罪の告白
からん、と鉛筆が落ちる。授業中の、なんてことのない一瞬。射手矢は少し虚を突かれたように黙っていたが、やがてかがんで、それを拾う。手の中で握り、彼は何かを噛みしめている。
「…………そう、だよな。そんな気も、してたさ」
その呟きは、しかし突然の来訪者によって掻き消された。
「失礼する!!」
がらがらがらと、教室の扉が勢いよく開かれる。情報の授業中であったか、黒板に文字を記す教師の手が止まり、生徒たちはタブレット端末から一斉に顔を上げ、視線が扉に集まった。端末から目を離さず、眉一つ動かさないただ一人を除いて。
「だ、誰ですか貴方は…………」
教師が困惑しながら近づくが、紫雲が眼を見開くとぴたりと立ち止まり、泡を吹いてそのまま倒れた。共有術により膨大な情報を瞬時に詰め込まれ、脳がそれを処理しきれなくなったのだ。
「射手矢、悪いが予定が早まった。俺はすぐにでもここを発たなければならない」
「…………いまは授業中、ですよ。ムラサキさん」
画面から顔を上げると、射手矢は首をかくんと横に傾ける。
「いえ、紫雲さん、と呼ぶべきですか。そんなに急いで、どうかしました?」
「お前の王政を眺めるのも楽しかったが、それどころではなくなってな。…………待て、俺の名前をどこで?」
「黒猫さんたちの話を耳にしまして、その時に」
「……そうか。ならなおのこと、手っ取り早くお前から傲慢の色彩を頂かなければならんか」
土御門紫雲はポケットからスポイトを取り出す。その様子を見て、射手矢は静かに息をついた。
「それに僕の王国をそれどころ呼ばわりですか。その急ぎようはもしかして、これと関係していたりして」
射手矢が端末の画面を紫雲に突きつける。それはネット掲示板のオカルト板で、先日観測された巨大彗星の映像がまるで怪物のように見える、という突拍子もない内容の書き込みであった。
「なぜそれを……」
「ご存知でしょう、僕にはいろんなものが見えるんですよ。これ、貴方のせいですね?」
教室は静まり返り、誰もが俯き身じろぎ一つしない。このクラスにはルールがあった。射手矢悠里は自分から話さない。自分から誰かと干渉しない。それをするのは彼が神罰を下すときだけ。そのルールがたった今破られているのだ。
「…………違う、と言ったら?」
「口先の嘘は通じません。罪には、それを犯した者の手跡がつくんです。この彗星にまつわる混乱には、ほら。貴方の色がべっとりとついている」
タブレットに紫色の手形が浮かび上がり、消える。
「それは厳密には俺のせいではないと思うんだが…………」
「僕は、神はそうであると断じています。だったら貴方の罪です」
射手矢はタブレットを机の上に置き、指をぱちんと鳴らす。教室全体がかくんと揺れたかと思うと、射手矢と紫雲を除く全員が、瞬時にその場から姿を消した。麗らかな陽射しは瞬時に夕暮れの橙色に変わり、影は長なって床へ、壁へと這う。その様子を見て紫雲は悟る。違う、移動したのは自分たちの方だ。
「この階層…………俺たちが隠れ家にしていた異界か」
「これ以上は、彼らは知るべきじゃないと思ったので。失礼だけど、勝手に場所を変えさせてもらいました」
「勝手なことをするな、俺たちの計画の駒の一つの分際で…………!」
紫雲が声を荒げ、歩み寄る。射手矢の身体にスポイトを押し当てれば、たったそれだけで彼から傲慢の色彩が抽出できる。最後まで紳士である必要はない。ぐいと射手矢の細い腕をつかむと、紫雲は力ずくで彼を引き寄せた。射手矢も身じろいで抵抗し、じたばたと暴れ机や椅子が蹴り倒される。
「は、放してください!」
「大体そもそも俺たちのおかげで生き返ったんだろうが、正義気取りで勘違いしやがって!」
「くっ……」
射手矢はなおも抵抗するが、体格差には抗えない。紫雲は彼の身動きを封じると、強引にスポイトを肌に押し当てた。
「…………は?」
だがしかし、色彩は抽出されない。スポイトはただ、空気を吸い込んだだけだった。
「だから放してって!」
射手矢はその隙を逃さず強引にもがく。一瞬の虚を突かれ、紫雲は射手矢を放した。
「なんで……なんで失敗した? 肌にもっと突き刺さなきゃダメか?」
「…………僕はそのスポイトのこと、よく知りませんけど。傲慢の抽出、ですか?」
乱れた制服を整え、窓の外に浮かぶ月を背に、ゆらりと射手矢が立ち上がる。
「僕はクラスメイトに怒りました。その次は朔馬先輩たちに怒りました。彼らの罪を、僕は許せなかったから。力に目覚めた僕は王になって、クラスの法になった。そうすれば、僕みたいな犠牲者はこれ以上増えないと思ったから」
射手矢の声は段々と熱を帯びていく。
「僕はたぶん、傲慢だった。毎日毎日、僕が廃人にしたクラスメイト達を、何の見返りもなく治療している黒猫さんの姿を見た。他の先輩達も、日常を繋ぎ止めるために奔走している。今この瞬間も、僕と貴方で滅茶苦茶にしているこの学園の日常を」
「お前、俺の洗脳から抜け出したか」
「…………罪がね、見えたんですよ。僕の罪が。貴方に見えた者と同じものでした」
授業中、鉛筆を落とした射手矢。からんと鳴ったその音に、クラスメイト全員が振り返る。無表情のその顔すべてに記された、紫色の罰印。
「……俺は俺の魔術に誓って、キミに嘘を吹き込んだりはしていない。事実彼らは多くの罪を犯していて……」
「ああ、でも僕たちもだ。だから堕ちて、ここに居る」
「お前も、俺もか」
紫雲は口をつぐんだ。それが事実だと知っていたから。ここは罪なき者の住処ではないのだから。
「あー、自分でも自分が嫌になるな。これじゃ僕、僕をいじめてたやつと大差なかったじゃん」
天秤は、揺れる。今度は射手矢からゆっくりと歩み寄ると、そっと紫雲の手をとる。
「清算しよう、僕たちの罪を」
紫に染まった、その罪を。
**
扉を開けると、そこは―――――。
「わっ」
「あたっ」
「いてっ」
扉を開け、カノンと共に一歩踏み出した瞬間、誰かとぶつかり、全員体勢を崩して転んでしまった。慌てて立ち上がり、ぶつかった相手に手を差し伸べる。
「すいませんすいません…………って、ありゃ、森賀さん!?」
「本当に繋がってたんですね。ひとまず、無事でよかったです。それに…………」
森賀さんは僕をまじまじと見た後、隣で尻もちをついたまま動かないカノンへと目を移した。
「やっぱり貴女も居るのね」
「…………まあ、退屈してましたし。朔馬さんってばいっつも誰かに命を狙われてばっかりで、一緒にいると飽きないので」
「その様子だと敵意…………はない、でいいのね?」
「自分の分身の自由意志があるのを当然のように認めるとは、貴方も変わりましたね」
笑みを浮かべて差し出した手を、森賀さんは少しの沈黙の後、掴む。
「あの~~お二人?」
二人が談笑している間に、僕はとあることに気が付き、二人に声をかける…………が。
「そういえば貴女、異能力が消えたんですって?」
カノンはにまにまと張り付けたような笑みを浮かべ、森賀さんに話しかけるのに夢中なようだ。一方の森賀さんも、久々に再開したカノンとの距離感を掴みかねているようで…………。
「ご心配なく。魔具は今でも使えますし」
「その様子だと、お人形遊びも残っているようですね」
「…………言うようになったわね。遊びじゃないのよ?」
「あの~~~聞こえてます?」
「でも異能力が使えなくなるなんて、聞いたことないですわね」
「ええ、その点については私も。何かの拍子で復活することを祈るばかりですが……」
「お二人!?」
「「うるさいですわね、一体何ですか!?」」
一字一句言葉をあわせた二人に、流石は元同一人物と感嘆しつつ、僕は恐る恐る空を指さす。二人がつられて空を見上げた。その先に浮かんでいるのは、真ん丸な、青く輝く天体。
「……なんかここ、地球っぽくないんだけど」
「「……え?」」
僕の言葉に素っ頓狂な声を上げ、二人は揃ってあたりを見渡す。僕たちは扉を介して、どこかの建物の中にやってきていた。そこは元喫茶店のような風貌で、割れたグラスや照明、埃の被ったテーブルや壊れた椅子が、しばらくここに人が来ていないことを示していた。だからこそ僕たちは当たり前に、ここがどこかの廃墟だと思い込んでいた。でもそんな筈はない。連続性の象徴は月なのだから。ならば並行世界から帰ってきた僕は、月に辿り着いて然るべきなのだ。崩れた天井にぽっかりと空いた穴から、青い光を放って僕らを照らす地球を見て僕は気付く。
「ここは月面だ。でもどうして月の上にこんな場所が?」
「…………ぷはぁ、そ、それに…………」
宇宙空間上だと聞いてか、無意識に息を止めていたのだろう、こらえきれず勢い良く息を吐きだした森賀さんが、ぜえぜえと呼吸しながら付け加える。
「そ、それに、呼吸もできています。重力も地球上と同等のようです」
「ここが月面上なら、日陰のここはマイナス百度ほどになっているはずこともお忘れなく。不思議ですね、一体どうして私たちは、この極限状況下において生きているのでしょう」
カノンも首をかしげる。しばらく三人で頭を絞っていたが、良い答えにはたどり着かなかった。
「まあ、生きている理由を考えることに意味はありませんね。意味のあるなしに関わらず、私たちは生きているのですから。さっさと帰り道を探すとしましょう」
「貴女、良いことを言うのね」
「……生きている意味を考える時間は、山のようにありましたので」
「ずっと…………独りだったんだもんな」
独りで生きてきたカノンの横顔は、少し大人びて見えていた。
「…………さくまさん?」
気が付くと、森賀さんの顔がすぐ近くにある。
「なーんか、いつの間にやらカノンとの距離、なんだか近くはないですか?」
「そ、そうかなあ」
突如詰められた僕は、つい誤魔化した。
「ふーん…………いいですけど、別に」
森賀さんは僕の表情から何を読み取ったのか、そこで追及をやめて、喫茶店の中を見回り始めた。僕はほっと胸をなでおろす。まさか、流れで彼女に告白してしまったとは言えないし……告白といっても純粋な恋愛感情というよりは憧れやときめきに近いというか、でもそれに一番近い言葉はやっぱり好きというものだと思うし、カノンもきっとそういう微妙なニュアンスを判ってくれていると…………。
悶々と自分の言葉を振り返っていた僕の顔をじっと見ていたカノンは、カウンターの向かい側から顔をのぞかせ、何かを思いついたように声を上げる。
「あ…………私と朔馬さんは恋人になりましたので」
「「え」」
今度は僕と森賀さんが声をそろえる番だった。
「は、え、なに、なに貴方達いつの間に」
「ちょ、ちょっと待ってくれ確かに好きだとは言ったけど、まさか恋人になる、っていつからそんなことに!?」
動悸が激しくなっていくのを感じながら、僕はあわてて言い訳を再開する。だが森賀さんの追及もまた、熱を帯びて再開した。
「こっちは! どれだけ!! 心配していたと!!! 思ってるんですか!!!! それをなんですか、私を……いや私の娘を勝手に恋人にだなんて」
「あら、いつのまにか私の母親に……!?」
「気分の問題よ! っていうかなんで貴方が一番驚いてるんですか、ねえ朔馬さん!?」
「その……正式な告白だったわけじゃ……な、カノン……ってカノン!?」
カノンはいつの間にか姿を消していた。残された僕はこの場を収めようと、なんとか苦しい言い訳を続けるがそれも逆効果になった。
「と言いますか、自分の言葉に責任も持てないのですか? そこでうじうじ言い訳されると、それはそれで腹が立ちますわよ」
「それも…………そうか。今のは……カノンに失礼だったな」
「そうよ。まあ…………私も貴方の気持ち、わからないわけじゃないのよ」
「お、流石感情の専門家」
「茶化さないで。自分の感情がよくわかんないけど、でも一応一番近い名前が『好き』ってことは、私にもあったわ」
「いい……のかな、そんな曖昧なものを恋って呼んでも」
「いいんじゃないかしら。あの子はそれも全部、判った上でだと思いますし」
「どうしてそんなことわかるんだ?」
「……この際ですから、貴方には言っておきます。私がかつてあの子に吹き込んだ感情の核心…………それは、私の恋心です」
「こ、い……?」
「ええ。其れは全ての憎悪の裏返し。彼女の本来の、心の根底に敷き詰められた指針。貴方はそれに告白をして、向こうはそれを受け入れた。それはつまり……そういうことよ」
「……そういうことって?」
「貴方って、半分くらい判った上で質問してないかしら?」
僕は曖昧にうなずきながら、ぼんやり別のことが気にかかっていた。森賀さんが恋をカノンに吹き込んだということは、森賀さんも恋をするのか、などと。
「…………なんですか、その目は」
「ああいや、別に何も」