まず、ひとり
「ここが……中心部」
3人が足を止めた先には、見慣れた学校があった。
私立七丘学園。僕や理恵達が通う学校、その校舎が今目前に広がっている。ヨコハマに限定的に出現したアネクメーネ。その中心となったのは奇遇にも、六芒星の形を為した僕らの学校だった。冬の冷たい風が吹き抜ける。身をすくめ、縮こまるようにコートに手を突っ込むと、ミツはため息をついた。
「人形って温度感覚あるのかしら。こう寒いと私、素早く動ける気がしない」
ぼうっと学校を眺めるミツ。彼女も学生と呼べる年齢であるのは間違いないだろう。彼女もどこかの学生で、昼間は普通の日常を送っているのだろうか。でもその日常も、今やもう壊れてしまったのだ。彼女がぎりりと歯を噛み締める様子を、綿津見が心配そうに見つめる。
「ミツ…………感情に任せて刀を握るなって、ヤイバに言われなかったか?」
「わかってる。でも、容赦はしない」
その言葉には、素人の僕でも感じ取れる、明確な殺気が篭っていた。
「それなら良い。……気を取り直して、行きますか。中の構造は朔馬くんが詳しいだろうし」
そう言いながらも真っ先に足を踏み出す綿津見。そのあとに、無言のまま僕とミツが続く。
その暗さと不気味さから、さらに広く感じられる校庭。怯えつつも、結局何事もなく校庭を通り過ぎ、校舎の中に入る。一階は全フロアが廊下でつながっているため、昇降口を入ってそのまま突っ切る。
先頭に立って廊下を歩いていると、中庭に人影が見えた。その容姿に、その雰囲気に、僕は見覚えがある。
「森賀さん_____ッ!」
僕の声に気づいたようで、人影はこちらを振り向く。月光に照らされ、その横顔が照らされる。碧く澄み切った眼が、こちらを見て笑った。僕は一瞬で察した。違う。
「いや、ただのコピードールだ」
後ろからついてきた綿津見が、訂正を入れる。
だが同時に、僕は別のことに驚いてもいたのだ。
それは、二日前の夜の夢。無我夢中で見た、あの謎かけ。摩訶不思議な世界に現れたあの少女が、今目の前にいるということ。カノンの姿を見て、僕はそれを確信した。
「あの時の女の子は_______君か。だったら、あの中で起こることも、全部これから起こることか」
僕は一人、呟く。
だとすれば___。二日前に見たあの夢が本当に起こるのならば、足りない物はあと一つ。足りないピースは、あと一欠片。
夢の中で、ポケットの中に入っていた、あの金属塊だ。
この少女は、あれを欲しがっている。今は僕は、それを持っていないが。
「あら。ここに来るまでに怪異に襲われて死んだと思ってましたわ。このまま何も障害がなかったら面白くないですもの。ちょっと嬉しいです」
制服を身にまとった少女の、顔や声はまさに森賀花音。
ただ、その長い髪型と、背中に背負った大鎌がオリジナルとの数少ない相違点だ。
「カノン。君は何がしたい?」
綿津見が静かに尋ねる。
カノン__そう呼ばれたコピードールは、静かに口を開く。
「_____私は、森賀花音であって森賀花音では無い。それは私の身体が糸で出来ているから。どれほど精巧でも、ヒトとして生を受けたものでは無く、そこには大きな壁がある」
そう言い放つ彼女は正しく人間そのもの。未だ彼女が人形であるという確信が持てないほどだ。
「私はいわば偽物。この世に生まれた最初の時から、私は本物には成れなかった。永遠に、虚構としての人生を強いられる苦しみを、私は知ってしまった」
だから、と彼女は続ける。
「だから、私は、共鳴したの」
「誰に」
「さぁ。それは私にもわかりかねます」
カノンは肩をすくめる仕草をとった。全く悪びれもしないその様子に、耐え切れなかったのはミツだった。
「ふざけないでッッッッッ!」
彼女は声を荒げ、ずかずかと前に進み出た。
「私たちをここに来させないために、わざわざアネクメーネを引き摺り出して、罪もない人たちを大勢犠牲にしてッ! あんたがしたことの償いを、報いを、受けてもらうわ」
「あら。それは私がしたのではないのよ。私はただ願っただけ。誰かが路地に作った祭壇に手を合わせて、『たすけてください』ってね。そしたらこうなった。おかげで人目を気にせず行動できたわ」
「……ヤイバとミツが見つけた祭壇か」
「神さまは本当にいるのよ。そして、バチじゃなくて贈り物をくれたわ。こんなに素敵な贈り物をね」
そう言って、カノンは得意げに、ポケットから、象嵌細工の小さなオニキス製の留め具を取り出した。
三つの鉤が描かれた、黒いバッジだ。
「_____〈黄の印〉だと!?」
綿津見が、珍しく驚愕の表情を浮かべる。
「これで私の紛い物の魂は、かの崇高な風の邪神を呼び出す供物となる。ルルイエの浮上には鍵が一つ足りなかった。でもこっちなら確実に、この街に邪神を呼び出せる。私という個が消えてしまうのは嫌だったけど、それでも偉大な存在の一部となれるの」
カノンが邪悪な笑みを浮かべる。素早い仕草でバッジを身につけようとする。
「悪くないわ」
「やめなさい!」
そう言って駆け出したのはミツ。
素早く太もものホルダーに挟んであった短刀を掴み、カノンに向かって投げつける。
二本の短刀が、カノンめがけて風を切った。
「ちっ……外したかっ!」
「_____遅い」
カノンはそう呟き、素早く鎌を振るう。飛んで来た短刀を避け、その流れのまま鎌を右手に持ち替えると、投げつける。体をひねり、ミツはすんでのところで鎌をかわした。
飛んでいった鎌は、音も立てずに壁に突き刺さる。ぱらぱらと、砂埃が舞った。
「武器を捨てたね」
ミツが、足から根が生えたように動かないカノンに駆け寄り、彼女の首筋目掛けて、銀の短剣を突き立てようとする。
だが、そんなミツの姿を見たカノンの顔に浮かんだのは恐怖への怯えなどではない。それは、歪んだ笑み。
「えっ_____」
ミツとカノンが至近で目を合わせる。それは時間にしてほんの一瞬の出来事であったが、その時、間違いなくなにかが起こった。
「あ……」
ミツの口よりか細い声が漏れる。剣の切っ先はあと数ミリでカノンの首に到達するというところだったが、ミツはその腕に込める力を失った。地面に短刀がからんと落ちると、ミツは膝から崩れ落ちた。続いて、耳を塞ぎたくなるような甲高い、絶叫。
「ああぁぁぁあああアア嗚呼あああ、ゃはははは、はは、わ、わわわ私はこれで、これで助かるのですか。知ってしまった。ああああ見ちゃった。見ちゃった。ここで死んでしまうだけで、もう苦しまなくて済む。でも死ぬのは嫌よ、嫌よ嫌嫌嫌なのよ、ねえ貴方------」
ミツ______そう呼ばれていた少女はカノンの顔を仰ぎ見る。
「あなた、だれ?」
糸が切れた人形ように、倒れた。口元は涎で汚れ、目には涙を貯めて。ミツ___そう呼ばれていた少女は、僕たちの目の前で絶命した。せめて安らかな死などと祈ってあげられるようなものではなかった。
足元で動かなくなったミツを覗き込むと、不思議そうにその顔を覗き込むカノン。そして首を傾げたまま、僕らの方に目線を移した。
「どうしたんですかこの娘。わたしなんにもしてませんよ?」
僕たちは言葉を失っていた。カノンの言葉が真実かどうかを判断する以前に、今目の前で起こったことを理解するのを、脳が拒んでいるのを感じていた。




