活動を目的のひとつとした、簡易装甲であることまではわかるな?」
「ええ。怪異から身を守る手段であるのと同時に、異能を持つ者が使えば非常に強力な武器となる。でも貴方たち中央委員会が、単なる慈善活動にリソースを割くなんて信じられない」
カフは警戒を交えたため息を吐き出しながら、変身したデケムの顔の前で、ヴェールを外す仕草をする。不可視の覆いが剥がされると、からんと音をたてて携帯電話が転がった。それこそが、いまカフと話しているデケムの正体だったのだ。つまるところ、本体の行方は依然知れないということになる。
当然、今しがた手渡された計画書も霧のように消えてしまっていた。カフはしゃがみ込むと、落ちている携帯電話を拾い上げる。画面の液晶は割れてしまっているが、問題なく会話はできるようだ。
「で、本当の目的は何なのよ」
カフが噛みつくと、電話の向こうからはははと苦笑いがこぼれた。
『勘が良くなったな。それじゃあご褒美に、特別にヒントを与えよう。アマデウスの設計には俺を含めた四人の役員が関与している。誰だか判るか?』
「設計書を見る限りでは、第七席の鍛冶師。第十席の幻術師である貴方。第十五席の憑霊術師のあたりは確定でしょうか。あとは誰?」
『教えよう。第二十二席の道化師だ。計画の発案から作成の指揮に至るまで、アマデウスの作成は奴の意志で行われている。委員会の思惑? 違うね。俺も、他の役員も、ただ送られてきた発注書どおりに作業しただけさ。強いて言えば、奴の思惑だ』
魔術連盟の中央委員会には全部で二十二個の椅子がある。椅子は全て対等であり、選ばれた魔術家の当代のみがそこに座る権利を得るのだ。日本の片田舎の幻術師の出身であるカフとは違い、デケムの家は数百年を超える歴史を持つという。他の椅子も同じだ。座る者は皆、その道の頂点を極めた者たちとなる。
「第二十二席……。いつも空席の、あの二十二席?」
その末席。第二十二席は中でもひときわ異質だった。そこは道化師と呼ばれる魔術師のための椅子だが、カフの知る限り、そこに腰を下ろしたものは誰も居ない。それどころか、どこでなにをしたという噂すら耳にすることはない。そもそも、道化師が一体どのような魔術を操るのかさえ、知る者はいないとされる。
『ああ。俺たちも見事に化かされているというわけだ。だが指示に従わないわけにもいくまい。連盟創設メンバーの一人だ。無下にはできん』
「で、それと本当の目的がどう関係するのよ」
『開発計画書には明記されていないが、俺が最初に受け取った草稿案にはこう書かれていた。------人造の魔具というのは矛盾である。魔具は生命を持たぬカミの落とし仔であるならば、どれほど人智を越えようが人間が生み出す兵器は単なる道具に過ぎない。だがアマデウスはその性質上、魔術式と異能は一時的とはいえ同化する。一度同化したモノは、完全には分離できまい』
「それってつまり…………」
デケムの言葉はまだ続くようであったが、カフはある仮説に辿り着く。
『続きはこうだ。------異能が魔術を喰らうのか、魔術が異能を取り込むかは定かではない。だがどちらにせよ、いずれカミの恩寵はヒトの叡智との境を失うのではないだろうか。であればいずれ、ヒトの手でカミを生み出すことも不可能ではなくなる筈だ。これはそのための一手である------。ああ、そうとも。あいつらに説明した通り、投与が一日に一本程度であれば、不純物たる魔術式が身体に害を及ぼすことはない。異能も魔術を寄せ付けぬだろう。だが連続使用や継続使用をするなら話は別だ。異能を蝕み、変質させる可能性さえ十分にある』
カフの顔色が、みるみるうちに蒼ざめていく。
「それ、はやく伝えないと------」
『それは君の勝手だ。好きにし給え。あらゆる道具は諸刃の剣なんだよ』
カフはデケムが言い終わるのを待たずに電話を切ると、すぐに来た道を引き返した。知らなかったとはいえ、自分はとんでもないものを届けてしまったのかもしれないという焦りばかりが胸を埋め尽くすのだ。守り手と魔術連盟は同業者でしかないが、彼女は彼女であの場所を気に入っていた。それに、あそこには同級生の黒猫だっている。学校で浮き気味であった彼女の、唯一と言っていい友人が彼女なのだ。
「ごめん黒猫、ああもう……私の馬鹿!」
彼女が急ぎ足で書庫の外に出ると、霧がかったその空間には静寂が舞い戻った。扉は閉じられ、空間は再度秘匿される。
そして数秒が経つと、暗闇の中から、音もなくデケムが姿を現した。今度は幻影ではない。彼は最初から、ずっとそこにいたのだ。
「まったく、いつも早計なんだから。ここまではヒントだって言っただろう。本質は別にあるんだよ、カフ」
布石は既に打っているのだ。デケムだって手をこまねいて指示に従うだけではない。道化師は足取りを全て削除していたが、裏を返せばそこには不自然な情報の空白が生じていた。それを辿った結果、辿り着いた先がアネクメーネに広がる漁村であったのだ。同座標上でナイアルラの姿が目撃されたのは、きっと偶然ではない。
「悪いが今度は高みの見物をさせてもらおう。ナイアルラの目的も、道化師の正体も、俺が全部暴いてやる」
彼は笑っていた。彼もまた魔術師。魔術を以って見る高みの景色は、彼だけが見ればよいのだ。




