動き始めていた針
「も........森賀さん。どうしてここが?」
僕の言葉を受けてほのかに笑ったこの少女は、森賀花音。件の転校生。
やけに人に懐いたあのカラスこそこの場にはいないが、全身を和服で身を包んだ彼女は異様な存在感を放っていた。まあここはキョウトでもない普通の市営公園だし、ましてや今は正月でもないし、その理由は十割が彼女の服装にあるわけだが。
「私だけで解決できる自信があったのですが、手詰まりになってしまいましたので……」
御助力を承ろうと、と彼女は軽やかに言い放った。それは僕に向けた言葉では無い。返事をしたのは綿津見だった。
「独りでなんて自惚もいい加減にして欲しいもんだな。カノンが設置したと思われる祭壇を破壊したのはミツとヤイバだぞ」
「それはそちらが勝手に行ったこと。その祭壇に儀式的な意味は無いことは確認済みです」
攻撃的な口調が飛び交い、場の空気も険悪になる。
「……いえ。私は仕事仲間と喧嘩しにきた訳じゃない。手土産の情報はあの子のここ数日の動向よ。書庫でお茶でもいかが?」
彼女が有名な和菓子店の紙袋をひょいと持ち上げる。
「詳しい話は戻ってしましょう」
**
「そもそも、カノンは何の任務についていたの? 偵察任務とは聞いてるんだけど」
禁書エリアで腰を落ち着けた僕らは、早速情報交換に移った。とはいっても質問主はほとんどが僕で、僕の理解を追いつかせるのが主目的になってしまったが。
「偵察対象は、とある少年でした。彼の周囲で不可解な情報の欠落があるという情報提供を元に、彼へ人形を派遣したのは一ヶ月以上も前の話です。あの個体はもっとも完成度が高く、識別番号ではなくキチンと個体名を与えることまで考慮に入れていたほどでしたから、調査は単独でも十分だと判断しました」
森賀さんは使役する人形それぞれに、識別番号をつけているのだという。そしてその中で特に優秀な個体に関しては、名前入り個体にするようにしていたのだという。
「ですがいくら待っても18は帰ってきませんし、その後もその少年の情報は掴めていません。少年が魔術家の人間、もしくは何かしらのアーティファクトを所持している可能性も調査しましたが、該当するデータは無く、今のところなんらかの能力者であるという仮説しか立っていません」
「それで、カノンはどうやって世界を滅ぼすつもりなの?」
「個人または少数の人間が世界を破壊できると豪語するとなりゃ、方法は自然と限られてくる。問題はどれを使うか、だ」
今度は綿津見がやや緊張が混じった声で答えた。
「森賀、お前も検討はついてるんだろ」
まぁ、と視線も合わさずに彼女は答える。
「私もこの二日間、ただ和菓子を買って散歩していたわけではないので、もちろん私なりの答えに辿り着いてはいます。が……」
彼女は湯呑みをゆっくりと持ち上げた。
「質問が多すぎて、折角淹れたお茶が冷めます。それに私の予想通りなら……」
彼女は湯呑みに口をつけただけで、また机の上に戻した。
「残り時間の有無を気にするよりも、次のための布石を打つ方が大事よ」
**
「ハワード・フィリップス・ラヴクラフト。アメリカの怪奇小説作家だな。聞いたことがあるぞ」
遼がスマートフォンの画面を見せる。検索エンジンには白黒で、面長の男性の写真が表示されていた。
「独自の神話を創作した奇才。彼の生み出したおぞましき神々は総じて、クトゥルフ神話という大系にまとめられているそうだ。だが綿津見、アネクメーネでクトゥルフ神話の神話生物は発見されていなかったはずだろう。カノンの狙いがこれだというのは、どうも解せないぞ」
「だが禁書や魔具のあたりは、既に関係する品々が発見されているだろう。ありえない話じゃない。俺の禁書〈水神クタアト〉だってその一つだ」
「禁書は別だろう。あれは社会の在りように応じて定義が変化する。存在しない本だって恐怖の対象にはなり得る」
「それならアネクメーネだって同じだ。俺たち人間がいると認識した怪異はすべて、あの世界に生まれ落ちる可能性を秘めているんだぜ?」
「それはそうだが…………」
森賀さんが渡した資料には、カノンの断片的な位置情報が記されていた。それによると彼女は、そのほとんどの時間を海上で過ごしていたようなのだが、森賀さんはその座標に着目したという。
「カノンの姿はニ十か所以上の座標上で観測されていますが、それらの全てが、過去刊行された創作物において海底都市ルルイエがあるとされた座標と一致しています。この重複率は、真実に行き着いたと見なしても構わないでしょう。それに…………」
「それに?」
ヤイバはまだ承服しかねるようだったが、森賀さんに続きを促した。彼女は少しだけ躊躇った後、短くこう付け加えた。
「それに、私は、これが真実だという確信があるので」
「…………ああ、それなら構わんさ」
ヤイバは森賀さんの目を食い入るように見つめた後、ふいっと視線を逸らして呟いた。
「子のことは親が一番よくわかっているだろう」
その言葉に、森賀さんがふと顔を上げる。
「……人形たちは子供ではありませんよ」
「では何だ?」
「…………私自身、です」