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【累計10万PV突破!】ミソロジーの落とし仔たち   作者: 葉月コノハ
第二章 Re×5:starting-memories
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嘲笑する使者

 波打つ川面から首をもたげた何か(・・)。それが爬虫類であることは一目でわかった。そしてその頭部の形状を見れば、それが巨大なヘビであることは一目瞭然だった。


「蛇よ、蛇蛇蛇蛇蛇!!!」

 蛇が苦手なのだろう、理恵が裏返った声で指さしている。彼女が言う通り、あれは蛇だ。しかもその首の広がった特徴的なフォルムは、コブラ科の一種に違いない。しかし大きさが桁違いだ。アフリカかそこらで全長十メートル近くの巨大ヘビが発見されればニュースになるが、このヘビの写真を持ち込めば世界のトップニュース間違い無しだろう。水をぼたぼたと垂れ流しながら鎌首をもたげたそのヘビの背は、すでに月光を遮るほどに高い。これは推測だが、この蛇の長さはゆうに百メートルを超えているのではないか。その存在は、それそのものが神代のものであることを暗に示してもいたのだ。僕はこの時はじめて、カミと形容するべき存在を目の当たりにしたのだ。


「これは拙いぞ……」

 走って逃げて距離を取るなんて次元の話じゃないのは直観で感じ取った。この巨体にとっては、僕たちの全力疾走なんて身じろぎ一つで追いついてしまう。


「そんなの見たら判るってばッ、急いで、出てきなさい!」

 理恵は裏返った声のまま、取り出した一本の線香にマッチで火を点ける。すぐさま虚空より巨大な蚊が出現し、僕たちと蛇の間に割って入った。だがしかし、その体格差は歴然たるものであった。たとえ巨大な蚊といえど、この蛇の巨体の前にはそれこそ、ただの虫けらも同然。


「ウイルスでも注入すれば、いくら図体がでかいとはいえッ……」


 吸血忌は噛みつきを紙一重で避けると、蛇の後頭部へと回り込む。水の中で姿勢を変えて、蛇が後ろを振り向くと、こんどはさらにその後ろへと回り込む。その動きのたびに、サーフィンでもできそうな波が立っては河岸へ打ち寄せ、僕たちはたまらず内陸へと走って避難した。


「水に濡れたってウチの子は強いのよ、喰らいなさい!」

 吸血忌の身体にかかった水が、一瞬のうちに全て赤く染まる。そしてその全てを体表から吸収した巨大な昆虫は俊敏かつ力強く蛇の身体にしがみつくと、その鋭利な口吻を深々と蛇に突き刺した。鱗を何枚も突き破り、その凶器は血管へと到達する。


「蚊は病気の媒介となるのよ。世界で二番目に多くの人を殺めた生き物なんだから。昆虫舐めんじゃない……」

「拙い。全員、走れ!」

 遼が僕の服の裾を荒々しくつかむと、何を思ったか突然駆け出した。理恵と黒猫も、首をかしげながらも遼についていって走り出す。突然のことだったが、転ばないようになんとか脚を動かして、僕たちは川岸から勢いよく離れた。


「ちょ、ちょっと何考えてるのよ遼。せっかく倒せそうだったのに……」

「違う。アレじゃアイツを倒せない。場所が海でもなきゃ、アイツを殺すのは不可能だ」

「あんたいったい何を言って……」



 黒猫の言葉は中断された。今や数百メートルほど離れた大河に異変が生じたのだ。突然、蛇がのたうち回りはじめたのだ。その動きは、どう見ても病気によって苦しんでいるようには見えない。むしろその逆。怒りに狂い、しがみつく蚊を振り落とさんと、暴れ放題になっているようにしか見えない。なぜならその凶暴性は弱まるどころか、むしろ増しているようにすら思えるからだ。


 吸血忌は戦線を一度離脱すべく、翅を素早く震わせた。だが蛇はその瞬間を見逃さない。目にもとまらぬ速さで首をねじると、忌々しくも首に穴をあけたその害虫(・・)を、一口に呑み込んでしまった。


「え……」


 ぐちゃ、ぐちゃ、と短い咀嚼音があたりに響くと、蛇はその喉を満足げに動かしてしまった。

「なんで」


 そしてその爬虫類の目は、今度は僕らを補足する。


「逃げろ。もしくは防壁を創れッ!」


 遼の言葉で僕と黒猫は走り出す。理恵も少し迷ったが、迫りくる大蛇を見て、逃げることに決めたようだ。ここには手ごろな水が無い。彼女も僕も、遼も、黒猫も、今は為す術がない。


「なんなのよアイツ、ねえ遼、あんた、なにか心当たりが」


「走りながら説明できるかっての。走らなきゃ喰われるぞ!」


 走りながら、少しだけ振り返る。巨大コブラは、音もなく僕たちとの距離を詰めていた。


「相手はコブラでしょ。私がクジャクになれば……」

「体長百メートルのクジャクになれるなら変身しろ。じゃなきゃ黙って走れ!」


 黒猫は黙ってしまった。そうして走っている間にも、蛇との差はみるみると縮まってしまう。僕たちが例の、遼が最初に見つけた用途不明の鉄のオブジェの隙間を走り抜けるころには、その差はわずか数十メートルほどまでになってしまっていた。


「こんな、鉄の柵なんて、意味無いに決まってるだろうが……!!」


 僕はその横を通過しながら、鉄柱を裏拳で叩く。もちろん痛いが、この痛みは突然理由もなく降りかかってきた理不尽への怒りにくれてやる。僕らは諦めずに走り続けているが、走ったところでアテがあるわけでもないのだ。でも諦めるわけにはいかない。諦めたくない。せめて、最後の最後まではあがき続けないと……。

「遼もう無理よ、観念して戦うしか……」

 黒猫は言葉と共に、くるりと方針転換して蛇の方を向いた。迫りくる蛇と向かい合い、一矢報いるべく戦う構えを取ったその時だった。




 一筋の閃光が、空より放たれる。そして一瞬の後、轟音が耳を突き刺した。雷だった。





 突如落下した雷は、正確に鉄柱だけに激突した。それが避雷針の役を果たしたかのように。その柱がもともと、そのために設置されていたかのように。そして柱をまさに食い破ろうとしていた大蛇にも、その電流は牙を剥いた。



 蛇は大きく身震いすると、そこで進行を諦めて、ゆっくりとその行き先を変えた。元居た河の中に戻るべく、ずりりりりり、と音を立てて身体をねじり、すぐそばにいる僕らには急に関心を失ったとでも言わんばかりに、振り返ることなく戻っていった。



「助かった……のか?」


 帰っていく巨大な背を見ながら、僕は遼に話しかけた。彼はしばらく鉄柱を睨んでいたが、やがて僕の視線に気づくと、表情を崩して座り込んだ。


「そのようだ。どうやら俺たちは、インドラ神に感謝しないといけないらしい。……ほら黒猫も、奴さんは帰ったみたいなんだし、戦いの構えを解いて休憩したらどうだい。走り疲れただろう」


「インドラ…………ってことは、あの蛇はヴリトラだって、遼はそう言いたいの?」

 理恵もどっと気が抜けたようで、力なくその場にへたり込む。

「たしかにヴリトラはヘビの姿としても描かれるけど、雷を嫌がる蛇の伝承なんて他にもごまんとあるでしょう。同定の根拠は何」

 黒猫はまだ立ったまま、理恵と遼を見下ろしている。

「……理恵の蚊が喰われたからね。ウィルスが効かないとなれば不死の蛇類だろう」

 黒猫は河の方を一瞥すると、輪になるように二人の横に座り込んだ。僕も促され、理恵と遼の間に腰掛ける。


「理恵の蚊は血で湿っていた(・・・・・)のが鍵だったってこと?」

「おそらくな。少なくとも、俺はそう判断した」

 黒猫は遼との会話の末、自力で答えに辿り着いたようだったが、当然詳しい知識を蓄えていない僕はおいてけぼりだ。遼はそんな僕の表情から困惑の色を読み取ってくれて、こちらを向いて丁寧に説明を加えた。


「ヘビの姿をした怪異やカミは多く存在するが、理恵の吸血忌がウイルスを流し込んで、それでも死なない存在となれば選択肢は限られてくる。どんな生き物でも生き物である以上は病気に感染し得るからな。致死性の病気にならないという事は、その存在の死についてなんらかの定義が為されていると考えた方が自然だ。不死性を持つ蛇。その可能性の一つとして、ヴリトラを候補として考えてみた」


 ヴリトラ。名前なら僕も耳にしたことがある。インドの古代神話に登場する神格のひとつで、夏を象徴し干ばつを呼び起こす大蛇だという。


「ヴリトラならば、木、武器、乾いた物、湿った物、岩のうちのどれもが凶器となることはない。あのときの吸血忌は、その全身が血で湿っていたから、ヴリトラを殺すことができない要因を満たしている。ではもし本当にあの蛇がヴリトラならどうするか。かの蛇を殺すためにインドラは海の泡を用いたそうだが、あいにくこのあたりに海はない。であるならば、俺たちには逃げる以外の選択肢はない」


 そしてこの柱だ、と遼は(くだん)の、そびえたつ鉄柱に視線を移した。

「この柱は、ヴリトラと思しきあの大蛇が触れた瞬間、一種の警報装置のように雷が降り注いだ。そしてあの大蛇は怯えるようなそぶりを見せ、それ以上近づくことなく戻っていっただろう。そう、かつて自分を殺したインドラを、雷神(・・)インドラを怖れるかのようだったじゃないか」



 今や遠く離れた河を見る。ちょうどまさに、ヴリトラのその巨大な尻尾が、川面に波紋を立てて姿を消すところであった。かのカミは、おそらくこの柵の外側には出ることは出来ない。許されていない。

 この柵は、なにも僕たちを守ってくれたわけではないのだ。結果としてそうなっただけにすぎず、柵が檻の役割を果たした結果、僕たちはそれに偶然救われただけ。このどこまでも続く河をぐるりと取り囲んで、どこまでも続く鉄柱の列。そして、ヴリトラがその線を越えた瞬間に天から降り注ぐインドラ(カミ)の鉄槌。ここはそう、かの蛇の監獄。



 僕は立ち上がり、鉄柱へと歩み寄る。さきほど力任せに殴ったこの柱に、おそらくヴリトラは数えきれない回数噛みついてきたのだろう。ヴリトラはかつては悪神とは見なされていなかったが、時代が下るにつれてその性質が変質し、「善」神インドラに対比される形で、悪神としての地位を得たのだという話をふと思い出した。この場所でいつまでも岸から上がることを許されないヴリトラのことを思うと、僕は少しだけ可哀想に感じた。



「そう思うだろう?」

「……うん」


 **




「……そういえば、朔馬を唆した(・・・)のはヴリトラだったのかな」

 理恵は、少し離れた場所に一人佇む(・・・・)彼を見て、遼に話しかけた。

「唆して操る神格といえば、ゾロアスター教の悪神や、サタンなんかしか思いつかなかったわ」


「ああ。ヴリトラと同一視されるアジ・ダーハカはまさしく唆す者だ。耳元でささやき、王の治世を狂わせる」

「夢を見せて操ったり、耳元で囁いたり、手口がバラバラだからもし遭遇しても良い対策ができるかわからないのがねえ……」


 黒猫が峰流馬にそう相槌程度に返事をすると、ふと黒乃朔馬に視線を移した。そして今独りでいる筈の彼の口が、誰かと話しているかのように動いている(・・・・・)ことに気付くと、その血相が変わる。


「……朔馬?」


 **


「うーん、話しにくいな。よし、もうちょっと柱に近寄ってくれるかな」

「こう?」

「そうそう、僕は君の後ろにいるんだけど、鏡を通してでしか姿は見えないから。その柱の表面で反射させて」


 僕は錆ひとつなく磨き上げられている鉄柱の、その凸面鏡のような表面を覗き込む。そこには縦に伸びて間の抜けた顔をした僕の姿。さらにその奥の方では、こちらを訝しげに見つめている黒猫や、話し合う理恵と遼の姿も映っている。


「ちッ……ネコは勘が鋭いな。こうなったら、君の精神だけと話すことにしよう。長々と話していてはバレてしまうからね。他のカミガミならともかく、あのネコとは旧くから仲が良くない。その端くれのニンゲンだって、本能で僕の正体が判ってしまうに違いない」


「……はぁ」

 この声は、一体何を言っているのだろうか。黒猫、のネコ、と旧くから仲が良くない……誰?


「僕が姿を現すのは一瞬だからね。その一瞬で、鏡越しに僕と目を合わせて」

「でも……」

「合わせろ」


 少年の声だ。だがその最後の言葉だけは、有無を言わせない強い拘束力があった。その言葉の発する引力に、僕は逆らえない。そういえばそもそも、この声が聞こえたのはいつからだろうか。そもそも僕はどうしてこの声に従っているのだろうか。不思議に思わないのだろうか。


 僕の背後の影が揺らめく。まるで最初からずっと背中合わせになっていたかのように、僕の後ろに新たな人影が姿を現す。カーキ色の軍服に身を包んだ、僕よりも一回り背の低い少年。そして彼がくるりと回れ右をし、その端正な顔つきが顕わになる。



 その深淵のようにどこまでも黒い瞳と、僕の目が合った。





 **



 目を覚ますと、僕はなぜだか湖のほとりにいた。砂漠や大河の姿はどこにもない。見上げる空は清々しいくらいの青だった。

「ここは……」

 空のどこにも月が無いことから、アネクメーネではないのは間違いなかった。髪を揺らすそよ風は優しく吹きつけ、湖の水面がやさしく揺り動いている。辺りを見回したが、黒猫たちの姿はどこにも見当たらない。僕ははぐれてしまった彼女らと合流するべく、だがあてもなく歩きはじめることにした。


 湖は、その外周をぐるりと深い森に囲まれているようだった。森に無謀に飛び込んで、道に迷っては元も子もない。僕は慎重に、とりあえず湖の周りを一周することにした。


 湖のほとりは初めて歩くが、その心地よさはまさに極上の物であった。鳥のさえずりと暖かな陽光。森の奥は暗く少し不気味だが、童話に出てきそうなその森に目を向けるたび、何とも言えない好奇心が胸をくすぐるのだ。やがて僕は、森の中へと一本だけ、ほそい道が伸びていることに気が付いた。その導く先へ目を凝らすと、小屋のようなものがあるように見える。




「すいませーん、誰かいらっしゃいませんか?」

 小屋だった。湖の姿がまだ見えるほど距離に、木製の小屋がぽつんと建っていた。蔦やほこりや蜘蛛の巣は無く、きれいに掃除が行き届いていることから、誰かが定期的に出入りしていることは一目瞭然だった。


「開いていますよ。入って構いません」

 小屋の中から声がする。さっきの少年の声だ。僕はすこし躊躇いながらも、ゆっくりと木製の扉を手で押した。



 中には小さな暖炉があって、ぱちぱちと音を立てて炎が灯りと暖を放っていた。そしてその光を浴びながら、安楽椅子に座って小説を読む少年が独り。僕が入ってきたのを見ると、その本をパタリと閉じ、にこやかな笑みを見せる。


「お待ちしていましたよ、黒乃朔馬さん。このような強引な形で呼び出したことを許してほしい。僕と君の会話に、無粋な邪魔が入るのを避けたかったためだ。そしてその最初の手段として、君の肉体ごとヴリトラもどきの監獄に無理やり連れてきたことも詫びておきましょう。なに、安心してください。僕の要件が済みましたら、すぐに元の世界に帰してあげます」

「ここは……どこですか。それに、どうして僕の名前を」


 名前を知るなど造作もないことですよ、と彼はふとまじめな顔に戻る。

「ここは、僕の拠点のひとつです。場所そのものはアメリカにあるとある森の中ですが、そこに君の魂だけ連れてきました。時間の流れも曲げてありますから、この会話はそう、文字通り一瞬の出来事です。君の肉体がアネクメーネでぼうっとしているその一瞬の間、君の魂だけが僕と話をしている」


「失礼ですが、あなたの名前を伺っても」

 相手は少年だが、そのたたずまいには落ち着きと威厳があった。だからか自然と敬語で話しかけてしまったが、彼はそれを当然のように受け取ると、ふむ、とその白く細い手で顎を触った。その慣れた手つきと佇まいから、この少年が見た目通りの年齢ではないのだと、直観が告げた。


「僕は多くの名前を持っていますから、どの名前で名乗ればいいのか……。そうですね。嘲笑する使者(・・・・・・)、とでも名乗っておきましょうか」

「使者……一体、誰のですか?」

「それは申し上げられません、残念ですが」

 彼はちらりと僕を見ると、さて、と息を大きく吐き出した。

「さて、それでは本題に入りましょう。僕は君に伝えなければならないことがあります。出会ってばかりでこんな話をするのも気が引けるのですがね……。では予言します。僕はここからそう遠くない未来において、黒乃さん、君と敵同士になる」


 彼の言葉で、世界が塗り替えられていく。気が付くと僕は宇宙の中に浮いていて、気が付くと図書館の中にいて、気が付くと真夜中の河川敷にいて、気が付くとまた、最初の小屋の中に立っていた。


「僕は反体制の存在と言い換えても良いでしょう。僕は君のツレのネコや、その他の神々とは根本的に相容れない存在です。そして僕は僕の魂の赴くままに、僕の為すべきことを為します。その過程で君の前に、障害として立ちはだかることがある。それは避けられない未来です」

 嘲笑する使者はその目を細めて僕を見る。一瞬彼の目に宿った殺気に思わずぞくりと全身の毛が逆立つ感覚を覚えたが、彼が視線を逸らしたことで、僕はすぐに平静を取り戻すに至った。そうだ。もし彼が本当に僕を殺すつもりであるならば、もう既にそうしているはずだ。それに今僕は精神だけの存在であるという彼の言葉を信じるならば、そう、怖れる必要はないのではないか?


「いえ、それは誤解ですよ。精神だってあっけなく死んでしまうものです」

 もちろんそんなことはしませんが、と彼は目をつむって付け加えた。その表情は嘘をついているようには見えなかったが、僕はそんなことよりも、心の中を読まれてしまったことに衝撃を受けていた。


「どうして将来敵になる僕と、こんな親しく話そうと思うんですか?」

 僕は問う。この掴みどころも真意もなにも分からない使者に問いかけ、その意図を尋ねようとした。

「それは、その敵対そのものが僕の本意ではないからですよ。君にとって、〈守り手〉にとって、連盟にとって、その他地球に住まうすべての命が本質的に僕の敵であるのは間違いない。ですがその逆、僕にとっての君は敵と扱うべき存在ではないのですよ。むしろそうではなく、僕の目標というか、一種の同胞意識すら芽生えているといっても良いのですから」


「僕に……?」

 僕がなにをしたというのだろうか。異能なら他にも持っている人がいる。時間遡行だって、その行為自体は僕だけができるものでもない。つい数日前まで普通の高校生だった僕が、なぜ、この見ず知らずで得体のしれない少年と『同胞』なのだろうか。

「何故か、はまだお教えできません。ですが覚えておいてください。君にとって僕は敵です。次に会う時、君は僕と互いを殺す気で向き合わなければならない。ですが世界は見かけほど単純でもないということくらいは、アタマに入れておいても良いかもしれませんね。あなたの今後の、立場のために」


 では言いたいことをあらかた言ったので、そろそろ帰してあげます、と彼が呟くと、視界はぐにゃりと歪んでいく。一方的ですいませんねと、穏やかな少年の声が、今度は脳の中に響き渡った。僕は吐き気を誘うようなシュールレアリスムの視界になんとか目を凝らし、そこにいるはずの、少年に向かって声を張り上げる。だが僕の声は喉に張り付いて、口から発せられることはない。


「あ、そうそう。忘れていましたが、僕と出会ったことは他の人には内緒ですよ。二人だけの、二人しか知らない、秘密です」






 **




「朔馬、どうした?」

 黒猫が僕のそばに走り寄ってきた。どうやら僕は、鉄柱に見とれてぼうっとしてしまっていたらしい。

「いや、とくに何も」

 咄嗟に嘘をついて誤魔化してしまった。自分に言い聞かせるように首を横に振ると、黒猫は訝しげに僕の目を覗き込んだ。彼女の------というより、彼女の中に眠る猫の神の直観が、彼女に何かを告げたのだろうか。

「……ほんと?」




『……内緒ですよ』



「ああ、なんともない。それに多分、これで僕たちは表に戻れる」

 僕がそう口を開き始めたのと、視界がゆらめき、月の浮かぶ曇天が空から消えていくのは同時だった。だが黒猫は、まだ僕の目を疑り深そうに見つめている。


「朔馬……私たちは貴方の味方よ。隠し事は、しないでね」

「……ああ」


 味方、という言葉の意味がわからなくなってきてしまいそうだった。

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