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カミクチの幕引き

「〈ヨグ=ソトースの無願門〉について、貴方達が知るべき事実はこれくらいでしょうか」

 スリス=ミネルヴァは、語りたいことを大方語り尽くしたようだった。しかしこちらにはまだ聞きたいことが残っているうえに、その上でさらに峰流馬遼の身体を返してもらわなければならない。良須賀は緊張の限界を迎えつつあった。


 一度譲り渡した身体をこちらに返してくれるかどうかは完全に神の気分次第であり、本当の問題はここから始まるともいえる。不安げに目を遣れば、佐口も同じ不安を抱えているのか、らしくもなく爪を噛んでいる。峰流馬の癖が移ったのだろうか。


 二人の様子を見て、綿津見は小さく息をつく。ここで話を切り出すのは、どうやら自分の役目だらしい。

「あー、感謝を申し上げる、スリス=ミネルヴァよ。我々は更なる知識を授かり、また世界の理解へと一歩近づくことができた。だが……」

 綿津見の言葉に、ミネルヴァは耳ざとく反応した。

「…………だが?」

「まだこちらには、聞きたいことがある。この門を使って…………」

「この門についてでしたら、これ以上の使用は禁じさせて頂きます。私たちの神秘が、これ以上彼の神話に剥奪されることを私は望みません」

 そう言うと、女神はゆっくりと目を伏せた。


「おや…………強引ですね」

 綿津見は顔をしかめる。今の発言は聞き逃せない。しかしここで口答えをしてしまえば、現時点では好意的なこの神格がいつそっぽを向いてしまうかわからない。一旦は、必要な情報を聞き出すことに専念することにする。

「では……ここはひとまず仮定の話としましょう。あくまで学問上の興味としたうえで…………この門を用いて、そうですね、並行世界へと介入することはできますか? また介入を試みる最中に、通過した者が姿を消す、ということはありますか?」

 そう、スリス=ミネルヴァにカミクチを行った本来の理由はここにある。森賀は現在どこにいるのか、そもそもこの門を介して、本当に黒乃朔馬の元に行くことが出来るのか。


「並行……世界?」

「突拍子もない話かもしれませんが、あくまで仮定の…………」

「いえ、可能です。むしろそれが本来の使い方ですから。今消化管の中に取り残されている子の話でしたら、いずれどちらかの出口に辿り着くでしょう。消化管の中とはいえ死にはしません」

「やっぱり花音はこの門の中に留まっているのね。でも、これが本来の使い方って?」

「ヨグ=ソトースはどこにでも居て、どこにも居ない虚無(そんざい)。それはこの全ての世界に、時間に繋がる門の中に棲みついているが為です。いわばこの門は、ヨグ=ソトースが獲物を求めて、並行世界へと接続するためにある」


 黒乃朔馬の元に向かうことは理論上可能である。そして森賀花音もいずれ帰還するであろう。であれば、すぐにでも動きたいところだが……。

「ですがそれ(・・)は許可できません。この門には鍵をかけ、これ以上の犠牲者を産まないようにしなくては」

 だが女神は、その心を見透かしているように、冷たく言い放った。峰流馬の口で。


「…………門は、俺たちの機動力の要だ。それが使えないと、俺たちはこの世界を守るための足を失うことになる。アネクメーネでの異変を察知し、事前にそこに赴き、処理することができるのは門のおかげに他ならない。これなしには、実害が起きてからその対処に追われることしかできない。どうにか、これまで通り使わせてもらえないだろうか」

「いいえ、これは封印すべきです」

「そこを、そこをどうにかなりませんかッ!」

 良須賀も声を上げ、訴えかける。

「大切な友達を、遼にとっても大切な友達を、助けるためなんです!」

「…………それは、貴女にとっても?」


 女神はすうっと目を細めると、音もなく良須賀の眼前に歩み寄る。

「な、なんですか」

「本当に、そう思っていますか?」

「……………………どういう意味でしょうか」

 良須賀の頬に、汗が流れて落ちる。


「言葉通りの意味ですよ。今も白虎の欠片(・・・・・)が疼くのでしょう?」

「何を言って…………」

「判っているくせに。土御門紫雲と(・・・・・・)出会ってから異能力をあまり使わないのは、自分でそれを認めるのが怖いから。そうですよね?」

「…………あなた、なぜそれを」

「これでも叡智の神、ですから。知ってるんですよ? 貴女の奥底に眠る、泥のように甘い願望(ねがい)を」

「黙れ」

 良須賀がじっと、女神を睨み付ける。その目には憎悪を通り越す明確な殺意が込められている。綿津見と佐口は二人の問答に戸惑い、ただ顔を見合わせるばかり。女神はといえば暴言を意にも介さず、肩をすくめている。

「それ…………遼は気付いていないでしょうね」

「ええ。貴女の能力の真実(・・)を知るのは、神々かそれに準ずる者だけです」

「ならいい。これ以上、私に話しかけないで。でないと…………」

「でないと?」


 そう悪戯っぽく笑みを浮かべた女神に、良須賀はずいっと顔を近づけると、目を見開く。その顔に一切の愛嬌も敬意もなく、ただ妄執と狂気だけがあった。

「お望み通り、遼を消してやる(・・・・・)わよ」

「ふふ、面白いわね。でもそんなことしたら、貴女の居場所はここに無くなるわよ…………」


 その時、女神の言葉を遮るように、身体に多少のノイズが走った。その変化を感じとり、女神は口を閉じる。

「カミクチが継続できない…………いったい何が…………」


 狼狽する女神を見て、綿津見が声を震わせる。

「おい良須賀、お前遼に何を…………」

「違う、これは私じゃない!!」

 良須賀が叫ぶ。それにかぶさるように、女神の絶叫が響く。


「そうか判った、あの注射(・・)か…………神格装甲(アマデウス)!」

 ゆらめく自身(峰流馬遼)の身体を見て、女神は声を荒げる。


「魔術師風情が私の神秘を模倣するか、一体何のために…………」

 女神は、やがてバランスを失い膝から崩れ落ち、慌てて良須賀が身体を支える。

「まさか、ヨグ=ソトースと同じ…………」

 そこからは一瞬だった。女神が最後に言葉を吐き出すと、身体の周囲を取り囲んでいたノイズが一瞬強まり、そして完全に消える。スリス=ミネルヴァは、否、峰流馬遼は、糸が切れたように、すうすうと息を立て眠ってしまった。



「何が…………起きたの」

 佐口の言葉に誰も答えることはなく、ただ眠る峰流馬の横顔を、良須賀はじっと見つめていた。


「私の……ねがい」


 **


「平和だなあ」


 土御門紫雲が、ふわあ、と大きく欠伸をした。ここ数日、計画は順調すぎるほど進んでいる。待ちに待った、自分にあてがわれる箱庭の用意が整ったというナイアルラからの連絡も先ほど来た。これで後は、射手矢から傲慢の色彩を抽出すれば終いである。放送室のマイクに電源を点け、射手矢裕理を呼び出そうとしたその時、彼の携帯電話が振動した。その着信元を見て、紫雲は驚きに目を見開き、素早く電話を取る。


紅音(くおん)じゃないか。珍しいな、俺に連絡してくるなんて」

「しらばっくれないでよ、あれアンタの仕業でしょお! 神秘の共有ってったって限度があるの、わかんないかなァ。あんな怪物を世界中が目撃したら、私たちの魔術にまで影響するじゃない!」

「何の話? スレイプニルなら黄泉だぞ」

「この期に及んでまだ誤魔化すの? もういい。黒乃兄さんにお願いするから」

「ちょ、何のこと……って切りやがった! ったく、一体何が……」


 この学園で起こるすべての事象(・・・・・・)を受信する代わりに、これまで学園外の情報はシャットアウトしていた。一時的にその集中状態を解除した途端、紫雲の持つすべてのデバイスが一斉に振動と通知音をまき散らした。どれもすべて縁を切ったはずの魔術の人脈からであった。すべて先ほどの紅音のように、何かについて紫雲を責めている。


「おいおい、一体何の濡れ衣だ…………ってこれ…………は」


 添付されている写真や映像はどれも宇宙望遠鏡による撮影だった。宇宙の彼方から、何か途方もなく大きなモノが接近してきている。未だ情報は隠匿されているらしいが、占星術師の何人かはその軌道を計算し、このままではソレが公転中の月と衝突する(・・・・)ことを警告している。そこまでの破壊と崩壊を前にしては、魔術による情報隠匿も意味を為すまい。


「でもってなんで俺のせいになってんだ…………?」

 紫雲は冷や汗が頬を流れるのもそのままに、他のメールや留守番電話のメッセージを漁る。自分の渾身の計画の結果、強大な神秘が白日に晒されるのは彼としても本意だ。だが今回はそうではない。ここ七丘学園での多少の実験を済ませたら、ナイアルラに用意させた箱庭でゆっくりと研究を繰り返し、それが実を結んだ果てにいずれは……と考えていたのだ。こんな不本意な形で濡れ衣を着せられるなんて……。


「いやいやいや、納得できねえ、一体どこの馬鹿野郎がこんな騒ぎを…………!」


 やがてそのすべての始まり、情報の出発点と思われる伝言に行きついた。再生する。


「やあ、どうもどうも。《隠者》の従者やらしてもろてます、ヨッドや。セラエノに突如出現した図書館の所有権がアンタにあることが確認できた。同時に、セラエノに封印されていた不明巨大怪異、暫定名ハティを解放した嫌疑がアンタにかけられている。世界中の魔術師に殺される前に、とっととそこから逃げたほうがよろしいんとちゃいますかね?」


 録音は終わり、続けざまに別の誰かから着信の通知が鳴る。更なる着信音にそれは掻き消され、さらに別の着信音に掻き消される。彼の脳裏には、つい先ほど姿を現した、ナイアルラの口元が思い出されていた。


『貴方にあてがうセラエノ図書館の用意が……』



「俺の…………せい…………か? これを俺のせいって言ってもいいのか?」

 紫雲は髪をくしゃくしゃになるまで掻きむしると、荒々しく放送室の扉を開け放った。一刻も早く紫の色彩を抽出し、命を狙われる前にさっさとセラエノに引き籠る。それが最善手だと、彼はすぐさま理解した。


「おい射手矢、今時間あるか?」

 廊下を歩きながら、紫雲は舌打ち交じりに連絡を入れる。

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