二人のカノン
「結局、森賀さんも仲間なんですよね」
「まあ、俺たち〈守り手〉の一人ではある。あ、一応言っておくが、森賀を下の名前で呼ぶのは避けてくれ。混同する」
「誰と混同するんです?」
「カノンだ」
「カノンって……森賀花音さんのこと?」
「それが違うんだ。そこがややこしい部分なんだが、俺たちが考慮しなければならないのは、森賀とカノンの二人なんだ」
森賀は味方だけどカノンは敵だ、と言われても理解し難い。森賀花音は一人ではないのか。もしかして、学校で森賀さんが遼に言っていた、『敵性個体』とやらと何か関係があるのかもしれない。
「綿津見、それじゃ朔馬君も混乱するだけだよ。それに、情報の小出しは心象悪い。全部説明してあげな」
ヤイバに促され、こほん、と咳払いをする綿津見。
「説明するさ。物事には順序があるだろう。導入は話した。次は本論だ。森賀の異能力について情報を共有しようと思う。その名を、《多重分岐人格》という」
「ヤオヨロズ……八百万、ですか」
「比喩だよ比喩。そして彼女はアザナを野上という。野上の家は代々人形師でな。精巧な人形を作ると有名だった。君も名前くらいは耳にしたことがあるだろう」
確かに、『野上の人形』とは高級人形の代名詞だったと記憶している。それが真実ならば、彼女はお金持ちのご令嬢、ということになる。
「その野上だ。そして彼女の家は同時に、魔術の家としても名門であった。もはやイミナを必要としないほど、その優位は絶対的なものだったと聞く。そして先代の時、とうとう『人間の精巧な複製品』を作るところまでにその技術を成長させた。もちろん当代の野上もとい森賀花音もその技を受け継いでいるが、彼女たちが作る『体の中まで本物と寸分違わぬ』その人形には自我が存在しない」
綿津見は話を続ける。
「その家に生まれたのが、異能力を持つ野上花音だった。異能力を持つものとして森賀花音を名乗った彼女の異能は、自分の感情を完全に外側に吐き出す能力。彼女は自らが作り上げた人形を『器』として、感情をその中に注ぎ入れることに成功した。異能と魔術が上手く組み合わさった稀有な例だ。感情を吹き込まれた人形はその感情とオリジナルの命令に忠実に行動する。以来彼女は、昂る感情を人形に吐き出し、それによって〈守り手〉としての活動を行なっていた」
「詳しいですね」
人形というからには布と糸で作るのだろう。だが、自分のコピーを糸で編むとはどういう技術だろうか。内臓や血液まで縫って作るというのだろうか。でも、一体どうやって。
「ま、それこそが魔術の域だ。詳しいところはご本人と、彼女の家の者しかわからんだろうさ。でもまあ知っておくという事は大事だ」
綿津見がパチンと指を鳴らすと、モノクロの世界に色が注がれた。世界が急速に動き出し、喧騒が戻ってくる。どうやら元の世界に帰ってきたらしい。僕たちは公園のベンチに腰掛ける。
「そこで、ここからが本題だ。ある日彼女は人形の中に、とある感情を吐き出した。不審な動きをする少年に対する偵察兵として使用する為だった。だが人形は任務の偵察に行ったっきり、帰って来ることはなかった。人形が破損または破壊した場合にはオリジナルである森賀の元に通知が行くようになっているが、それらしき反応もない」
そして二日前、つまり僕が森賀さんと出会う前日の早朝に、ある事件が発生したのだという。アネクメーネの干渉地点で怪異と交戦中だった彼女らの前に、失踪していたはずの森賀の人形が突如姿を現した。
「かの人形は、森賀から奪った魔具の一つを用いて、俺たちに攻撃を仕掛けたんだ。戦闘能力は異常なまでに強大でね、その場に居合わせた、製作者の森賀自身も苦戦するほどだった。まあ今まで絶対服従だった自分の人形に突然反旗を翻されたショックも大きかったとは思うけど、ともかく俺たちは森賀の人形と戦った。そして戦線を離脱する直前に、彼女にこう告げられたわけさ。曰く、『世界を終わらせる準備が出来た』と」
「これが現状よ。そこに、森賀の人形と思しき人物に襲われた、という未来の夢を見た貴方がひょっこり現れた。これが繋がっていないはず無いじゃない」
佐口がメガネをくいっと上げる。
「森賀はいつのまにか新たな情報を掴んだらしいんだけど、なぜか私たちとは共有してくれない。でもあの子も独自に君に接触したというのなら、やっぱり君の存在が鍵で間違いないみたい」
だからわざわざ僕との会話に時間を割いていると、そういうことだろう。僕の肩に、大きすぎる期待がのしかかっているのは理解した。それに応えられる自信はといえば、全く無いのが現状であるが。
「……さてここの辺りで、君ににもう一人紹介しないといけない人物がいるようだ。所属は戦闘班だ。言わずもがな、だけどね」
はぁ、とため息を漏らす佐口さん。どうやら彼女に同僚はいないらしい。
「名前をミツという。ヤイバ、説明は貴方から」
「いいとも。彼女のアザナは誰も知らない。そもそも彼女自身が教えたがらない。幸運をその手に手繰り寄せ、不可能に近い隠密任務をこなすのが彼女の仕事だ。そいつは俺のパートナーで、自称凄腕の暗殺者で、今君の後ろにいる」
彼が僕をまっすぐ指さす。いや僕ではない。彼が指した先は、僕のさらにその先の、そう、ちょうど真後ろ。
「……その通り、です」
突然、近くの茂みから声がした。と同時に、僕の背中に誰かの背中の当たる感触がする。
「呼ばれて参上しました。いつから私がここにいると?」
反射的に振り返ると、そこには先ほどまでいなかったはずのもう一人が増えていた。ピンクのパーカーを被った少女。だぼっとした大きめのジーパンを履いていて、靴はサンダル。その容姿からはだいぶ緩めな印象を受ける。が、僕は彼女がそこにいる気配を、まったくと言っていいほど感じていなかったのだ。
「相棒の勘、と答えておけば十分だろう。さ、話の流れはわかってるな?」
「もちろん。ええと……ミツと申しますです。今後色々と迷惑をかけると思いますが、どうぞよろしく」
よろしく、と僕は当たり障りない返答をする。一見中学生のような雰囲気だが、まあ他人の年齢を当てる自信がないのでジロジロ見るのはやめておこう。
「朔馬さんのご想像通り、私は最年少です。ですが怪異のキル数は不動の一位なのです。この記録は譲りませんです」
挨拶代わりに清々しいドヤ顔を見せつける少女。その姿を見た綿津見が、大げさに顔を抑えてよよよと嘆いた。
「元々はもっと可愛げがあったんだけど、いつの間にか討伐効率厨になってしまったのオジさん悲しいよ。貢献度でマウントを取ってくるようになっちゃって、俺としては肩身が狭い」
「可愛げは捨てたのです。怪異の暗殺に色仕掛けは効かないと判った時から……」
「あら、私は結構貴女を可愛がっているつもりですが?」
誰かがやってきたようだ。ここに来てまた新たな来訪者かと思ったが、今度の声には僕は聞き覚えがあった。噂の転校生、森賀さんその人のものに間違いない。




