七色の子
数分後。非常事態ということで別室に移動していた綿津見たちも部屋に通されることになり、僕らは用意された椅子に座った。綿津見たちには、なぜか僕が状況を説明することにした。動揺して言葉が見つからなかった部分などは森賀さんが助け舟を出してくれた。
「……ありがとう。以上が先ほど起こった顛末じゃ。通話自体は音声記録を残した筈じゃが、向こうさんの言葉は入っていない。研究員の断末魔と、黒乃殿の言葉だけならいつでも再生できる」
「それは有難いのだが、晴明殿は世継ぎたちの捜索の指揮を取らなくていいのか。土御門家の指導者は貴女でしょうに」
「構わん。指示は出したし、妾が行ったところで出来ることなど何も無いからな。それより今は、そなたらの意見を乞いたい」
音声記録を聞いていた佐口さんと遼は、再生が終わるとイヤホンを外した。だが二人はそろって首を横に振った。
「悪いが何も判らん。彼が取り返しに来たというスポイトが少し気になったが、あいにく俺には神話に登場するスポイトなんぞに心当たりはない。魔具ではないだろう」
「私も無い。安倍晴明、アンタはスポイトを現物で見たんだろう。何か特殊なモノだったのか?」
「判らん。我が魔術を以てしてもなにも判らなかった。だから連盟に預けて、解析を依頼したのじゃ」
彼女はもう一度狐をヒトの姿に戻すと、彼にタブレット端末を持ってこさせる。彼は写真のフォルダを開き、いくつかの写真をこちらに見せた。それはヨコハマで回収されたという、そして今しがたナイアルラが奪い去ったスポイトを写したものだった。
「御覧の通り、形状は一般的なプラスチック製のスポイトと何ら変わらないもののようじゃ。だが使用法がわからん。地球上に存在するあらゆる液体を吸い上げることを意志を以って拒んでいるようじゃった。破壊も試したが不可能じゃ。つまり、何か特別な用途があるようなのだが……研究所が壊滅した今となっては、判らずじまいじゃな。まったく、警備は厳重にしろとあれほど言ったのに」
ふむ、と唸る晴明をよそに、僕はもう一度ナイアルラとの会話を思い出していた。彼はスポイトを奪った後、ヒントと称してこう言い残した。『七つの色を塗り替える』、と。
「スポイトと、色…………もしかして、スポイトツールのスポイトなんじゃ……?」
パソコンのスポイトツールだ。画面上の色を採るスポイト。彼は電話を通して何度も色について言及していた。スポイトツールはパソコン上の概念であり、現実に存在するものでないことくらい判ってる。でも魔術やら異能やらが絡んだ今の状況でなら、アイデアとして悪くは無いだろう。
「そういえば、俺でさえ聞いたことがある話だぞ安倍晴明。土御門家の跡取りのイミナは、それぞれ一字ずつ色の名前が用いられているってな。朔馬の話だとアンタ、ナイアルラが七色の名を口にしたとき、無反応じゃいられなかったそうじゃないか」
峰流馬が僕の言葉を遮るように追及を重ねた。
「張本人のアンタがその結論に至っていない筈はない。白、赤、青、黄、緑、紫、そして黒。この七色に聞き覚えがあるんじゃないか?」
「……矢張り、お主らもその結論に至るか。妾の考えすぎであれば良かったのじゃが、世の中そう都合よく事が進むはずもないな」
そうため息交じりに晴明は呟くと、まっすぐに僕を見つめる。
「黒乃殿、お主、スポイトツールと言ったな。もし本当にあのスポイトが色にまつわるものであるならば、時系列的に考えても、あの童子が奪取したスポイトを用いて此度の誘拐騒動を起こしたと考えて差し支えないだろう。それでも依然スポイト本体の詳しい機能は不明のままだが……」
「勿体ぶらずに教えてくれよ。連盟の総会に顔を出す紅と碧以外の五人の名前、この際開示してしまっても構わんのじゃないか?」
よく回る晴明の舌をヤイバが遮った。彼女はすこし不服そうな顔でヤイバを見たが、観念して論点を元に戻した。
「いいだろう、救助の助けになるなら開示でもなんでもしてやろう。下から順番に白亜、紅音、碧、黄泉、深緑、紫雲、そして黒乃。童子が言い残した七色は、あの子たちを暗示したもので間違いあるまい」
言葉の最後で、晴明は僕に意味ありげな視線を送りつけた。黒乃。それは奇しくも僕の苗字と同じイミナであった。とはいえその偶然に未だ何の解釈も見出せてないが、僕に向ける晴明のまなざしには、何か意図があるようであった。
「お主らが童子をヨコハマで仕留め切っていれば」
晴明の口調が急激に強まる。
「我々にまで火の粉がかかることがなかったと糾弾したいのは山々だが実際はそうもいかん。あの存在に目を付けられたのは、なにも昨日今日に始まったことではない。誘拐の手際が良すぎるのも引っかかる。ああ、そろそろヨコハマに戻り給ェや〈守り手〉達。巣へ帰って、為すべきことを為すとよい」
「為すべきこと、とは」
「スポイトには追跡魔術でマーカーをつけておいた。やれらっぱなしも癪なんでな、そろそろ反撃に向かわねばならん。ちょうど連盟も公式に童子を指名手配とした頃合いじゃろて」
晴明の合図で執事服の男が地図アプリを起動した。市街地を道路も通らず直線移動する赤い点が映る。
「ようやく隙を見せた。ほら、見覚えのある場所じゃないのか?」
赤い点はようやく、ある建物の真上で静止した。その建物は七芒星に似た独特な形をしている。こんな建物は北の雪国か、もしくはあとひとつくらいしかない。
「ウチの高校か…………ッ」
気付いた時には、僕はだだっ広い部屋を走って引き返していた。はやく戻らないと。戻らないと、せっかく守り抜いた日常が壊れてしまう。
「ははっ、ウチの黒乃よりも行動力がある」
ふすまを突っ切って部屋を出たその時、遠く後ろから、安倍晴明の悲しそうな声が飛んだ。




