表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/114

虚の螺旋

 おうし座散開星団、とある恒星(セラエノ)。宇宙の片隅でナイアルラは逡巡していた。土御門黒乃との盟約に基づき、彼は「色」と引き換えに、彼の領地である世界(アネクメーネ)を差し出さなければならない。ではどの(・・)世界を対価として支払うか、という点が彼の現在の悩みであり、今まさに彼の目の前にたたずむ星も、その候補の一つであった。


「ですがまさか、こんな先客がいるとは…………」

 ナイアルラは星を見下ろし、溜息をつく。丸い星という大地をクッションのようにして、そこには巨大な、あまりに巨大な狼が眠りに就いていた。はるか宇宙空間からでも見て取れるほどに巨大な体躯。セラエノの大きさから推測するに、狼の体長はゆうに地球そのものと同じか、それ以上であろうか。生き物と呼ぶにはあまりに規格外な存在が、星の真ん中ですうすうと寝息を立てているのだ。


「宇宙にはアネクメーネとの境界線が曖昧な地域が少なくないですが、ここもその一つでしょうか。それにしても、セラエノと縁深いかの大図書館(・・・・・・)を排してまで寝床とするとは、この狼、察するに、壊劫(ラグナロク)関係でしょうか」

 少し高度を落とし、近づく。やがてその視界に幾千、幾万もの楔が映ると、ナイアルラは指先をぱちんと鳴らして、そのすべてを取り払った。


「これじゃあまるで壊劫(ラグナロク)の手伝いだ。スレイプニルに続いて、星を喰らう狼まで……」

 びくん、と身体をふるわせて、狼が目覚める。その巨大な目が、ナイアルラを凝視する。

「……さっさと去ね」


 ナイアルラはまるで蠅か蚊でも追い払うかのように、手をひらひらと振る。狼はナイアルラをギロリと睨んだが、特に何か手を出すこともなく、そのまま宇宙空間を飛び去って行った。


「…………まあいい。北欧神話の出しゃばりも気にかかるが、僕は僕のするべきことをするだけさ。なに、どうにかなる」


 スレイプニルに、壊劫(ラグナロク)の狼。連続する怪異の侵攻に、〈フェンリルの牙〉の介入。それらの裏に何者かの意志を感じつつも、ナイアルラは星に降り立つ。地球にもたらされる厄介ごとは、朔馬さんたちが何とかしてくれるだろうとも思う。それが結果的に僕を助けることになるとしても、目の前に迫る脅威には立ち向かうだろうから。



 **


 数時間後、ナイアルラは図書館の椅子に腰かけて、ある人物の到着を待っていた。図書館の設営は完了した。あとはこれを土御門に引き渡せばよいのだが…………その前に、一つやっておきたいことがあるのだ。やがて、石造りの扉が開け放たれた。


「はえ~、ここが例の図書館かいな」

「……来ましたか。で、約束のモノは?」

「もちろん。敵さんの本拠地で、機嫌損ねるようなことはせえへんよ」


 ニッと人なつっこい笑みを浮かべたのは、魔術連盟第八席、隠者(ハーミット)の従者、ヨッドだった。


「で、ほんとにこの図書館のすべて、俺のモンにしてもええんよな?」

 ヨッドはまるで遊園地に来た子供のように、しきりにあたりへ視線を向けている。


「期限付き、ですがね」

「わかっとるわかっとる。土御門の坊ちゃん方が所有者になるまでの期間、だろ。じゃあほな、俺はたゆまぬ知識の研鑽に向かうとしますかね。いやぁ、楽しみやなァ。有史以来、この叡智に触れるのは俺が初めてになるっつーわけだ。なにせ、神の図書館だ。綿津見たちが弄ってる禁書とは格が違う」

 ヨッドはのびをしながら歩くと、ナイアルラに一枚の封筒を差し出した。

「ほい、これが約束の奴な。中身の確認は?」

「要らない。もし騙せばお前を殺して、他の者に声をかけるだけだからな」

「はは、流石に弁えてるわ。でもアンタ、極度の人間嫌いって聞いてたけどな。そんなもん欲しがるとは」

「嫌いですよ。今この瞬間も、同じ空気を吸っていることに不快感を覚えています。では僕はこれで。せいぜい発狂しないよう、お気をつけて……」


 ナイアルラは封筒を携えると、足元の影にぞぶりと沈んでいく。「個人情報:土御門黒乃」と書かれた、薄い封筒を携えて。



 **


「いい加減、いじわる止めてあげたら?」


 入り口を開けて、姿を現したのは佐口だった。突然の訪問客に、学生三人は揃って驚きを隠せないでいる。

「澪、これはどういう……」

「いやね、綿津見さ、あんたらが来た時に〈扉〉を開けてやらなあかんからって言いはじめてサァ」

「おい、ちょそれは言わない約束……」

 佐口がくすっと笑い、口元を隠す。

「ここ数日ずっと〈禁書架〉に泊まり込んでたのよ。何度夜食の買い出しさせられたか」

「そりゃそうだろ。俺が助けに行けって言わなくちゃ動かないようなら、それこそどうしようもない」

 綿津見が悪戯っぽく笑みを見せた。

「まあ、森賀が勝算を携えてやってきたのは想定外だったが」

「なに、俺たち試されてたのかよ。こういうのビビるからやめてほしいぜ」

「啖呵切って恥ずかしいんだけど、あたし」

「でも本心なんでしょ?」


 そりゃまあ……と言い淀み、顔を背ける良須賀。思わず残りの面々は顔を見合わせる。


「ちょ、なんなのよ皆して! ほら、綿津見はさっさと扉を開ける!」

「はいはい。人遣い荒いねえ」


 綿津見はよっこいせと立ち上がると、つかつかと扉の前まで歩みを進める。

「先がどこに通じているかまでは判らん。朔馬とカノンを発見し次第、速やかに合流、保護し、帰投せよ」


 〈水神クタアト〉を開き、その書面をなぞる。意味を持たない文字の羅列に、あるはずのない意味が見いだされていく。

「だがお前たちの安全が第一だ。異常が発生したら、速やかに連絡すること。では……幸運を」


 そうしてドアノブに手をかけ、道は開かれた。口を開けた暗黒に、三人そろって足を踏み出す…………。



 **




「皆さん…………?」


 気が付くと、森賀は独りだった。長い長い、底へと続く螺旋階段に居た。前方に目を凝らしても、後ろを振り返っても、人の気配はない。既に綿津見が開けてくれた扉は閉じているのか、ここにはなく、戻ろうにも戻れない。『異常が発生したら、速やかに連絡すること』―――わかってはいるが、異常の発生までが早すぎる。さっきから数秒と経ってはいないだろうに。


「どこなのよ、ここ」

 だがおかしい。森賀の持つ、あらゆるデバイスが応答しない。電源すら入らないため、連絡さえ入れることはできそうにない。通信機器から懐中電灯に至るまで、あらゆる機械が作動を拒んでいる。であれば…………。


「進むしかない、ですわね」

 降りるか登るか。おそらく、進むべきは下であろう。手すりからわずかに身を乗り出せば、どこまでも続くように見える螺旋の果てに、どうやら終着点があるようにも見えるのだ。さらに幸いというべきか、一寸先も見えないような暗闇というわけではない。手すりもやや錆びているが、比較的新しく、階段が崩落する心配もないだろう。ここはどの施設なのだろうか、どの深度なのだろうか、他の二人はどこにいるのだろうか、と森賀の頭は状況の割に冷静で、素朴な疑問がいくつも湧いてくる。二人も十分に強い。自分の身は自分で守れるだろうが…………などと考えながら。どこまでも続く螺旋の階段を、降りる、降りる、降りる。




 降りて降りて、降りて降りて降りて降りて、そうしてようやく、底が見えてきた。



 そこには扉があった。〈禁書架〉にあるものと瓜二つの、大きな扉。そしてその扉にもたれかかるようにして、横たわっている一人の少女。全身から色が抜けたような、アルビノの美しい少女が、同じく色のない服を身に纏い、すうすうと眠っていた。



 **


 一方そのころ、〈禁書架〉は騒然としていた。一度アネクメーネに踏み込んだ遼と理恵も、慌てて一旦こちらに引き返している。それもそのはず。扉をまたいだその瞬間、森賀花音が皆の目の前から忽然と姿を消した(・・・・・)ためである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング

ツギクルさんはこちらです。クリックで応援よろしくお願いします!↓

ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ