港町
カフが持ってきた神装アマデウスの残りは、合計で十本あった。実戦データと引き換えに再補充してくれるそうなので、ひとまず全員が一本ずつ持ち運び、残りの一本は保管しておくことにした。
「これ、俺も使えるって言ってたよな」
ヤイバが内部の液体を蛍光灯に透かせて、片目で覗き込む。一見するとただの水だが、その実はたしかに魔術のものだ。何かの衝撃で壊れてしまわないように、これまた専用のケースにしまってポケットに入れておく。
「異能を持たない者が使用すると、疑似異能プログラムを用いて装甲が形成される、か。また除け者にされちまうのかと思ってたよ」
「もう、ヤイバはまたそうやって自虐に走るんだから。誰も除け者になんてしてないでしょ」
一方。彼の軽口にミツが答えている間も、綿津見や遼はカフを質問攻めにしていた。興味があったので、傍によって耳を傾けることにする。
「で、このシステムは誰が作った?」
「さあ。中央委員会のお偉いさんたち直々の試作物だとは聞いています。デケムなら知っているかもしれませんが」
あいにく捕まりませんので、とため息をつく同年齢の彼女の目元には、気まぐれ者に振り回される人間特有の、深いくまができていた。
「効果時間はいつまでだ。解除を宣言しさえしなければ、半永久的に使えるのか?」
「基本的には。ですが物質化した異能装甲には耐久度があるようで、一定以上のダメージを受けると概念化して体内に戻ってしまうようです。その後は身体に馴染むまで、異能の使用はできません」
「なるほど。それで、ウチ以外にアマデウスの使用を承認した団体は、あるのか?」
「日本でしたら〈フェンリルの牙〉が。海外までは管轄外です」
〈フェンリルの牙〉。カフが言い放った二つの単語に首をかしげていると、その仕草に気が付いた遼が補足を加えてくれた。
「〈フェンリルの牙〉っていうのは、ホッカイドウを勢力拠点としてる俺たちみたいな異能力者集団だ。かつて出現が予言されたという『近い未来に於いて月を呑み込む狼』の発見、収容、監視を目的としている。知ってるだろうか、北欧神話において巨人ロキの息子フェンリル、その二人の子供は、その大顎を以って………」
遼が言い飽きたとばかりに手をひらひらと振ると、ちらりと綿津見を見やる。彼の視線の意図を汲んで、続きは綿津見が引き継いだ。
「ああ。かのフェンリルの二人の子供、スコルとハティは、その大顎を以って月を喰らった。月によって連続性が保たれているアネクメーネにおいて、その伝承を再現されてしまうリスクは計り知れない。〈牙〉たちはその阻止を掲げている血の気が多い連中なんだが…………様子はどうだった?」
「ご想像通り、神族ごとの派閥対立が深刻化していました。なるほどあの様子では、抑止力の一つや二つが必要でしょうね。それに比べて貴方たちは、いつだったかデケムが感心していたように、よくもまあこんなに平穏なものです。魔術師も異能力者も入り混じった団体が、よく内部分裂もせずに仲良くやっていますよ」
カフは僕を見、それから理恵と黒猫を見、それからミツとヤイバを見た。そう言われてみれば、僕たちにとって統一感という文字は最も縁遠いものだ。
「俺に言わせれば、他のとこが血生臭すぎるだけだがな。もっと緩くやりゃあいいのに、怪異討伐のノルマを設けたりするから単独行動が助長される」
「その分貴方たちの戦果は控えめであることを、忘れないでいただきたい峰流馬遼。最近は禁書の収集も滞っていますね?」
「痛い所を突くな。判ってる。やるさ、やるとも。ただ今はナイアルラがどうも気がかりでな」
「土御門の晴明様も同じことを言っていましたよ。ですがここでじっと待機していたからって、どうにかなる問題でもないでしょう。目の前のタスクをこなさない限り、山積みになるのは自然法則です」
「それはそうだが……」
応対していた遼が言葉に詰まったのを確認すると、カフはしめたとばかりに手を叩く。わざとらしく何かを思い出したような顔を浮かべながら、彼女はショルダーバッグからスマホを取り出す。
「ああそういえば、デケムから伝言を預かっているのでした。どう切り出したものかと悩んでいましたが、ええ貴方たちが選択肢に詰まっているのなら丁度いいです。音声ファイルを開きますね」
彼女がチャット画面に表示された再生ボタンを押すと、ひどい雑音を交えながらデケムの声が再生された。
『あー、こちらデケムだ。悪いが仕事をひとつばかり頼みたい。ここ数カ月、一般人がアネクメーネの中をうろついているのが相次いで目撃されていてな。どうも迷い込んだのではなく、何かしらの目的を持っているようなんだ。だがウチが送った監視員は決まって目標を見失ってしまうし、何人かは戻ってすら来ない。あ? いま録音中なんだから話しかけないでくれ。卵を割りたいんなら短剣じゃなくて机の角とかをだな、そうそう力加減に気を付けろよ。みりんは鞄の中にあるからな。…………ああ悪い、こっちの話だ。ともかくその地区を調査してくれ、詳しい深度はカフが教える。気乗りしないなら、生き残った調査員の何名かが古い日本の軍服を着た少年を見たと言えば、目の色変えてくれるか?』
デケムは意味ありげな無言の間を置いた。僕らはおそらく彼の思惑通り、互いに顔を見合わせた。
『俺も現場に向かいたいのは山々なんだが、俺は俺でこんな僻地でだし巻き卵を作らなきゃならん。そもそもなんで俺が和食なんか…………』
彼の愚痴をかき消すように、ヒュウウウウという甲高い風の音が聞こえてきた。
「まったく状況がつかめねえ。なにやってんだこいつ」
堪えきれず綿津見が呟く。だがこちらの声が向こうに届くはずもなく、デケムは言葉を続ける。
『まあいい。用件は以上だ。報酬は用意できないが、その代わり調査の過程で入手したものがあれば何でも持って帰って構わない。ついでに渡したアマデウスの運用テストを兼ねてくれると大変うれしいのだが、依頼はあくまで調査だということを忘れるなよ。……では』
「……これでメッセージは終了です。さて綿津見様、お返事のほどは如何でしょうか?」
カフはわざとらしい敬語で綿津見に問う。当然彼もそれに気付いていて、目を瞑って深いため息を吐き出した。
「そっちが目の色変えさせておいて、お返事も何もあったもんじゃないぜ。もちろん赴くとも。朔馬、ヤイバ、それに澪と俺はデケムの依頼を。残りは引き続き通常業務と学校周辺の警戒を頼む。一応反対意見を募っておくが…………無さそうだな」
「良い返事が聞けて良かったです。では座標を教えます------」
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話し合いの結果、一般人に遭遇したときに情報を聞き出すことも考えて、デケムの依頼にはヤイバの代わりに黒猫が参加することになった。僕ら四人は調査隊として、扉をくぐってアネクメーネに入る。場所は二階建ての建物の屋上のようで、幸運にも付近の風景を一望できた。
一見すると、ここは小さな漁村のようだった。頬を撫でるそよ風には磯の香りが乗っており、耳をすませば微かではあるが、波の音も聞こえてくる。暗くてよく見えないが、近くに海があるのだろう。
「気を抜かないでよ。気配を消して探索する」
建物から飛び降りた僕らは佐口さんを先頭にして、舗装もされていない道をゆっくりと進んだ。通り過ぎる家々の窓枠はどれも目張りされており、中の様子を伺い知ることは出来ない。
小一時間ほどかけて全ての道を歩き回ったが、結論から述べると、月明かりに照らされたこの町に人の気配は無かった。でも誰かの悲鳴どころか、怪物の呻き声さえも聞こえない静かな町であるというのに、僕はなぜだか始終、心の不安を掻き立てられるような感覚を覚えていた。
「次は屋内を探索しよう」
綿津見の提案に曖昧に頷きながら、僕は顔いっぱいに風を受けて、その先にあるであろう海を夢想する。月光を反射して妖しく揺らめく海。その底には光は届かず、ただ深く、深く、青く、黒く、水の王国がどこまでも広がっている。
その奥から何かがこちらを覗き込んでいる。否、違う。これはぜんぶただの空想だ。とはいえなんだか気味が悪くなった僕は、海に思いを馳せるのを止めて、黒猫の後ろについて、手近な民家の中に入ることにする。
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ざぱっ。