アタマ
「私のことを、人形風情などと、罵った、報いですわッ!」
カノンは、もう動かなくなったヤイバの腹部に、何度も何度も蹴りを入れる。身体はされるがままに宙に浮き、赤い水がぱしゃっと跳ねた。彼女の真白な靴下が赤く染め重なる。
「人形だろうが。誰に何を吹き込まれたかは知らんが、お前はいま自分が何をしているのか、本当にわかっているのか?」
遼が悪態を吐きながらカノンを睨み、僕たちと合流した。理恵もその後を追って来たが、その眼は充血から赤く腫れている。
「……対人訓練なんて、してないわよ馬鹿ッ……」
「中立を気取って日和っているからですよ。人型怪異などと並べてもらっては困ります」
そう冷酷に言い放ったカノンは、今度は遼を指差して明確な敵意を向けた。
「そして貴方。貴方も私をその名で呼びますか。ならば貴方も許しません。撤回しなさい」
「断る。どれだけオリジナルと異なる思考回路を持っていても、どれほど自己否定を重ねても、結局お前は模造品に過ぎない」
「黙れ」
「断る。人間と同じ自己意識を持ったロボットが自分自身が作り物であると知ることは、自我の崩壊を招くと聞くな。お前はどうだ。かつてドール18と識別されていた日の記録を思い出して、それでも今の自分に確たる自我があると言えるか」
「黙れ」
「断る。ではお前は自分をどう呼んでいる。真逆ドール18のままではあるまいが、お前が自分に特別な呼称を用意したならば、最初に宣言しても良さそうだからな。独りで行動しているから必要性を感じなかったんだろうが、自称とは自我の存在証明だ。お前はまだ、そこに思い至らないのか?」
「うるさい……」
「yesかnoで応えろ。お前は未だ、そこに」
「うるさいうるさいうるさい黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェェェェ!」
いきなりカノンは叫び声を上げた。怒りに任せて鎌を振るう。斬撃は辺りの暗闇をまとって肥大化し迫り来るが、煩雑な攻撃は綿津見と理恵の異能によって簡単に防がれた。
「ちッ……多重尋問の誤謬で人工意識を破壊できるかと思ったが、怒らせただけか」
「いや、妙な策略を仕掛けられるよりマシだ」
綿津見のフィンガースナップに呼応し、カノンを覆うように隆起した地面の柵は、黒い刃に切り裂かれた。憎憎しげな表情を浮かべたカノンが、砂埃の向こう側から姿を現す。
「貴方だけは許しません、峰流馬遼。私は、私は、私は、私はッッッ!」
カノンがふらふらとおぼつかない足取りで、鎌を地面に引きずりながら近づいて来る。
「……作戦変更だ。遼、お前は理恵と朔馬君と一緒に〈印〉を探せ。そして所有権を宣言しろ」
「何言ってるんだ。ヘイトを稼いだのは俺だぞ。俺が残る」
綿津見が左手で遼の胸を小突く。同時に右手で払う仕草をすると、そこら中にあった水溜りが一瞬で蒸発し、代わりにカノンとの間に氷の壁が出現した。壁は一瞬で破壊されたが、またすぐに再生する。
「大馬鹿者が。お前じゃ異能の相性が悪すぎるんだよ。魔具二本差しだからって、まさか全ての攻撃を射撃だけで捌き切れるなんて言うわけじゃあるまい。頭が良いお前なら判る筈だ」
遼は口を閉じた。そして何も言わず、来た道を独り走って引き返し始めた。
「−−−−−−死なないでね、綿津見」
「努力するさ。幸運を祈る、理恵」
さぁ行こ、と手を引く理恵につられて僕も足を踏み出す。振り替えると、綿津見は僕の目を見つめていた。
「朔馬クン、君の夢の話は大変興味深かった。俺がその話が真実だと確信したのは、君が金属のキューブとやらを持っていたという部分を聞いたからだ。もう、意味は判るね?」
迫り来るカノンが舌打ちをして、地面に手をつく。自身を取り巻く黒い影を手で掴み取ると、引き延ばして槍を形成する。
「行かせるものですか!」
投げつけられた槍は空中で三本に分裂し、僕らに迫る。
「おっと危ない」
綿津見が右手を振ると、近くに散らばるレンガが液体となり流動して壁を作り、槍の進行を妨げた。
「精製宣言、タルパ」
レンガの壁が、彼の言葉に呼応して形を変える。まるで意思を持つように流動し、蠢き、大きな人型となりカノンの前に立ち塞がる。
綿津見の背中にかける言葉が見つからない。見つからない。僕は何も言えないまま、理恵と一緒に遼の後を追うことにした。これが彼を見る最後の機会になるだろうということは、僕にだって判っていた。
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「どこにあるっていうのよ!」
バタン、と荒々しい音を立ててドアが開け放たれ、すぐに閉められる。遼が電気をつけると、部屋が明るく照らされた。
「きっと〈印〉は金属製のキューブだ。僕が見た夢に出てきた奴」
綿津見が言い残した言葉の意味は、きっとそれだ。
「ポケットサイズなら尚更どこにあるのか判らないわ。ああもうどこにあるのかしら?」
「書庫には無い。あそこの管理担当は俺だ。管理を綿津見本人がしているという証言に矛盾するし、なにより俺自身が見た記憶が無い」
二人は慌ただしくデスクの引き出しをひっくり返している。
「ああもう、綿津見の私物ばっかり」
「金属製のものがそもそも見当たらないな。他の場所に保管してあるのか?」
二人は他の棚を調べ始めた。僕は歩み寄り、綿津見の机を覗き込む。引き出しにはごちゃごちゃした小物が詰め込まれている。そして机の上には、彼が以前持っていた本が置いてあった。
「綿津見、禁書持って行ってないんだ」
「ああ。所有宣言をした禁書はいつでも召喚できるからな。かさばるから携帯はしない…………いや待てよ、よく考えてみればそいつは変だ」
遼が引き出しを雑に閉め、足早に駆け寄ってきた。
「禁書や魔具は、所有宣言をした者以外が触れると所有者に通知が入るのは前に話したな。多くの場合は保険のために呪いをかけてあるし、平時にここに置きっぱなしにするのはあいつの性格からも納得だ。だが今あいつは戦闘中だろ。貴重な戦力を召喚していないのは不自然だ」
僕は手が触れないように慎重に、彼の禁書を調べる。不気味な皮に装丁された古びた本を見回していると、ページの間に何かが挟まっているのを見つけた。
引き抜いてみると、それは金属製のしおりだった。
「その紋章って……」
理恵の言葉で絵柄に注意を向ける。そこには何本かの直線と、なにかの絵柄があった。翼を生やし、頭部はイカのような化け物が彫り込まれている。
「遼、多分これが〈印〉だ」
僕はしおりを彼に差し出した。しかし、何故か彼は受け取りを拒否する。
「お前が所有宣言しろ。理恵も俺も戦闘用魔具を使用する。魔具を同時に二つ使用できない以上、宣言して起動させておくのは朔馬であった方が都合が良い」
素直に頷くことにした。夢の中でも僕が持っていたのだ。今度も僕がこれを持つのは道理だろう。僕が生き続ける限り、ルルイエは下降し続ける。星が正しい位置から外れるまで。今日の日付変更を越えるまで、僕は生き続けなければならない。
意を決してしおりを強く握りしめる。じーんと暖かくなるのを感じて手を開くと、薄い金属の板はに沿ってパタパタと折り曲がり、立方体に変形していく。
「〈ルルイエの印〉、起動」
僕と理恵と遼の三人は、揃って顔を見合わせた。




