嘘は泥棒の為せる技
ミツは幸運な人生を送ってきた。昼食に大人気の焼きそばパンは必ず一つ売れ残ってるし、答案用紙に勘で書いた選択肢は全て正解する。寝坊した日に限って電車は遅延している。それは単なる偶然ではない。彼女はその体質上、幸運を自らのもとへ引き寄せるのだ。
「でも、私は知らなかったのよ。朔馬さんは知ってた? 世界中にある幸運ってね、絶対量が決まってるのよ」
ミツは僕の返事を待つことなく、その視点を過去に合わせたまま。
「私がパンを買えるということは、誰かがパンを買えなかったということ。そんなことは単純明快で、私にだってわかっているつもりだった」
よく、受験は己との戦いだなどと言われている。テストとは自らの学力習熟度を測るものに過ぎないのだと。その過程はやれ団体戦だのと鼓舞されるが、試験会場においては孤独な戦いを強いられるのだ。だが真の意味では、その戦いの相手はテストの問題用紙などではない。
「私が良い点数をとったぶん、誰かが相対的に悪い点数を取るのよね。私が勘で当てた点数で追い抜かれた人は、私の幸運の所為で落ちたの」
「でもミツちゃん。運も実力のうちだって、よく言われるじゃない」
当然の事実をさも大ごとのように呟き顔を曇らせているミツに、カフが慰めの声をかける。
「私も高校受験で、いくつか勘で正解した問題あるわよ」
「違うのです。そういうレベルじゃないのです。勘が当たるっていうのは普通、自分が幸運になるだけじゃないですか。でも私の場合はそうじゃないのです。私の幸運は、他人から吸い取った幸運なの」
「つまりこういうことかい? ミツ君、キミは周りを不幸にして、そのぶん自分だけが幸運になる」
デケムは腕を上げてカフの言葉を遮ると、うつむいたミツの目をじっと睨む。
「……そうよ。それが私の異能力。商人と盗賊を同時に司る、伝令の神ヘルメスの権能」
「初耳だ。先ほど確認したところ、魔術連盟への異能内容の報告内容とも異なる。曰く不死狩りの異能だと書かれているが、これはどういうことだ」
「嘘ついたの。佐口さんにはバレちゃったけど、他のみんなには黙ってくれるようお願いした。私が所持してる魔具〈アダマンの湾曲刀〉の効果を、異能の中身ってことにしたの」
「佐口の野郎、律義に嘘書きやがって……」
デケムが手首を振ると、彼の手の中にホワイトカラーのスマートフォンが出現する。彼はそこでなにやら文章を打ち込むと、また手を振り払う。スマートフォンは霧のように消えた。
「まったく、何故嘘をついた。現在〈守り手〉と連盟は協力関係にある。戦力の意図的な隠蔽は、裏切りの兆候と見なされても文句は言えんぞ」
「それは……」
「キミ個人の意思の所為で〈守り手〉全員に迷惑をかけているという自覚はあるのか?」
「でも、だって……だって……ッ!」
デケムの厳しい追及にいくらか言葉を濁らせていたミツであったが、とうとうその語尾を荒げた。
「だってしょうがないじゃない! 私がそばにいるだけで周りは不幸になるのよ。そんなことが知られたら、みんな私のそばから離れていっちゃうじゃない。私のそばには、誰も残らなくなっちゃう……」
言ってるそばから目に涙を溜めはじめたのを見かねて、カフがミツの隣に座って背中をさすりはじめる。
「そんなことないよ。ちょっと不幸になるくらい、仲間なら背負ってくれるって。ね、朔馬さん」
カフがミツの背中越しに僕の瞳をじっと見つめる。その眼力に半ば気圧されながらも、僕は曖昧に頷いた。
「あ、ああそうとも。慣れるまで時間がかかるかもしれないけど、きっと他のみんなだって……」
「違うんです朔馬さん。いいですか、私が寝坊した日には電車が止まるんです。誰かの意志まで曲げてまで不幸を起こすことは出来ないですから、その原因は決して人身事故ではないです。でも確かに、私以外の何百人もの乗客は一日の予定を狂わされるの。交換される幸運と不幸の量も内容も違うんだから、私が幸運にも転ばなかったがために、誰かが死んじゃうかもしれない。さっきのヤイバみたいに……」
ミツはそこで声を押し殺して、身体を折り曲げて泣き出してしまった。その背中をさするカフと、ただ見つめるだけの僕とデケムの間に奇妙な空気が流れる。
「まったく、これだから異能使いは好きじゃないんだ。神サマってのはどうも、ヒトと相容れない存在だからな」
「ちょっとデケム……」
「で、でも、他人の意志を曲げてまで異能が発動しないなら、ヤイバは自分からミツを庇ったんじゃないかな。そこまで気に病まなくても……」
僕はミツをフォローするつもりで口を開いた。だが彼女はその泣き腫らした赤い目を、じとりと僕に向ける。
「ヤイバには打ち明けていたの。あの人は私の体質を理解していた。いざという時は、自分が厄を背負う覚悟をしてくれていたのよ。だから私の異能によって干渉され得る」
「聞けば聞くほどあのお人好しの判断じゃないか。アイツが覚悟決めてたことなんだったら、ミツ君が口を出す余地はあるまい」
「デケムの言う通りだよ。ミツを庇ったのはヤイバが決めたこと……」
「私が原因であるのは変わりないでしょう!」
ミツの一喝で、一瞬だけ廊下に静寂が戻った。僕とデケムは思わず口を閉じた。
「で、でも止血帯を持ってたのもミツちゃんでしょ、その異能が反映されたんでしょう?」
カフがミツの背中をさすりながら声をかけると、彼女はうつむいたまま小さく頷いた。そして突然大きく息を吐き出すと、勢いよく立ち上がる。まだ目は潤んでいるが、その眼にはいつの間にか決意が宿っていた。
「私、ここから離れなくちゃ……。禁書エリアに戻らないと」
「どうしたの」
「ここに私がいちゃ、ヤイバの手術が失敗しちゃうかもしれない」
「でもそばにいてあげないと……」
「駄目。嫌。ヤイバだけは失いたくないの。私の異能を判ったうえで、それでも率先して私のそばにいてくれるんだもん。デケム、出口はどこ?」
「案内してもいい、が禁書エリアはやめておけ。守備配置していた部下との連絡がつかない。あそこは制圧された可能性がある」
「じゃあ佐口さん達のところまで行きたい。せめて加勢しないと。ここから行ける?」
「もちろん行けるとも。ついでに野上の嬢をこちらに呼んでおく。君たちとは入れ違いになるだろうが、手術が終わり次第ヤイバの義肢を用意させる」
「わかった。朔馬さんは私が行った後に送るようにして」
ミツはそう言って、座る僕を見下ろす。その眼が映す真意を理解して、僕は思わず立ち上がった。
「いや……僕も一緒に行く。ミツ、君と一緒に」
「駄目よ。朔馬さんだって、本当はもう私のそばにいるのも嫌なはずでしょ」
ミツの目に皮肉や自虐は無かった。そこにはただ僕への気遣いだけが浮かんでいた。そしてそれが、余計に、悔しかった。
「そうやって他人のことばかり考えて、いつになったら自分を大切にするんだよ。なぁ、何が他人の不幸は蜜の味だよ。嘘つきやがって」
「そ、それは……」
「いいか、よく聞いてくれ。僕はもう四回も死んだんだ。これ以上不幸な目になんかそうそう遭ったりしない。ミツが信じて打ち明けたヤイバがその期待に応えたように、僕も君の仲間として、その義務を背負うと誓おう。仲間想いはいいことだけど、僕らを信用してくれなきゃ、僕らだって安心して君に背中を預けられない」
「私に背中を預けたら、いつか後悔するかもしれないよ。それでもいいの?」
「いいとも。その時は、その時の僕たちがどうにか一緒に乗り切ってくれる。ちょっとは僕らを信じてくれ」
僕はそう言い切ると、彼女の両肩に手を置いた。そして少しだけ揺さぶると、彼女は恥ずかしそうに目を背け、少しだけ笑みを見せた。
「……区切りはついたか。よし、それじゃあアネクメーネまでの旅行の諸手続きを済ませるとしよう。なに心配はいらないさ。なにせ朔馬君には、旅の神サマがついてるんだからね」
ぱん、と手を叩いて注意を引いたデケムは、一言気の利いたことを呟くと、ミツに向かってウインクした。彼の両手はいつの間にやら、黄金の液体が入った試験管を一本ずつ摘まんでいる。彼が手首を動かすと、液体はとろりと揺れた。




