本質的な異質
「これで全員、揃ったよな?」
念を押すように、綿津見が口を開いた。僕はつられてぐるりと周りを見渡し、彼の言葉を確認していく。ここにいる人間は全員、普通の人間ではない。作業デスクの上に腰掛ける、《三態変化》の綿津見から順に、そのすぐ横で壁にもたれるのは、《審火眼》の佐口さん。彼女がぼうっと見つめているのは、椅子に腰掛けて治療を受ける《多重分岐人格》の森賀さんだ。更にその隣から順に、包帯を巻く《血掃き毒履き》の理恵に、救急箱をいじくる《亡い物強請り》の遼。今しがた来たばかり、扉の前に立つ二人は《死なずの殺し屋》のミツ、〈五輪書〉のヤイバ。ソファに寝そべる《忘れ形見の備忘録》の黒猫へと視線を移していき、それを苦笑いで見下ろす僕で最後だ。これでここのメンバーは全員。こちらの役者は揃った。
僕が綿津見の目を見て小さく頷くと、彼はよし、と手を叩いた。
「それでは、早速作戦を話し合いたい。朔馬、ミツとヤイバの二人に、今の状況を説明してくれ。二人とも、まだほとんどの事情を把握していない」
僕は無言で頷き、握りしめていた手のひらを広げる。そこには淡い灰色の小石が二つ。先程遼に手伝って貰って具現化させた、僕の記憶の一部だ。僕たちが共有しないといけない情報が詰まっている。
僕が念じると、手の上で小石はふわりと浮き上がる。そのまま一瞬で加速した小石二つは、それぞれミツとヤイバの頭に飛び込んだ。
「痛ッ……くないのです?」
反射的に小さく叫び、頭を押さえたミツは、すぐに怪訝そうな顔を見せた。そりゃそうだ。小石が頭に直撃するのが見えたら、誰だって続いて痛みが来るものだと思う。
だがあの小石は、彼らの皮膚を痛みなく擦り抜け消えた。その本質は『記憶』。記憶は体に入っていて然るべきで、本来干渉できない概念を異能力で無理やり外に出している以上、小石という体裁を保つことで一時的に触れられるようにしているに過ぎない。記憶は本来、体という容れ物そのものに染み込んでいるものだ。脳だけでなく、五臓六腑から爪先に至るまで、全ての肉体には記憶が宿る。臓器を移植する人が提供主の記憶を一部受け継ぐ事例など、その最たる例だろう。だからこそ記憶は体の中にもう一度入り込むとき、小石という外枠を脱ぎ捨て、概念となって体に取り込まれる。
「……おや、この記憶は……?」
「……思い出した、のかしら。でも私の姿があるってことは私の記憶じゃないのよね。なにこれ、気持ち悪い」
自分の記憶の中に他人のそれが紛れ込む気持ち悪さを僕は知らない。だが二人は少し時間をかけ、それぞれ入り込んできた新たな記憶に戸惑いつつも、両人とも次第にのみこんでいった。百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、話して聞かせるより、記憶として思い出して貰うほうが誤解なく伝えられるようだ。
「……まあ、概ね事情は把握した。そうかそうか、〈境界敷〉が役に立ったか。そいつは良かった」
「霧隠さんありがとうございます。お陰様で最悪の事態を避けられました」
いやいいんだ、と彼は笑う。
「これまで通りヤイバで良いよ。それに俺は異能を持ってないから、この世界を知ってすぐの君の気持ちは痛いほど判る。まだこの世界を知って日が浅い君には、自分があくまで日常に帰属する人間で、日常を守るために非日常に身を委ねているという事だけは今後も忘れて欲しくない。日常と非日常に、確かな境界を敷いてくれたのなら」
それで俺は十分さ、と笑いかけてくれた彼に、僕は頷き返す。
「よし、それじゃあ次の段階に進もう。俺たちは今から、二手に分かれて作戦を遂行する」
「……せっかく集結したのに、ですか?」
不服そうな声を森賀さんが飛ばす。僕だってそう思った。次にカノンと遭遇した時には、全員が揃っておく必要がある。わざわざ別行動をとって、片方のチームだけが遭遇するリスクを冒す意味が分からない。
「意味ならある。今はまだ昼間だから、制限時間はあと半日近くある訳だからな。この時間を無駄には出来ない。是非ともやっておきたい事が二つあるんだ」
一つ一つこなすと時間が足りないとのこと。二手に別れ、なるべく早く用事を片付けてからもう一度合流するというのが、彼の案だ。
「目的はどちらも同じ、カノンを確実に殺す決定打を用意する事。俺らが勝つ確率を上げる努力だ。念を押すが、あくまで全員集まらないと勝てないだけであって、全員集まっても勝てるとは限らない。朔馬が持ってきた前回の情報だけでは、決定打には程遠い」
カノンを倒し得る新戦力が、僕らには必要なのだ。辛勝では被害を生み出しかねない。圧倒的な勝利こそが、僕らが目指すべき道。
「一つは、新たな武器の獲得だ。これは朔馬とヤイバ、それとミツの3人でやってほしい」
そう言って、綿津見は僕をちらりと見る。その意味ありげな視線から、僕はどこか嫌な予感がした。
「内容は他でもない、朔馬君の武器探しだ。 異能力をそのまま戦闘に利用するほど君は好戦的な人間ではないから、君には君の魔具を所持してもらい、ともに戦ってほしい」
「朔馬君の禁書はどちらかというと支援よりでしょ。私と一緒に後方支援に専念してもらっちゃダメなのかい?」
「最終的にそういうことになったって構わないとも。でもその場合になったとしても、最低限の自衛の手段は確保しておきたい。さっき禁書について調べていた際、〈アガスティアの葉〉とゆかりのある魔具の存在を発見した。魔術連盟が発見した魔具ではあるが、まだ彼らも所有宣言をしていない」
「形状は?」
ヤイバが問う。
「弓だ。朔馬君の異能力と、偶然にも相性が良い。おお、なんたる偶然。運命の輪でも転がったか?」
綿津見は意味ありげに笑って答えると、僕の目をまっすぐ見てこう告げた。
「冗談はここまでにしよう。さて、君の禁書に浅からぬ縁を持つ聖人アガスティア。彼がコーサラ国王子ラーマに授けた黄金の弓。その名をブラフマダッタという。これを朔馬君自身の手で、見事掴み取ってきてほしいんだ」
僕は綿津見の目をじっと見つめ返す。彼のその目の笑いの真意を、僕は測りかねていた。
**
二手に分かれることとなった、僕ら《禁書の守り手》達。僕とミツ、ヤイバは〈金弓ブラフマダッタ〉探し。それ以外の面々はカノンと戦う戦場をこちらで決め、先に仕掛けを用意する係。どちらも基本的には探索がメインの行動となる。
「というのもあって、探索特化のミツとミシャグジは別のチームにしたんだ。両チーム共、彼女らを要にしながら頑張って欲しい」
腕を組んで、綿津見がそう宣言する。
「ご存知の通り、ウチは慢性的な人手不足だ。ここにも防衛を配備しておきたいのは山々だが、不可能だ。よって作戦は全員で行い、必然的にその間ここは無人となる。無論作戦中にここを占拠されるかもしれない。帰ってきたら塵の山になってる可能性だってあるだろう。だがここの書物はどれもこれも、全て守らなければならないことに変わりはない。それが俺たち〈守り手〉の使命だからな」
「どうする。段ボールに詰めて家に持って帰るか?」
遼はいたってまじめな顔だ。だが事実、この部屋にある本だけでも数えきれないほどある。図書館本館の本も加えるとするならば、それこそ倉庫一つじゃすまないのは間違いない。
「もちろんそれは現実的じゃない。ということで今回、俺は魔術連盟に連絡を取った。朔馬君が取りに行く予定の魔具についての申請もあったからな。その結果、彼らは我々の事情を考慮し、警備員を派遣してくれるという話になった」
「ほう、孤立主義の彼らにしては珍しいな」
「ああ。だがあくまで今回は傭兵として彼らを雇う以上、契約以上の働きは望めない。団体間の相互不干渉がこの世界の鉄則だ。当然のことながら対カノン戦における共闘の申し出も断られてしまった。彼らとの契約はあくまでも、書籍の保護に過ぎない」
「それでも、警備してくれるだけで充分だ。まあ本件は人形遣いの野上家が引き起こした一件である、と捉えられてもなんらおかしくはない。連盟加盟家が絡んだ問題である以上、介入してくるのも妥当といえば妥当だな」
「黒幕、絶対とっちめて報告書にまとめまてやりますからね……。このままでは我が家の名誉にかかわります」
遼と森賀さんのやりとりを聞く。ちょうどいい機会なので、僕は魔術というものについて、詳しく話を聞いてみることにした。今まで魔具や異能、禁書についてはたびたび話題になっていたが、魔術というものに関しては、僕はまだ漠然としたことしか知らない。結果綿津見が、僕の疑問に答えてくれることになった。
「……魔術とは、一言で説明すると学問だ。本質的には科学とはそう変わらない。研究室や大学という開かれた学びの場で行われる探究活動とは対称的に、家という閉鎖空間の中で代々受け継ぎ磨いていく叡智を魔術と呼ぶ。それは先人の技術の結晶であり、その秘密は血族にしか明かされない。その血統の者であれば『学ぶ』ことが可能な、時代の水準を遥かに上回る知恵の体系だ」
『道』と『術』の違い、と言いながら、理恵が側に寄って来て、すぐ隣で立ち止まる。
「この前聞いたでしょ?」
ああ、確かにそうだ。この前僕は、担任の真明日先生から授業中にとある話を聞いた。内容は、『道』と『術』の違いについて。武術というものと、武道というものがある。どちらも一般的には、武士が身につけていた技を指す。だが実際には、その二つには大きな隔たりがあると彼は言う。
『武術、柔術、剣術は術だ。戦場で人を殺すために磨き上げられた、実用性を追求した技術。だが、対する武道。並びに柔道、剣道などは、『人を殺す技』から礼儀や護身、更には華やかさを抽出したものだ。術という実践から、道という概念が選び取られる。だからこそ教育の一環で部活としての剣道部や柔道部があり得るが、剣術部や柔術部はあり得ない。柔道や剣道は『道』であって、体系立てて学ぶ『教科』だからな』
そう得意げに話していた真明日センセイを思い出した。
「つまり魔術は実用性を追求した技術。はたからみれば魔法のような現象を、その時代の最新をはるかに上回る理論に基づいて科学的に再現できるようにしたもの。ということはつまり、たとえば縄文時代にマッチをもっていけば、炎の魔術師と名乗ってもいいという事でしょうか。マッチの発火原理を周りに教えず、ただ自分の家の人間にのみ秘密を共有して理解させたなら」
「そう、まさにその解釈で問題はない。だからこそ魔術は受け継ぐことができるし、時に魔道と名を変え、技として伝授される」
そこが異能とは違う、と綿津見は間髪入れずに続けた。
「異能とは読んで字の如く、『異なる能力』だ。家系や出生、更には先天性か後天性かを問わず、その個人のみが持つ特異性を指す。魔術と異能はなんら関係ないし、魔術の素養のような遺伝性も無い。例え魔術の家でも異能を持たない者は数多くいるし、だからこそ魔術家で異能力者は重宝される。神聖視されることもあるなァ、森賀」
唐突に彼は本棚に向けて声を上げる。何事かと思って本棚に視線を移すと、そこには腕に何冊か本を抱え、まさに今も本の背表紙に手を伸ばしている森賀さんの姿があった。
「煩いですわね。別にそんな大した事ではありません」
細い指が、煩わしそうに払いのける仕草をした。
「異能はあくまでスパイスです。それのみで名を上げたところで、家では生き残れません」
人形はあくまでヒトの形をした物に過ぎない。だがその人形を突き詰めれば、そこに自然と命が芽生えるのではないか、と彼女の先祖は考えたらしい。生物学的に生物を作り出すのではなく、工学的に生命を生み出そうとした。そしてその結果、失敗し続けている。
「魔術の家系は大体こういう行動理念みたいなものを持っている。それを成し遂げることを一族そのものの悲願とする最終目標だ。だからこそイレギュラーなものである異能は、先祖たちがいままでずっと成し得なかった悲願を別のアプローチで手助けするかもしれない。長い家では二千年以上も努力を続けている魔術家だってあるんだ。新しい風は無条件で受け入れたいと彼ら彼女らは考えている。異能力は魔術の世界においても、異質な存在だから」
**
出発の時が来た。綿津見は既に扉の行き先を設定しておいてくれていたようだった。通常アネクメーネ側からの侵食に受動的に対応するこの扉も、綿津見の禁書と佐口さんの異能力を用いることで、繋がる先を固定化できるとのことだった。
「それじゃあ朔馬君たちは先にアネクメーネ入りだね。俺たちも魔術連盟の警備員への引継ぎが確認でき次第、出発する予定だ。俺たちの行き先も同じくアネクメーネだが、おそらく深度はまったく違う。とりあえずの間は別行動となる。行き先で何が起こっても、お互いコンタクトは容易ではないから十分に気を付けること。それじゃあ、武運を祈る」
「ああ、そちらもご武運を」
「お土産よろしくです」
「では、弓とってきます」
僕らは思い思いに挨拶を済ませる。ヤイバに促され、代表して僕が扉を勢いよく開けた。ドアの向こうには、なんと一面の緑。鬱蒼とした密林が広がっている。甲高い鳥の鳴き声と共に、湿気のこもった一陣の風が、並び立つ僕らの頬をやんわりと撫でた。