暗闇への敬遠
暗い。
頭上から足元までどこまでも広がる闇。その中で僕は何もしようとせず、ただ宙に浮いていた。辺りを見回そうと首を動かすが、何も見えない。恐怖をあおられたのは、首から下にあるはずの僕の身体すら視界に映らなかったということだ。真の暗闇の中にいて、ただ見えていないだけなのか。それとも僕の身体そのものが、もう存在しないのか。
そういえば、僕が死んでしまったら、夢の中でどんな景色を見るのだろうか。このような暗闇の中をさまようのだろうか。死後の世界なんてものがもしも存在するなら、きっとこういう世界なのかもしれない------。
ピピピピ……ピピピピ……ピピピピ……ピピピピピ……ピピピピピピピピピピピピピ
僕は右手だけ布団から出し、目覚ましを止める。夢だ。ちゃんと夢だった。真冬だというのに、シャツは汗でぐっしょりと濡れている。またもや見た悪夢は、僕に無情な真実を突きつけた。
夢である以上、あの光景も現実に起きるのだ。最早この違和感は気のせいではない。この街で、たしかに何かが起きている。
心に靄を感じたまま、いそいそと私服に着替え、家を出る。母さんには既に外出の旨を伝えてあるので、今声をかける必要は無いだろう。
「よし……って寒ッ!」
家を出た途端、冷たい風が体を刺す。
外套を羽織っているのにもかかわらず、冷気が身を包み込む。やっぱり冬は寒いのが嫌だよね。炬燵から出たくないというのが本音である。
だがそう甘えるわけにも行くまい。すぐに諦めて、僕はとぼとぼと、学校に向け歩き出した。しばらく、何も考えないようにする。少しでも不安感に心を委ねると、そのまま心が押し潰されてしまいそうな気がしたからだ。
ただ黙々と足を動かし続けていると、見慣れた門が見えた。休日だからだろうか、人気はない。頭上に広がる曇り空からは一筋の光が伸び、屋上を明るく照らしている。
「休日返上で登校とは勤勉だねェ、僕は」
僕は嫌味をぽつりと呟き、門をくぐった。
指定された教室には既に、見慣れた二人が居た。理恵と遼である。
「……やぁ、来たか朔馬。じゃあ行こう」
相も変わらず眠気を隠そうともせずに机に寝そべっていた遼が、大きなバッグを背負って立ち上がりながら言った。
「目的地は中央図書館だ。遅れずについてこいよ」
「わざわざここを経由しなくても、最初から目的地に行けばよかったのに」
「森賀の奴に言われたんだ。図書館までの道のりも、わざわざ遠回りの道を通るように指示された。訳があるようだからとりあえず従うが、まったくアイツは何考えてんだか…………」
二人は真剣な面持ちのまま、無言で先を歩きだした。遅れないように必死についていく。
学校を出てしばらく歩いた。十分ほど経ったところにある中央図書館が、僕たちの到着点だった。
入り口のドアには『日曜日休館』の文字があったが、二人はそれを無視してドアを手動で開ける。もちろん中に人のいる気配はなく、ブラインドが閉じていることもあって中は薄暗い。
ひっそりとした館内に、僕たちの足音だけが響き渡る。先頭を歩いていた遼が足を止めたのは、突き当たりの壁にある受付の前。幅広い年齢層が使うからだろう。『かりるところ』と『かえすところ』と大きく書かれた看板が、頭上にぶら下がっている。
「さて、この図書館にはね、立ち入り禁止の場所があるの」
静寂を破ったのは理恵。彼女はそのまま躊躇なくカウンターを抜け、無機質な壁に手を当てる。
「一般人には感知されないように、幾重にも防護された秘密の部屋。そこにあることを知っていないと、その存在を感知できないようになっている」
その時、驚くべきことが起きた。壁にぴったりと張り付いた彼女の指先から、何本もの線が伸び出したのだ。その線は決して見間違いなどではなく、壁に黒く刻まれていく。線は長方形を型取りながら、少しずつ、扉のような文様を形成していった。
「指定禁書封印書架。長ったらしいから私たちはここを、〈禁書エリア〉と呼んでいるわ」
禁書、という言葉には聞き覚えがあった。メモ帳の文字列の中の一つだ。
「ようこそ、私達の砦へ」
今や僕の目の前には、完全な金属製の扉があった。まるで最初からそこにあったように、違和感なく鎮座している。
僕は戸惑いながらも、促されるまま前へ進み、扉を押す。カギは掛かっていないようだ。キィッという金属音とともに、未開の地が、禁じられた領域が開かれる。
扉の先には、暗闇の空間が広がっていた。薄暗い館内との間にさえ明暗の線が見てとれるような、そんな黒色が広がっている。
「…………暗闇だ」
一歩踏み出すというただそれだけのことに、本能的な恐怖心が反応する。一寸先はまったくの暗闇だった。