目醒める《異能》
「_______強制反実移動?」
「そう、強制反実移動。それが君の能力名。私が付けた名前じゃないから、ネーミングセンスまで保証しかねる」
僕が口にした問いに笑って答える佐口さん。眠たげな司書さんという言葉がぴったりの女性だ。
「……で、どんな能力なの?」
堪えきれなくなった好奇心をむき出しにしながら、理恵が尋ねる。
「私は朔馬の能力は『夢の中で未来を観測する』能力そのもの思っていたんだけど。異能起源はまんまクロノスかな、なんて」
「残念ながらそれは違う。朔馬君の予知夢は、この能力の応用だね。本質として夢を操ったり、時空を飛び越えているわけではない」
眼鏡を上げて得意げな笑みを浮かべる佐口さん。
「もちろん周知のとおり、私が判るのは異能力の根本原理だけだ。それ以外は伝聞情報からの推測に過ぎない。それでもいいなら続きを聞くんだな。……告げよう。黒乃朔馬君、キミの異能力とは、移動そのものだ。名前から推測するに、触れたモノを指定した軸に沿って移動させるという、ただそれだけの単純行動だ。単純であるがゆえに応用が利く。だから『軸』を『時間軸』に、そして『モノ』を『記憶』として設定することで、君は記憶を過去に飛ばし続けることができたのではないかと推測する」
さながら、記憶を操り人形のように操ってね、と彼女は付け加える。
「つまり君は、60時間後の自分から記憶を受け取りながら、60時間前の自分に記憶を送っているというわけだ。でも起床している君には現実の情報が優先して入ってくるから、送られた記憶はノイズとして処理される。逆に寝ている間は五感からの情報量が少ないから、未来の記憶が脳内で再生されると、そういう理屈」
ふわぁ、と小さくあくびをしながら、彼女は早口ながらに説明をしてくれた。なるほど、それなら夢の仕組みと矛盾はしない。
「ここまで正確な予知夢は存在しないだろうね。なんといってもその夢は現実の記憶そのものだ。そこらの神格のお告げより正確だったりして」
「おい佐口、それは怒られるぞ。神が実在するかはさておき、バチが当たっても文句は言えまい」
綿津見が真面目な口ぶりで嗜める。確かに。異能力やアネクメーネが実在するなら、やはり神というものも実在するのかもしれない。
神。
突如、鋭い頭痛が駆け巡り、僕は膝をついてしまった。理恵が慌てて駆けよるのがぼんやりと見える。心配する彼女の声を余所に、脳内に見覚えのあるイメージが再生される。昨日の朝に見たのと同じものだ。操り人形を動かす大きな機械が、重厚な音を立て駆動している。そしてそれから垂れ下がり、力なく揺れる人形たち。その人形のうちの一つは。やはり見覚えのある顔をしている。
その顔は、間違いなく僕自身だ。
「朔馬、急にどうしたのよ、ねえ大丈夫?」
理恵の声が頭の中で反響する。なんとか片手を上げ、大丈夫だとサインを送る。操り人形から意識を離さないように、なんとか集中を保つ。今度は歯車仕掛けの機械の方に注目してみた。
歯車は古いものから新しいものまで様々で、その大きさも、材質も、異なっているものばかりだった。そのなかでも一際大きく、古い歯車を見ると、何やら文字が刻まれているようだった。あれにはなんと書いてあるのだろうか。
その瞬間、またもや視界中に鎖が伸び、ジャラジャラと音を立てて埋め尽くしていった。まるで記憶を呼び起こそうとするこの作業そのものを拒むように、固く閉ざしていく。これ以上このイメージを見続けるのは無理だと、直感的に悟った。
「……大丈夫だ。もう、大丈夫」
少しずつイメージは薄れ、視界も元に戻っていく。
「ただの立ち眩みだと思う。心配しないでくれ」
なんとか立ち上がると、佐口さんと目が合った。彼女は今は異能力を使っていない。とはいえ、彼女に見られると、なんだか全て見透かされているような気がして、気まずさのあまり僕は目を逸らした。
「……お大事に。とはいえ、アネクメーネは待ってくれない。キミが決断をしたのなら、なるべく早く新しい環境になれる必要があるだろう。ものは慣れだ。早速意識的に異能力を使うところから始めよう」
先ほどまで黙っていた綿津見がそう言いながら、手に握った数本のダーツの矢を振った。
「理恵、盤の方用意できる? 耐久性高めで作ってくれ」
「はいはい。ちょっと待ってね。今水道水汲んでくる」
理恵と綿津見が二人で何やらごそごそと準備を始めた。
「よし、出来た!」
理恵の示す壁には赤いダーツ盤が掛かっている。どうやら水を使って、理恵が能力で作りだしたものらしい。
手渡されたダーツを握る。指に力を込めるほど、汗が滲んですこし滑る。
「いいかい朔馬くん。異能力とは、世界中にあまた存在する神話の中に登場する、神格いずれかの力そのものだと言われている。異能力者はある程度なら生来異能力を操ることはできるが、それは完全じゃない。自らの起源を認識すること。そしてその逸話、伝承を把握し、理解することで、その知識を神格そのものに近づける作業が一番の肝だ。君も例外じゃない。異能力の起源を認識するんだ」
強制反実移動。軸に沿ってあらゆるモノを移動させる能力。
物理法則を完全に無視し、時間すらも飛び越える力。
ダーツを投げる。中心からやや逸れた。
「今の君は知らないかもしれない。でもそれはおいおい探していけば良いさ。最終調整は急がなくても良い。なにせ世界は広い。民族の数だけ神話があり、その何倍も神格が存在するからな」
「いや…………」
意識を研ぎ澄ませて、ダーツを投げる。また少し逸れた。だが僕は気にすることなく、綿津見の言葉を遮った。
「待って下さい。多分、僕はその起源とやらに心当たりがある」
目を閉じる。綿津見は急がなくても良いと言った。でも僕は、その神様を知っている気がした。いや、知っている。佐口さんの口からマリオネットという言葉を聞いたとき、すぐに思い至るべきだった。
操り人形を従えた、機械仕掛けの舞台装置。さっき僕はその名前を見たじゃないか。その文字列を、思い出すだけで良い。
「……全ては予定調和。台本通りの日々の夢」
ジャラジャラとうるさい鎖を引きちぎる。錠前は、迸る記憶の前に無意味に砕けた。誰の束縛も受けないと言わんばかりに、歯車がまた動き出す。そこに刻まれた文字に、もう一度意識を集中させる。ギリシャ語、ラテン語、フランス語、英語、ドイツ語、アラビア語、アラム語、中国語、その他様々な言語に、刻まれた文字は変化していく。
その一瞬に、僕は日本語の文字列を読み取った。
「…………僕にとっては、これも予定調和の一部だ。もう知っているとも。僕の異能、その起源を……」
僕はダーツを構え、指から離す。正確に、真っ直ぐに、中心目掛けて飛んでいく未来が僕には見える。
「かの名は、デウス・エクス・マキナ。神に祭り上げられた舞台装置だ」
貫と音を立て、ボードの中心にダーツが突き刺さる。