該当なし
夕方のうちに学校から離れた僕らは、図書館への道を歩きながら情報の整理を行うことにした。途中、森賀さんが後ろから走って追い付いてきたが、彼女は僕の顔を見るなり深い深い溜息をつく。
「何が悲しくて同級生のお守りをしないといけないんですか」
「ごめん。ありがとう」
「飯田さんは家に帰しましたから、あとは明日適当に話を合わせるだけです。それで、そっちは何があったんですか?」
話をしようと口を開く。だが、また、というべきか、僕の言葉は遼に遮られた。
「…………あー、待ってくれ。丁度いい。花音に教えるついでに、こっちにも聞かせてやってくれ」
目を向けると、遼は、いつのまにやら誰かと電話を繋げていた。片手でスマートフォンを耳に寄せながら、その目を僕に向ける。
「今ちょうど、土御門と連絡が繋がっている。黄泉と遭遇したというその話、もう一度してもらってもいいか?」
彼から端末を受け取ると、緊張を交えながら耳元に寄せた。受話器の向こう側は静寂そのもので、僕が何か口にするのを待っているようだ。きっとまたあの時のように、天井から垂れ下がった受話器で応対しているのだろう。僕は先ほど経験した事実を、なるべく主観を交えずに口にすることにした。
「……以上です。魔法陣の向こうが、自分から名乗った通り土御門黄泉であるという確証はまだありません。ですがこちらの事情を知っていて、かつその名を名乗っている時点で関係者であるのは間違いないと思います」
「……確かにな。ご苦労であった朔馬殿。黄泉がそうであったように、七人が実際に校舎内に存在しているわけではないだろう。だがそこを拠点として何かしらを企てているのは間違いあるまい。こちらからも調べて見るが、そちらも引き続き調査を頼みたい」
「わかり……ました。あの…………」
僕は一度視線をそらし、周りの様子を伺った。僕の表情の変化に気付いた理恵だけが、慌てて首を横に振る。
「……だめよ、朔馬」
「あの、晴明さん。一つ良いですか」
彼女の制止を無視して、僕は言葉を続ける。
「黄泉さんが言っていた、星詠みでこうなることが判ってたっていうのは………」
「黒乃朔馬、妾はかつての貴殿と同質だ。先は詠めるがそれ以上の意味は無い。我々に許されているのは、ただ慌てず焦らず対応することのみ。事象そのものを未然に防ぐことではない」
「でもだったら、黄泉さんの言葉は逆恨みなんじゃ」
「だとしても、恨むなとは言えまい。ヒトの感情は勘定で割り切れるものではないのだから。ああ、悪いが来客が見えたので、これにて失礼する」
僕は言葉を発そうとしたが、電話は一方的に切られてしまった。携帯電話を遼に返しながら、僕は理恵に話しかける。
「さっき、僕どんな顔してた?」
「苦笑いと失望を足して二で割らなかった感じ。晴明が結局、最後まで黄泉の安否を気にする素振りを見せなかったことが引っかかったんでしょ」
「まあ、それもある」
「まだ他にも?」
遼が尋ねた。
「あの人は僕を同種だっていったけど、たぶん僕らは同種なんかじゃない。たぶん未来視という行為そのものに、あの人の行動そのものは束縛されていないんじゃないかな。理恵は、晴明さんの占星術っていうのがどういうものか知ってる?」
「大まかには。宿曜道をベースに、バビロニア由来の星図読みを独自にかけあわせたらしいの。特定の地域に発生する事象を事前に特定する術式と聞いているわ。この魔術を用いて、晴明はキョート市内で起こるすべての事象を把握している」
理恵がそらんじた内容に、僕は短く頷く。
「たぶんあの人は、おおまかに何が起こるか知っていて、かつそれに対してアクションを起こせるのだと思う。それをしないのは、観測者と位置付けた自分にとって、必要以上の介入は越権行為だと思っているからじゃないかな」
原理的に介入が不可能であった僕と違って、と付け加えた僕には、なにも確信があるわけではなかった。だが長年未来視しながら生きてきた勘のようなものがそう告げていた。根拠とするには十分だった。
「黄泉さんは僕らをこっちに戻す方法を教えてくれただろ。ひょっとすると彼女は味方なのかも------」
僕が言い終わるか終わらないかのうちに、頭をこつんと何かで叩かれた。振り返ると、森賀さんが手に持った傘で僕の頭を小突いていた。
「朔馬さん、お人好しが過ぎますよ」
「だって……」
抗議しようと振り返ったが、傘の先が危うく顔に当たりそうになったので、慌てて前を向く。
「だっても何も無いです。一度助けられたくらいでホイホイ他人を信じるようじゃ、いつか痛い目見るんですから」
「痛っ、ちょっと小突くのやめ……」
「この一件にはナイアルラが絡んでいると、あなた自分でそう言ったんでしょうが。ならば彼女も同じく、我々にとっての敵と見なすべきではないですか?」
「そうだけど」
渋々非を認めると、森賀さんはようやく小突くのをやめてくれた。頭についたであろう埃を手で払った僕は、ふと思いついた疑問を口にした。
「そういえば、結局ナイアルラの正体って何なんだろう。やっぱり異能力者とか?」
「魔術連盟に加盟している人間に該当する者は存在しないだろ。異能力者か、それとも超常の存在か」
実のところ、この話題を僕らの間に持ち出すのは初めてではない。年末の一件以来ちょくちょく議題にはなっているが、誰もまともな結論に至っていない。
「ナイアルラ。ナイアルラホテプ。アイツが名乗ったっていうその名前、どれだけ検索してもヒットしないんだよね。表記揺れも試したんだよ、ナイアートラッテプとか、ニャルラトホテプとか。ローマ字で調べてもヒットはゼロ件のまま。聞き覚えも無いし」
「理恵の言う通りだ。どれだけ紙の文献にアクセスしても、該当する存在には行き着かない。どこかの神話に登場するなら名前くらいは見つかってもいい筈なんだが」
「信仰の低下に伴って名を失った神、という可能性を私は推しますよ。または筆記文字を持たなかった文明の神のあたり」
各々自論を展開するものの、どれも根拠となるものがあるわけではない。好き勝手言っているに過ぎない。
「ナイアルラが刺客として送り出したのはアドゥムブラリ……つまりクトゥルフ神話の神話生物だっただろう。あの神話に登場しないのか?」
ナイアルラの手先となったカノンが計画したのもルルイエの浮上、つまりクトゥルフ神話に関連する事象であったのだ。彼自身も関係している可能性は十分にあるように思う。
「俺もその可能性を考えたが、既存のクトゥルフ神話大系において、ナイアルラなる存在に言及されたことはないと思われる。まとめ本の類をいくつか読み漁ったが、目ぼしいものは無かった」
遼は写真フォルダを開いて、本の表紙を写した写真を何枚もスクロールして見せてきた。その中には英語やドイツ語で書かれた本も混じっていた。
「でも…………」
僕は少しだけ乾燥した口を開ける。魔王アザトース、門にして鍵ヨグ・ソトースら、数多くの神々が登場するクトゥルフ神話。それはあまたの創作物によって構成された創作神話大系であり、作品の数だけ拡張され続けるひとつの世界観。たとえその出自が作り物だとしてもそれは、精巧に作られたモザイク画のようにリアルな恐怖をヒトに植えつけるのだ。
「それはあくまで一部なんだろう。この世界のどこかの片隅で、狂気に囚われた作家がひっそりと生み出した小説に登場していてもおかしくはない。それがかの世界観に取り込まれて、僕らの前に現れたと考えても矛盾はない」
もしくは僕らが真実を知らないだけで、あの神話は本当に存在しているのかもしれない。もしそうだとするならば、僕らが認知していない神が存在していたとしてもなんら不思議ではない。
いや、それこそ考え過ぎだろうか。アネクメーネに一部回収されている概念であったとしても、所詮創作は創作に過ぎない。
でも、もし万が一。
話し込んでいるうちに、いつの間にやら陽が沈んでいた。僕らの歩く道は影で黒く塗りつぶされ、街灯のオレンジ色だけが視界を彩る色彩となる。




