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カナタなる者

「森賀が…………」


 異常が発生したら、速やかに連絡すること。先ほどの約束通りに連絡するまでもない。扉を潜り抜けるや否や、隣にいたはずの人間が一瞬で消失したのだ。これを異常と言わずして何と呼ぶ。良須賀と峰流馬はすぐさま顔を見合わせ、引き返した。今しがた閉じたばかりの扉を迷わず開けて。


「…………消えた?」


 ああ、と峰流馬が頷く。

「こっちに戻ってきてはないか?」

「いや、いない。三人の内で、接続先の座標にズレが生じたか?」

「だとするなら、俺と理恵もはぐれているはずだろう。綿津見、これまでこの〈扉〉を使って、今回のように人間が消えたなんてことはあったか?」


 無いはずだよ、と佐口が口を挟む。その目に炎が宿り、真っ直ぐに扉を見据えている。

「この〈扉〉の真火(ほんしつ)()そのものだ。複雑な魔術を介して異界へと転送しているのではない。扉はただ目的地とここをつなぐ出入口の役割を果たしているに過ぎず、よって移動の失敗は有り得ない。目的地までの長いトンネルが通っているようなものだ」


「と、いうことは…………」

 良須賀がおそるおそる扉に触れる。

「花音はまだ、そのトンネルの中ってこと?」


 扉は重く静かに、物言わずそこに鎮座している。森賀花音という人間を一人丸ごと飲み込んでいながら、しかし何も話すことはない。そもそも何か話す必要など、矮小な人間ごときが相手に必要ないと言わんばかりに。

「待ってよ、じゃあ花音の身体はどこに在るのよ」

「…………」


 良須賀の問いに、答える者はいない。

「遼、あんた何か判らないの?」

「判らん。そもそもこの〈扉〉は原理不明の産物。俺たちは恩恵に預かれど、その仕組みまで理解して使っているわけではない。車も飛行機もこの肉体も、原理を理解せずとも動かせるが、この扉はそもそもヒトの理解を拒絶している」

「そんな……」


 言葉を失い、良須賀は静かに俯き、こぶしを握り締める。彼女の異能は血液の操作。血は武器となり、手足となり、自在に主人を助ける。だがそれ以上はない。いかにヒトを超えた力を宿していようと、それには限度があるのだと、彼女はまさに今痛感していた。震えるその肩をしばし見つめる峰流馬は、やがて意を決したように、そっとその肩に手を置いた。彼の表情は次第に、とある決意に満ちる。その変化を感じ取り、佐口は眉をひそめる。

「待て、まさか……」

「ああ。ヒトにわからなければ神に聞くしかない。今ここで、我がカミクチを為す。智の女神にご教授願おう」


息を、吸う。


「譲渡する、叡智の女神よ。教えてくれ(・・・・・)


 **


 森賀がおそるおそる階段の最後の段を降りた、その時。少女はすうと目を開けた。その眼球が一瞬だけ玉虫色に輝き、森賀をはたと捉える。真っ白の髪がじわりじわりと、同じ玉虫色に染まっていった。


「お連れの二人はここを通過せず、元の場所に戻っちゃったよ。合流するなら百三十段ほど上って、元来た扉を探そうね」

「あ、あなたは…………?」


 神秘的な雰囲気ではあるものの、身体的特徴はごく普通の人間の少女のようだ。薄いヴェールのような服の奥に、不健康そうな青白い肌が見え隠れしている。少女は、驚いたように目を見開いた。


「あらお姉さん、私に話しかけられるの?」

「話しかけられるって、あなたが先に話しかけてきたんでしょう?」

「そうだけど……。この螺旋階段を知覚できても、私の存在を認識できる人は少ないの。ほら、あの刀のお兄さんとか」

「刀の…………って、ヤイバのことかしら」

「彼は、私の姿は見えてないのよ。声も届きやしない。通じるのは念だけ」

「ヤイバも…………この通路に来たことがあるのね」


 そういえば、ヤイバは他の誰よりも、この扉を怖がっていた。


「うん。異能を持たないヒトはね、この階段を降りていく自分を自覚できるの。そういう人は、神の器としては虚ろ(・・)だから。異能を持つと、神様の欠片が自分の中に入り込む分、虚ろじゃないでしょ? だからこの螺旋階段を知覚できない」

「私は異能を持っていたけれど、今は失くしているから、ここがわかるし、あなたにも話しかけられるのね」

「多分、そう」

 少女は立ち上がると、服についた埃を払う仕草をした。その仕草から目を離せず、森賀は得も言われぬ恐怖を感じていた。この少女がただの人間でないことはもう自明だろう。むき出しの敵意も無いようだ。だというのに、この背筋に這い寄る恐怖は、戦慄は、違和感はなんなのだ。それに、彼女の言う虚ろとは一体…………。

「あ、貴女は…………?」


 森賀は再度問うた。今度は子供を相手にするときのような、甘い声など喉から出やしない。


「私? 私は虚無(・・)そのものよ。でも知恵あるヒトは私をこうとも呼ぶわ―――――」



 **



「これは〈ヨグ=ソト―スの無願門〉ですね。とうに失われたと思っていましたが」


 峰流馬の口から、たおやかな、芯のある女性の声が迸る。彼は、否、今は彼女というべきだろうか。峰流馬の口を借りたスリス=ミネルヴァは興味深げに扉に近づくと、その装飾に見入った。

「ヨグ=ソトースって、あのクトゥルフ神話の?」

「ええ。其はあらゆる世界、あらゆる時空を超越する空虚(・・)。またの名を彼方なる者。これはその消化器官」

「消化器官、か。門ではなく?」

「神の眼を持つ貴女には、これが門に見えるのですか?」

「ああいや、正確にはトンネルのような…………」

「ええ。ですが疑問を感じませんか? 超長距離の移動に際して、何の対価も求められないことに」

「貴女の異能のように、ですか。しかし実際私たちは何も…………」

「感知できていないだけでしょう。髪の毛をたった一本だけ、抜き取られているようなものですから。しかしその意図は邪悪そのもの。この扉を通る者は皆、生命力や異能力、それに準ずる神秘を通行料として(・・・・・・)徴収されるのです。私の一部も少しばかり抜き取られているようですね、この凡骨(・・)が無警戒なばかりに」


 スリス=ミネルヴァはそう言うと、自分で自分の頭を叩く。

「供儀を捧げ、対価を得る。貴方に授けた異能の本質でしょうに、なぜ気付かないのでしょう」

「…………女神様、一つ質問してもいいか」

「許可しましょう、貴方がここの主ですね」

「綿津見と言う。先ほど、移動に際して支払う対価について、その意図が邪悪だと言っていたな。適切な対価であるならば、意図が邪悪とはどういうことだ。そもそも、それは誰の意図だ」


「私の話を聞いていましたか? この門は〈ヨグ=ソトースの無願門〉ですよ。門の主、いえ門そのものたるは彼の神性。ヨグ=ソトースに他なりません」

「だがヨグ=ソトースはクトゥルフ神話に属する神格だ。ギリシアや北欧の神々とは違う。それに連なる異能力者も確認されておらず、明確な創作物である以上は実在も疑わしい。他の神話体系とは違う。そうだろう?」


「ふむ、では貴方がその(・・・・・)手に持っている(・・・・・・・)()は?」

 スリス=ミネルヴァはそう言うと、綿津見の手元を指さした。そこには〈扉〉の使用のために、彼が取り出した禁書があった。

「〈水神クタアト〉…………だがこれは禁書。確かにクトゥルフ神話に登場する魔導書だが、あくまでもヒトの作った神秘にすぎない。神の与える異能と魔具、ヒトの作る魔術と禁書、両者は区別すべき…………」

「区別すべき、などと誰が決めたのです? 私たち神格はヒトの信仰と不可分の存在。ヒトがそう願ったなら、私たちは時に変質さえする。忘れたのですか?」


「アネクメーネの怪異たちと同じ…………ヒトの根源的恐怖は実体化する」

 良須賀が呟くと、スリス=ミネルヴァはにっこりと笑った。


「その通り。貴方達が創り、願い、恐怖すれば、私たちはそれに応えます。クトゥルフ神話は今は実在せず、虚構の神話として恐れられているのみ。ですがその恐れを引き金に、彼らは実在の神に昇格しようと画策しています。昨年末、這い寄る混沌ニャルラトホテプが海底都市ルルイエを浮上させ、その恐怖を拡散させることで顕現を果たそうとしたように」


 そう言うと、彼女は扉に手をかけ見上げる。扉の頂上から、こちらを見下ろす一つ眼の装飾を。


「ヨグ=ソトースは私たちの欠片を、神性を吸収し、真なる神として降臨しようとしている。これはそのための消化管(トンネル)なのです」


 **



「私の名前はカナタ。カナタなる者(・・・・・・)よ」


 少女はにこりと笑うと、螺旋階段に照明がともる。明かりに照らされて、その玉虫色の髪は美しく煌いた。森賀は思わず、その美しさに息をのむ。

「お姉さんが望むなら、あなたを連れて行ってあげる」

「どこに?」

「あなたの半身と、神の落とし仔(クロノ)が待つ場所へ」

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