たった一部のたった一部
「あいたたた……ねぇ佐口さん、この前の話、真剣に考えてくださいよぉ」
口を尖らせて不満を吐き出すのは森賀さん。血で汚れた和服から見慣れた制服に着替えている。
「何の話だっけ」
「医療班の設置。私達、組織としてはいささか戦闘に特化しすぎだと思いません? 怪我の処理は毎度毎度、理恵が包帯ぐるぐる巻くだけってのは如何なものかと」
「ちょっと、如何ってどういう意味よ。ちゃんと軟膏も塗ってやったでしょうが」
文句を垂れながら袖をまくった彼女の腕に、言い返しながら包帯を巻いていく理恵。慣れた手つきで巻かれた包帯に、じわりと血が滲んでいる。
「応急手当には感謝しますけど、真面目な話です。誰かが戦闘不能になった時に、欠員を補充できる程の人数がここには居ないでしょう。だったらせめて、全員が万全に出撃できるよう後方支援組を増やしたいと考えるのは道理ではないですか。全く、規模が大きい組織には憧れますわ。ケアもきちんとしていそうですし、いっそ魔術連盟本部にでも移籍しようかしら」
でもあそこは質より量だよ、と口を挟むのは佐口さん。
「傘下を含めて所属の全員が一応の魔術の素養はあるとはいえ、魔具を所有宣言しているのは全体三割程度。自分の禁書を持っているのが全体の一割にも満たないとあれば、大方は一般人同然の工作員よ。野上家や白取家たち連盟加盟家は対等扱いなんだから、下手に傘下に入るより今の方がマシだと忠告してやろう。大組織なんてどこも、使うだけ使って役に立たなくなったらポイって辺りが実態なのよ」
言い終えてから、ウチは少数精鋭だから、と思い出したように付け加えた佐口さんだったが、理恵はそれには不服なようだった。
「支援組のアンタがそれを言っちゃ話にならないでしょうが。本件に関しては私も賛成。私達にとって人員確保が最優先課題なのは変わりないもの。朔馬が入ったからって安泰じゃない。人手が足りないのには変わりないわ。……ねえ野上、あんた異能で自分のコピーを複製できるんでしょう。やってよ、大量生産」
「嫌です。わざとらしくその名で呼ばないでください。人形師としての私は今、プライドも身体もボロボロなんですから……あたたた、もうちょっと包帯緩めて」
「なら義体はどうよ。折角の魔術でしょ、ストックの体のパーツとか生産しても良いと思うんだけど」
「断ります。そんなことしたら命の重みが薄れるでしょう。それに身体の替えがある前提で無茶をされたら本末転倒です」
「異能の方はどうなんだ。感情の分離は君が使役できる駒の個数と連動するだろう。俺たちの戦力に直結する話だ。どこまで細分化できるんだ?」
しばらく黙っていた綿津見が、おもむろに声をかけた。
「たとえば『相手の幸福に共感する喜び』と、『相手の不幸に対する喜び』なんかはどうだ。 古代ローマでは別の概念として認識されていただろう。異能ではどういう処理になる」
「そうですね……私が、別の感情だと認識した瞬間に分化する、とでも言いましょうか。明確に定義されているという感覚はありません」
「つまりその時その時の心境に応じて、分化させられる感情の個数は可変するという認識で構わんか?」
「その解釈で構いません」
「森賀の認識に依存するか。それはお前の思想にも直結する問題になりかねないし、流石に俺たちが口を挟むものでは無さそうだ」
しばらく彼女らの会話に黙って耳を傾けていた僕は、浮かんできたある疑問を、壁にもたれかかる遼に問うことにした。
「なぁ遼、ちょっといいか」
「どうした、禁書の話か?」
「いや、異能の方だ。さっきの森賀さんの話を聞いていて思ったのだが、異能力ってそんな曖昧なものなのか?」
「曖昧、というと」
「だって始めて異能を見せてくれたとき、遼たちは『自分の能力はこれこれこういうものだ』って教えてくれたじゃないか。だから僕はてっきり、異能力っていうものは効果や条件がしっかり定まったものだと思ってたんだ。それに自分の身体の一部みたいなものなんだから、隅々まで把握しているものかと」
成程、良い質問だ、と応えた遼は、パッと顔を輝かせた。
「これが意外に曲者でな。しているしていないではなく、出来ない、と言った方が良いくらいだ。異能は生まれつき備わった力とはいえ、その由来はさっき黒猫に降りてきた上位存在だ。人間の物じゃない。俺たちは組織で動く以上、その概要を言語化して共有しているが、そもそもそれも合ってるかどうかの確証はない。俺の感触では、異能力とはきわめて論理的だが、裏を返せばその論理がカバーしない範囲はすべて能力者の認識に依存するものなんだ」
そう言って彼は、脚のホルスターから一丁の拳銃を引き抜く。
「少し俺の話を聞いてくれ。途中で脱線するかもしれないが、朔馬の問いに対する一つの答えを示すことが出来ると思う。……さて、これは何だ?」
「〈楔打ち〉だろ」
「その通り。これは魔具だ。魔具とは異能と同じ原理で発生したものだとする説が有力であり、異能がヒトに宿るカミの一部であるのに対し、魔具はモノに宿るカミの一部だと言われている。魔具は本質的にはモノであるがゆえに、異能力者と違って自由意思での能力の発動は不可能だ。代わりに、所有宣言を行った者がその力を代行する。つまり、異能はそれを操る者自身とは本質的に無関係というわけだ。ここまではいいか?」
ヤイバから〈境界敷〉を譲ってもらった時のことや、遼から〈時戻しの懐中時計〉を受け取ったときの記憶が蘇った。どちらでも彼らは、所有権の放棄を宣言し、僕に譲渡すると伝えてくれたことを思い出す。特に〈境界敷〉を受け取ったときは、ヤイバから大雑把とはいえ説明を受け、実際その通りに用いることが出来たことを考えると、魔具は所有者が誰であるかに依存せず、同じ効果を発揮することにも納得がいく。
「ここからは俺の話をしよう。いい機会だからお前にも教えてやる。俺がどうやってこの異能力と付き合ってきたのかをな」
彼は銃口を自分の脚に押し当てると、なんの躊躇いもなく引き金を引く。乾いた銃声が響き、どこかの床に薬莢が落ちるカラカラとした音が耳に飛び込んだ。驚いて彼の顔を見、そして脚へと目を向けたが、彼が履くジーンズパンツにすら穴が空いていなかった。澄ました顔の遼が手の中でくるりと回した拳銃は、瞬きのうちにシャープペンシルへと姿を変える。
「俺はもともと能力に自覚が無かった。幼い頃から怪我をして家に帰ってきたことは無かった。とはいえご存じ運動神経が良いわけでもないから、当然転ぶし怪我だってする。でも傷口は、俺の目の前でみるみるうちに消えていくんだ。俺は誰しもそういう体質なんだと思っていたし、だからこそ俺が小学校の同級生をジャングルジムのてっぺんから突き飛ばしたのも、ほんとうに軽い気持ちだったとも。痛いのは一瞬で、すぐに傷は治ると思っていたから」
途中から彼は僕から目をそらし、床の一点を見つめていた。
「結果そいつは腕の骨を折った。周りは単なる子供同士のじゃれあいとして処理したし、そいつもそいつも母親も、怒りはすれど許してはくれた。だが俺自身は違った。俺は俺が普通じゃないとそのとき悟ったんだ。そいつが腕に包帯を巻いて登校してきたとき、俺は走って教室から逃げた。気まずさではなく、ただヒトの身体の脆さが怖かったんだ。それがヒトの普通なら、俺は普通のヒトじゃないんじゃないかって」
理恵も森賀さんも、佐口さんも綿津見も、黒猫でさえも今は自らの手を止め、遼の言葉に聞き入っている。おそらく彼がこの話を他人にするのははじめてだと、僕は直観的に感じ取った。
「走りながら俺はカミサマに願った。なんでもいいから助けてくれ、教えてくれって。そうしたら、その言葉がトリガーとなって、あろうことかカミクチが発生したんだ」
彼の言葉に、一同の顔色が一瞬にして変わった。ただ黒猫だけが、寂しそうな顔をして遼の顔をじっと見つめている。
「ああ、そうだな。黒猫には、いつだったか記憶整理を手伝ってもらっていた時に記憶を見られていたんだった。でも他のみんなには言ってなかったはず。……そう、俺もかつて、カミクチを経験した。もちろん俺自身は当時意識を失っていて、あとから周りから聞いた話をまとめて記憶を補完しているにすぎないけど」
彼はそこで一旦言葉を区切ると、その反応を確かめるかのように、順番に僕たちの顔に視線を合わせていった。そして最後に黒猫と遼の目が合った時、黒猫が静かに口を開いた。
「でも、貴方はその伝聞情報を、最も信頼できるものとして保管していたわ。中身までは見ていないけど、そのことをなにかしらの理由をもって、信じられる理由があったんでしょう?」
「ああその通り。なんといっても、智恵の女神のお墨付きがあったんだ」
彼はゆっくりと目を閉じ、記憶の扉を静かにたたく。
「意識を取り戻したとき、俺は校庭のど真ん中に座っていた。そしてその校庭の地面全体が、大量の文字で埋め尽くされていた」
文字曰く、ヒトの身体の脆弱性について。その他、人体構造。普通と異常の哲学的な境界線。位置エネルギー。異能力の存在。カミサマの存在。カミクチ。アネクメーネ。神話。嘘のつき方。カミクチが終わった後の処理の仕方。今後家族との距離感。彼がその時抱いていた、ありとあらゆる『疑問』に対する『答え』がそこに記されていたという。
「もちろん校庭中に文字を書くなんて、はたから見れば異常行動だ。だがなぜか、俺が文字を書いている間、そのことは校内の誰にも気づかれることは無かった。目覚めた俺は足元に書いてあったとおりに行動して、発言し、結果校庭中の落書きが写真に収められ、俺はその全てに目を通すことができた。そうすることで、俺は俺が今置かれている状況を理解したんだ」
長くなったが、前置きはこれで終わりだ、と呟くと、彼は目を開けた。
「落書きをしたのは俺の異能力の起源、スリス=ミネルヴァだった。彼女は俺が願った通り、俺の知らないこと、俺の知るべきことを教えてくれたというわけだ。小学生の俺でも理解できるよう、丁寧に書かれたそれら一つ一つを読んでいった俺は次第に理解を深めていったが、その中でたった一つだけ、異能力の基本原理である『複製』についてはどうしても腑に落ちなかった。なぜ俺が智恵と戦の女神から授かった能力が、直接的な知識の獲得ではなく、単なる複製にすぎないのか。それを理解するのはそれから4年後の夏、図書館の落とし物入れの中に眠っていたこのシャープペンシルを、偶然『所有宣言』した後になる」
意味ありげに佐口さんに目配せをした遼。彼女は合点がいったような顔で口を開く。
「ああ、その時のことは私も覚えているとも。その時に受付をしていたのが私でな。いきなりシャーペンが魔具だって判明して、すぐに少年を言いくるめて所有権を譲渡させようと焦っていたら、当の少年は事情を既に知っていたんだ。流石の私でも驚いたぞ」
「ははは、その節はお世話になりました」
彼はそこでようやく、先ほどから張り詰めっぱなしだった表情を少しだけ緩めた。だがすぐに、その顔は引き締まる。
「魔具を手に入れて、この〈楔打ち〉の効果を知ったとき、俺はひとつの仮説を立てた。このボールペンを魔具に変えた神格っていうのも、俺と同じスリス=ミネルヴァなんじゃないかってな。神に供物を捧げることで、その知識の一端を垣間見るという行為は古来より、世界中で繰り返されてきた行動だ。叡智を得るという部分はこの魔具が、そしてその恩恵に預かるプロセスを支障なく遂行する部分は俺の異能力が担当していると考えれば、この二つは一つの大きな概念を分担していると考えても支障はきたさない」
銃弾が撃ち抜いた箇所が重要部位であればあるほど、被弾者の叡智が増幅する……その現象で知識神への供儀の再現だとするならば所有者は遼である必要はない。だが、知識には多大なる代償が必要なのだ。恩恵を得続けるには自らの生命を削らなければならず、そのためには重要部位を撃ち続ける必要があり、それはそのまま死を意味する。神は供物を受け取り続け、かつ信奉者は捧げ続けなければならない。そうでなければ、信仰は途絶えてしまうのと同じように。
「そのための『複製能力』なんじゃないかと思い至ったわけだ。記憶や知性、異能といった概念から、己が肉体まで、供儀を行い続けるための機能の一つ…………とまあ俺の異能はきっと、カミの機能の本当にごく一部なんだよ」
《亡い物強請り》。無いなら作ってしまえば良い。亡いならもう一度創りだせば良い。ただ一つだけ、知らないモノだけはどうしても、複製することは出来ないのだ。たしかにそのことは逆説的に、知らないモノの存在を肯定しているともいえる。だからこそその異能は、叡智を授ける神格の一部たり得るのだろう。
「……今の話でわかっただろう、朔馬。スリスは俺の異能力を『複製』だと説明した。それは説明足らずでもなんでもなく、彼のカミがそう形容したとおり複製行為そのものなんだ。それ以上でもそれ以下でもなく、その他の条項は瑣末な問題にすぎない。どれだけの量の物体を複製できるのかとか、概念は複製できるのかとか、そんなことは本質ではないんだ。本質でないなら、こっちの解釈次第でどうとでもなるんじゃないかな」
僕は彼の顔をまじまじと見つめ、そのまま確かに頷いた。なるほど、だから曖昧なままなのか。とても長い話だったが、僕にとってはとても合点がいった。そして期せずして遼の過去に触れたことで、彼というひとりの友人に対する僕の心象も大きく変わったような気がしたのは、きっと気のせいではないようにも思えた。




