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我がまま

 〈禁書架〉の中に入って、することはただ一つだった。奥部に位置する扉を開け、潜り抜けること。並行世界間を移動しなければならないと気付いた時、次元を超えて行くべき場所に接続するあの扉が真っ先に思い浮かんだ。実現可能かどうか、ではない。僕はあの扉に感じる妙な不気味さを忘れていなかったし、忘れようにも忘れられなかった。選択肢にはすぐに浮上した。

「知りませんよ、壊れてても」

「その時はその時だよ」


 僕は扉を開け、まず〈禁書架〉に入室する。カノンも後に続いた。

「けほっ、けほっ。なにこれ、埃?」

「いや、十中八九、灰でしょう」

 カノンが鎌を振るうと、周囲の闇が彼女の手元に集まる。結果として部屋は少し明るくなり、視界が確保された。彼女の言った通り、〈禁書架〉は灰と燃え滓に溢れていた。

「大方、ここの書物は全滅でしょう。禁書はヒトの叡智が生み出した神秘。怪異全盛の世界となり、手にするべきヒトを失った彼らは、ただの紙切れも同然です」

「じゃあ魔具は?」

「その逆。怪異全盛のこの世界では、それ以前の頃より強力になっている物が多いです。事象は相対でしか存在せず、魔具も禁書も例外ではない」


「ってことは、この世界では異能が強化され、魔術はその逆に衰えるのな」

 僕は、燃え残った椅子に腰かける。デウスエクス・マキナの力はここでは力を持つらしい。元の時だって使いこなせもしなかったのに。カノンは黙って、倒れた本棚の上に座った。


「これも世界の在り方です。良い悪いの次元ではなく、ただそうである事実に何の評価も下されるべきではない。貴方も同じですよ、朔馬さん」

「…………え、なんで急に僕?」

 呆けた顔をしていたのだろう。カノンはくすっと笑う。


「貴方、この世界に落ちてきたことを、断罪だと表現しましたね」

「…………射手矢君の能力は、たぶん裁定と断罪だ。僕は僕の望む世界を選び、他の世界を選ばなかった罪がある。僕は傲慢だったんだよ」


「傲慢、ですか。本当にそう思ってるんですか?」

「…………うん」


 直後、僕は頬を叩かれた。パァン、と音が耳に入ったときには、カノンは僕の目の前に立ち、遅れて痛みに頬を抑える。

「貴方は、世界を救うために世界を見捨てた。そのことを罪だと本気で思ってるんですか?」

「だって実際僕はここに…………」

 パァン。もう一度、返す手で頬を叩かれた。先ほどよりも強い力で。

「異能がそう判断したから、それに従うんですか」


 カノンが僕の襟元をつかんで、持ち上げる。

「良いですか、黒乃朔馬。私は貴方と因縁があります。この手で殺し合い、語り合い、騙し合いました。誰よりも貴方の魂の奥底に触れ、そして気付いたことがあります。聞きたいですか?」

「かはっ」


 息が苦しい。カノンはじっと僕を見つめると、今度は勢いよく投げ飛ばす。為す術もない僕は炭化した机や椅子が雑多に並んだ場所に叩きつけられ、灰にまみれた床に倒れ伏す。

「な、何すんだよ、急に」

「恥ずかしいので、少し距離を取ってほしくて。貴方は、この世界に生きている自覚がありますか?」

「自覚? そりゃあるに…………」

「本当かしら。貴方はいつも一歩引いている。その異能は舞台神の欠片として世界のすべてのものを糸で操り、禁書は言うなれば、その舞台装置が如何様に動くか指南する脚本のようなもの。貴方はいつも、この世界という舞台から、一歩下がって生きている」


 何も言い返せず、倒れたまま僕は聞く。


「貴方は諦めてるんじゃないですか。世界というこの大きな舞台に立って、自分が生を演じていくことを。だから舞台に立つことをやめ、舞台を見下ろすことにした」

「ちが…………」

「違うんですか? 本当に?」


 カノンは気付けば、僕のすぐ隣に座っていた。そっぽを向いて表情は見えない。

「だから嬉しかったんですよ。さっきの告白」

「…………忘れてくれ」

「忘れません。誰かに強い感情を告げるということは、その人の人生という舞台に上がってくる覚悟を持ったということです。貴方は私の人生に上がってきてくれた」


 実を言うと、図星だった。異能も、魔術も、怪異も神も、やっぱり自分にはスケールの大きすぎる話で、途中から参戦した僕はどこか場違いで、だから少し諦めていた。新しいことを知れば知るほど、何倍もの知らないことにぶち当たり、僕は次第に疲れていた。


「だからッ!!」

 カノンの声が部屋に響く。

「そんな貴方が守りたいと思ったものを、尊重して何が悪いんですか。他人の異能が罪と言ったら貴方の善行は潰れてしまうような、そんなちっぽけなモノなんですか!」


 カノンは立ち上がる。

「神がなんぼのもんですか。神はヒトの上に立つなら、人形の私は声高々に反抗します。異能とか魔術とかそんなの関係なしに、自分の信じる未来を求めてひたすらに努力するのが、それが貴方じゃなかったんですか!!!」


 カノンは〈宵闇の嘆き〉を振り下ろすと、闇を結集させた刃が幾重にも連なり、豪速で飛ぶ。そしてそれを、何かが弾く。それを見て、カノンは苦々し気に舌打ちをした。

「何をしに来た、ナイアルラトホテプ」



 舞う灰と埃の中、一つの影が立ち上がる。それは帽子を被り直すと、こほんと咳払いをした。

「元雇用主に大層な口の利き方ですね。僕はこの世界を統べる王ですよ」

「だから何? 私、権力には興味ありませんの」


 埃煙の向こうから、歩み近づく一人の少年。間違いない。それはナイアルラその人だった。


「おや、貴方が黒乃朔馬ですね。はじめまして、僕は…………」

「知ってるよ。何しに来た」

 はじめまして、ということは、彼はこの世界のナイアルラなのだろう。


「何って、貴方達を殺しに。既に僕はこの世界を手中に収めている。君の力を借りるまでもなく、まさしく僕はこの世界の…………神なんだよ」

「…………っ!」

 気迫に、殺気に気圧されそうになる。少年はにやりと笑うと、ぱんと短く手を叩く。

「この部屋は棺桶にしては狭い。広い場所に出よう」


 ナイアルラの瞳が赤く光る。瞬間、床は粉砕され、壁は吹き飛び、僕たちは凄い力で地上数十メートルの空に放り出された。月明りに照らされたその直後、獲物を見つけた無数の月の獣が、我先にと襲い掛かってくる。全方位、数はざっと…………五十は下らない!


「カノンッ!」

 隣で空中で身をよじるカノンに向かって、声を張り上げる。彼女と刹那、目が合う。〈宵闇の嘆き〉は彼女の背後の月の獣を刺し貫くと、月明りを受け、暗く長く伸びた影が実体を為した。


「怪我、しないで下さいよッ!」

 カノンの黒い斬撃は、まっすぐに僕に向かう。光の矢はこの異能で掴むことができる。光が可能であるなら、闇の斬撃が手にできない道理はない。ましてや、異能が強化されたこの世界なら!「《強制反実移動(マリオネット)》!!」


 斬撃を掴む。皮膚が、肉が、斬り裁たれる感触に歯を食いしばる。軸を指定する必要はない。この空の下で、僕と、カノンを除くすべての殺気に向けて!


「放て、貫け、穿ち抜け!!」


 直後、斬撃は無数の棘に姿を変えると、その速度を保ったまま月の獣たちに向けて射出される。狙うはただ一点、その脳天のみ!


「ケケケケケケケケ」

 不気味に笑う月の獣は、その片端から墜落していく。運よく致命傷を逸れた何体かが手と触手とを伸ばして距離を詰めるが、目にもとまらぬ速さで振るわれた鎌が、その胴体を輪切りにしていく。


「着地、どうする?」

「私がッ!!」


 カノンは手を伸ばすと、僕の腕をしっかりつかむ。影は実体を為し、傾斜を伴い地上へと向かう巨大なスロープを空中に描く。

「舌、噛まないように!!!」

 直後、落下の衝撃が背中に伝わる。そのまま僕らはもつれあいながら、黒く堅い滑り台を転げ落ちていく。


「いていててててて」

「喋らないの!」



 曲がるたびに頭や足をぶつけ、滑るたびに接地面が摩擦で熱くなる。これでスロープから吹き飛ばされたら終わりだ。カノンの身体をさらに強く掴む。

「ちょ、どこ持ってるんですか!」

「どこだよ!」


 ごろごろと転がり、終点に辿り着いた僕らは、ようやくアスファルトにたたきつけられた。


「はぁ、はぁ、た、立てます?」

「うん。骨は無事み……って、避けろ!」


 立ち上がったのもつかの間、咄嗟に飛びのく。先ほどまで僕らがいた場所は、一瞬で溶解していた。超高温で空気が歪む。


「ちぇーっ、つまんな。当たらないか」

 固まりきらぬアスファルトの中から、ナイアルラがぬっと姿を現す。

「あの扉を開けられてしまえば、確かに僕は君たちを取り逃がしていただろう。よく見抜いた。それは褒めてやってもいい」


 ナイアルラが手を叩くと、扉は彼の背後に落下してきた。あの瞬間、部屋の四方の壁や床、天井は粉々になって僕らと一緒に吹き飛ばされたのだが、あの扉だけは無傷らしい。落下の衝撃でも傷一つつくことなく、まるで最初からそこに取り付けられていたと言わんばかりに、アスファルトの上に立っている(・・・・・)


「だが潜らせはしない。不安分子も不確定要素もここで殺す。潰す。僕の計画に不測の事態は必要ない。黒乃朔馬に頼らずとも、僕は道を見つけ出す。僕には、その力があるのだから!」


 ナイアルラが手を叩くと、ビルの隙間から、廃墟の暗闇から、瓦礫の隙間から、異形の化け物たちが集まってくる。王の招集に応じ、街中から集まってきているのだ。カノンは鎌から手を離さないが、既に武器ひとつでどうこうできる次元を超えている。いま、僕らは数千の瞳に、数十万の牙に囲まれている。月明かりが、怪異の影に隠れていく。


「〈宵闇の嘆き〉が起動しない。この暗闇の主導権を握られているみたい」

「暗闇なんて生易しいものじゃない。これは混沌だよ、君たちを余さず飲み込む、僕の胃袋だ」

「ちッ………朔馬さん、どうやら私たち、ここまで…………」」

 カノンと再び目が合う。その目に絶望と恐怖を見て、彼女の手が震えているのを見る。



 彼女だって死にたくない。僕も死にたくはないと思う。本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に?


「お前はどうしたい?」

 男の声が、頭の中に響く。

「僕は…………そうだな、カノンを死なせたくない」

 僕は少し考えて、こう結んだ。彼女を死なせたくはない。自分の為した罪に向き合い、この世界で逞しく生きる彼女を、死なせたくない。僕の感情を受け止めてくれて、それを嬉しいと言ってくれた彼女を、死なせたくない。

「よろしい、では、そうしよう」


 怪物たちの口が、牙が、爪が、すぐそばまで迫る。僕たちを取り囲み、あと数コンマ経てば僕らは命を落とすだろう。





「まったく――――――」



 男の声が響く。今度は耳で、それをはっきりと聞いた。



「――――――世話が焼ける」



 暗闇は、混沌は渦を巻いて晴れる。そう、まるで竜巻が僕らを中心に巻き起こったように。風雲児は僕とカノンの前に立ち、無数の怪物たちは退いていく。僕の目の前には、フードを目深にかぶった男が立ち、まっすぐにナイアルラを向いていた。


「誰だ貴様、王の眼前だぞ!!」

 ナイアルラが怒りを剥きだしにし、絶叫する。周囲の瓦礫や怪物たちが、弾丸のように襲い掛かる。


「効かんよ」

 男はそうとだけ言い残すと、無数の瓦礫に押し潰される…………ことはなく、なぜか瓦礫や怪物の身体は男の身体に当たると、まっすぐ地面に落ちた。まるで一握の砂を投げかけられた時のように、身体に沿って落ち、足元にうずたかく積みあがる。

「……邪魔」


 瓦礫は四散し、怪物たちは生きたまま爆散すると無数の肉片になった。

「立てるな、朔馬」

 男の声に、自然と足が動き、僕は立ち上がる。

「あ、ああ。なんとか」

「良いだろう。ではカノンを連れて、まっすぐ扉に向かって走れ。決して振り返らず、何があっても足を止めるな」


 僕は立ち上がるカノンの手を掴むと、ともに駆け出した。彼に尋ねたいことは山のようにあったが、そんなことよりも先に足が動いていた。走る。走る。目指すはあの扉ただ一つ。


「それを僕が許すとでも?」

 ナイアルラが僕たちに照準を合わせる。

「許す、許さないはお前ごときが決めるものではない。やはり、妙に力を得てしまうと、慢心するのはヒトだけではないようだな」


「ッ…………」



 果たして、僕らはナイアルラの隣を無事に走り抜ける。ナイアルラは特段攻撃をしかけてくることなく、扉の前まで無事に辿り着く。


「扉は開くまい。アレはヨグ=ソトースに連なる魔具(アーティファクト)。我らの神話に所縁のない者は…………」

「開くとも。そして彼らはここから退出する」

 ナイアルラと男が何かを話している。だがそれに振り返る必要はない。ドアノブを回すと扉は開き、夜より暗い深淵が口を開く。



 **



 ばたん、と扉は閉まり、荒廃したこの世界にはナイアルラとフードの男が取り残される。数えきれないほどいる筈の怪物たちは、今ではその姿を消してしまっている。本能で、この場にいるべきではないことを悟っているのだ。


「もう一度聞こう。お前、何者だ」

 やや落ち着きを取り戻したナイアルラが、静かに問いかける。


「俺は…………」

 男は慣れた手つきでフードを脱いだ。艶のある黒い髪の毛がはらりと揺れる。


「土御門、黒乃。魔術連盟の末席に名を連ね、この世界の行く末を案じる、ただのしがないひとりの物書き(・・・)さ」

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