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【累計10万PV突破!】ミソロジーの落とし仔たち   作者: 葉月コノハ
第二章 Re×5:starting-memories
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河の底より唆す者

「冥界に河は付きだな。言わずもがな、目指すは神秘性の純度が高い上流だ」


 遼が手を叩いて立ち上がり、辺りを見回す。そして川の両岸、なにやら不思議なオブジェのようなものを見つけた。

「ありゃなんだ?」

一見すると、それはどちらも鉄製の棒のようだった。太く長い円柱が、なぜだか川岸から数百メートルほど離れたところに、列をなして等間隔で設置されている。

「わからん。正体不明なものには近寄らないに限るな。幸い俺たちは川沿いを進むだけだし。地面が高いのは……こっちだな。さァ、行こうか」


 歩き出した遼に続くべく、ぞろぞろとみんな立ち上がり、行く先を目で追う。少し平地を流れ、その先は山と山の間へと続いている。山肌は霧に隠れてよく見えないが、どうやら渓谷のようなものがあるらしい。後ろを振り返るが、河は地平の果てまで続いており、海のようなものは見えない。真逆、これは果てしなく長い旅になるのでは……。


「安心し給え、必ずしも源流を辿らなければならない訳じゃない。俺たちはただ、アネクメーネに呼び寄せた誰か(・・)、又は何か(・・)を見つければ良いのだから」


 遼は僕の顔色の変化を見逃さなかったようだ。不安を読み取り、補足を加えてくれた。


「……それがもし、源泉地に陣取っていたら?」


 すかさず僕は返事をしたが、今度は遼は何も言わなかった。長旅になるのかもしれない。僕は頭をよぎった最悪の想定を振り払い、少し距離の離れてしまった理恵と黒猫に追いつくべく脚を早めた。


「ギリシア神話のスティクスの川とか、神曲のコキュートスとかを思い出すねえ」

「ああ、レテの川とかアケロンってのもあったよね。川ばっかりよ」


 彼女たちに追いつくとそこでは、理恵と黒猫との間で神話談義が繰り広げられていた。議題はどうやら、神話に登場する河川についてらしい。


「そういえば、東洋には三途の川ってのもあるにゃ。これも冥界繋がり」


 今話題に上がった河川はどれも、冥界や死後の世界を流れている。逆に言えば、各地の神話で重要な役割を果たす河川のうち、人間界や天界、又はそれに準ずる地区のみ(・・)を流れるものはほとんど無い。


「北欧神話を流れる十一の川はニブルヘイム源泉じゃなかったっけ。死者の国ヘルヘイムと、氷獄ニブルヘイムは全く別の世界。これは例外?」


 僕は理恵と黒猫の間に割って入るように、後ろから声をかけた。確かに川と冥界の間に多くの関連性を見出せるが、例外があるなら話は別だ。定理に例外は付き物であり、例外が無い定理の方が稀なくらいだ。だが例外が二つも三つも見つかってしまえば、今度は定理の信憑性を問わねばならなくなる。例外は一つのみしか許されない。



「いーや、例外じゃ無いぜ」


 遼も追いついたようだ。僕の隣に並び、言葉を続ける。


「ニブルヘイムは、古エッダではニブルヘルと表記される。単なる表記揺れのようにも見えるが、舞台となる北欧の地において、最も身近な死の壁とはすなわち凍死だ。氷の世界ニブルヘイムが死者の国ヘルヘイムと同一視されてもなんらおかしくないし、それを示唆するかのような文献も存在する。加えてヘルは最終戦争(ラグナロク)の際、氷の巨人の大軍を率いて参戦している。ニブルヘイムとヘルの間に、なんらかの関係があったのは間違いないだろう」



 ここまでくれば談義というより、ちょっとした講義だ。僕たちは時折相槌を打ちながら、遼の言葉に耳を傾ける。


「海や砂漠が発生条件が存在する地形であるのに対し、河川は全国共通であり、生活の要を担うものであり、だからこそ神話にも取り入れられる。神々にとっても、河川はなくてはならない存在であるという訳だ」


 ふーむ、と考え込むそぶりを見せる理恵。その後呟いた、なぜ川だったんだろうね、という短い疑問を、遼は逃さなかった。


「ああ。確かに森や山も『異界』という扱いを受ける。人々はそこから豊かさを享受するけれども、そこでは必ず何かしらの事故が起こるし、だからこそそれを恐れ、敬う。でもその本当の理由は、『森や山は本当に不可視だから』だ」


「どういうこと?」


 理恵が疑問を投げる。遼は待ってましたとばかりに笑みを浮かべ、得意そうに言葉を続けた。


「つまり君はこう言いたい。『森や山は目に見える』と」


 理恵が頷く前に、黒猫がその通りだにゃ、と口を挟んだ。


「木を見て森を見ず、なんて言うじゃない。見ず、という以上は見えるんじゃ……」



「どっこい、これを見えない。というのがここのミソだ。これはとても観念的な解釈なのだが、注目すべきはヒトの信仰の対象についてだ。ヒトは妖しげな森やそびえ立つ山に畏敬の念を払っても、開拓された後の人工林や、リゾート地に改造された山を敬うだろうか。それらは、たとえ命の危険がそこら中にあるのだとしても、その性質は遊園地と変わらない。人が入れない『謎』が不可侵のまま残っているからこそ、山や森は人々の間で『異界』となったのだ」



「ほうほう。それで?」

 僕は続きを促す。



「話はここから本題に戻る。川の場合はどうだろうか。命の危険と引き換えに人々に恵みをもたらす点は森や山となんら変わりがないが、川の神秘性は、その流動性にあるというのがポイントだ。この一点において、川は冥界との親和性を獲得したと解釈できるのさ」


 その瞬間、僕は理解した。つまり川は、その流動性で神秘性を担保し続けているのだ。森や山は踏破された瞬間に神秘性を失う。だが川は川である以上(・・・・・・)流れ続け、たとえ底が見通せたとしても、踏破された川は流れていなくなる(・・・・・・・・)



「にゃるほどなァ。『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』、と方丈記は鋭かったわけだ」


 黒猫も、続いて遼の真意を捉える。


「川は神秘性を保ったまま、あちら側とこちら側、つまり生者の国と死者の国との明確な線引きになる。だから世界各地の冥界のシンボルとして採用されるとまァ、俺なりの解釈だがどうだろうか」


 彼は口を閉じ、ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が起こった。

 その後しばらくは遼を中心に河川について話していたが、十分ほど経った頃から口数が減ってきた。皆少しづつ、疲れの色が見え始めたのだ。


 誰も喋らなくなったので、僕は空を見上げる。天空には、今にも雷を呼んできそうな黒々とした雲が一面に敷き詰められ、ただ一点ぽっかり空いた空間からは、真っ赤な月が顔をのぞかせている。月の周りだけ雲が無いのだ。光を放つ月の周りには、同じく光を放ついくつもの星たちが浮かんでいるのを見るに、この曇天の向こう側には、満天の星々が広がっているに違いない。僕は立ち止まると、かがんで足元の石を拾った。




 理恵が立ち止まり、不審そうに僕の挙動を見つめる。何故こんな(・・・)馬鹿な考えが浮かんだのかはわからない。きっと悪魔が囁いたのだ。冥界に住む悪魔かなにかが。先ほど川に頭まで浸かったとき、耳の中に入り込んだのだろうか。


「投げろ」


 頷く。軽く力を込めて、僕は石を放り投げた。手から離れ、ゆっくりと、ゆっくりと飛んでいく小石。山なりにならずにまっすぐ飛んで行き、やがて雲に隠れて見えなくなる。そして数秒後、なんと、空から轟音が降ってきた。


 我に返り空を見上げる。一体何に当たったんだ。そもそも石が一直線に飛んでいくのも……いや、それは僕の異能力だ。ではまさか、あのまま雲を突き抜けて、僕があると仮定した雲の向こうの星の一つに……。


「あ、当たったのか?」


 皆ぽかんと口をあけ、そもそも何が起こったのか理解するのに戸惑っていた。ただ理恵だけは僕の行動の一部始終を見ていたから、目を細めて懐疑の念を示している。

「わ、わざとじゃない。誰かが投げろって言ったような気が……したんだ…………多分」


 それを聞いた瞬間、遼の表情に緊張が走る。

(そそのか)すカミか、図られたな」


 すぐに、音に惹きつけられたのか水面が不自然に波立ち、ばしゃばしゃと川が荒れる。口元がひきつる彼を嘲笑うかのようにごぽごぽと音を立て、水面が隆起する。慌てて僕らは川から距離を取った。遼の動きは素早く、彼の腕の中に、黒光りするライフルが現れた。

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