表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/114

余波

「行きますよ。準備はいいですか?」

 カノンが扉に足をかける。彼女が蹴り飛ばすのを合図に、この理科室を後にする。

「もちろん。いつでもどうぞ。というか、普通に扉開ければいいんじゃないの?」

「こういうのは勢いが大事なんですよ。なにせこれから、何百何千という敵の中に飛び込むんですから。いきますよ。3、2……」


 〈金弓〉を持つ指に力がこもる。

「1、()ッ!!」

 彼女が蹴りぬいた扉はそのまま吹き飛び、向かいの窓ガラスは衝撃で粉砕される。間髪入れず僕の指先から一閃の閃光が放たれ、射撃軸線の怪物が消し炭になった。

「目指すは禁書架(・・・)、最短ルートで駆け抜けます!」




 **


 昨日も今日も、きっと明日も、射手矢による王政(・・)は続いている。だというのに私たちに下された命は「待機」の二文字であった。最低限の監視は続行するものの、彼の所業については不干渉を貫くというのが上の判断だ。だがクラスメイト達の精神が限界であるのは間違いなく、いくら記憶改竄でごまかしているとはいえ、その魂に溜まる負荷は計り知れない。ついに耐えかねた黒猫が、佐口に直談判しに行くことになった。


「さすがにこれ以上は見ていられません。多少強引な手段を取ってでも、射手矢の王政を廃するべきです!」

 黒猫の目の下には、うっすらと隈ができている。当然と言えば当然で、射手矢の王政の尻ぬぐい―――つまりクラスメイト達の記憶の改竄は彼女が担っているのだ。泣き叫び、あるいは震え黙り、虚ろな目をしてうわ言を吐き散らす後輩たち一人一人の頭に潜り、忌まわしい記憶に蓋をして回っている。その精神的疲弊は計り知れない。


「……そうしたいのは私としても山々だ。人道的に、今すぐにでも介入したい案件だと思っているとも。別に射手矢君の蛮行を黙認するわけじゃアない」

「だったらなんで、命令は『待機』なんですかッ!」

 語気を荒げる黒猫に、佐口は努めて冷静に答える。

「なんでもなにも、これは一能力者の暴走(ルースキャノン)という域をはるかに超えている。手を出すにしても作戦が必要だ。これがまず一つ」

 佐口は人差し指を立てる。

「射手矢の背後には土御門紫雲がいる。土御門家の失踪した七人の一人。彼が共有術(テレパシー)の使い手である以上、下手な行動は『非日常の無作為開示』に繋がりかねない。学校一つのレベルなら、君の異能力で記憶処理することも可能だろう。だがこの町すべてが、怪物や異能力、魔術の存在を認識してしまったら?」

「相手も魔術師の端くれ。それが禁忌であることくらいわかっているはずです。そのような事態にはならないかと」

「いや、彼は既に土御門家から離反している。魔術師同士の協定に縛られてくれているという希望的観測は、極力避けるべきだ。次に二つ目」


 彼女は次いで中指を立てる。

「朔馬君が消えて二日目だが、依然彼の影も形も見当たらず、捜索は難航している。思うに、君がついてきたのはそれが理由だろう。森賀」


 そこで佐口はようやく、私の方に目を向けた。見透かされているのを誤魔化すように、私はあわてて目を逸らす。

「べ、別に。捜索状況が気になっただけです」

「残念ながら、何の進展もない。君に告げるべきことは、何も」

「並行世界から帰ってくる方法について、なにか心当たりは。遼の懐中時計で再び時間遡行するのはどうです?」


 私の問いに、佐口はふぅ、と大きなため息を漏らす。

「新たな並行世界が発生するのが関の山。遡行に耐えうる正気度もあるまい」

「じゃあ……」

「絶望的、だな。気が進まないが、彼の両親と話をしなければ」

 黒猫もそれ以上、何も言わなかった。佐口は表情を曇らせたまま、静かに椅子から立ち上がる。彼女もやりきれない思いを抱えていることくらい、誰にだってわかっていた。


 **


「朔馬さんが消えた、というのは本当ですか?」


 夜の学校、その屋上。ナイアルラは貯水槽の上に座り、紫雲から受けた報告にこめかみを押さえていた。珍しく怒りを抑えきれないでいる彼を見て、紫雲は内心ほくそ笑む。このいけ好かない餓鬼(ガキ)にも、想定外ということがあるのだ。

「ああ、文字通り消失した。より正確に言えば、この世界には存在しなくなった、というべきかな」

 紫雲はなるべく感情を表に出さないよう努めながら、報告を続けた。

「協力者の異能力は、対象の罪の重さに応じて、相手を異界送りにするというものだ。大抵の人間が一生のうちに犯せる罪の量には限りがある。結果ハザマ、ないしはアネクメーネのいずれかの深度に送り込むというのが彼の能力の発現だが、あの朔馬とかいう男は度を超えていたらしい」


 兄である黒乃の顔色をうかがいつつ、彼は言葉をこう結んだ。

「彼が送られた先は並行世界。彼が以前見捨て、脱出した『破滅した世界』だそうだ。彼は自らの罪への罰としてそこに送られた。罰である以上、刑期を終えれば出所できるだろうが、世界をまるごと一つ見捨てた、いや、見殺しにした罪なんて、いつ償いきれるものやら」

 紫雲は肩をすくめる。ヒトの寿命で耐えうる刑期とは思えない。それぞ、罪が嘆願により減刑されない限りは。



 最初に口を開いたのは、ナイアルラだった。

「僕の危惧していた事態ですよ、土御門の黒乃。朔馬さんが消滅してしまっては、我らの正しき復活は不可能です。どう責任を取るつもりですか?」

 ナイアルラの影がぐにゃりと曲がり、肥大化していく。黄昏の屋上を埋め尽くさんばかりに広がる影の中、彼の威圧感は指数関数的に増加する。だがそんなことは意にも介さず、黒乃は紫音に問いかける。


「破滅した世界……。彼がバッドエンドとして忌み嫌い、切り捨てた可能性の一つか。何週目の物だ?」

 ナイアルラを宥めるのが先か、兄の質問に答えるのが先か。思案の末、紫音が選んだのは後者だった。共有者の性というものか。

「さ、さあ、詳しくは。なにせ送り込んだ本人も、あいにく送り先については把握していない」


 兄は一体、どこまでの事情を把握しているのだろうか。訝しみながら発したその言葉を聞くや否や、にわかに黒乃の表情は明るくなる。ぱちぱちぱち、と、わざとらしく手まで叩いてみせる。


「良かったァじゃないか、混沌の代弁者。ルルイエ浮上後であるならば、その世界は君の手中にあると言っても過言ではあるまい。世界を書き換えるピースを手にしたも同じ」

「話を聞いていたのか? そもそもルルイエ浮上が成功した世界かどうかは不明だろう。それにそこはあくまで並行世界。主人公の(・・・)消えた世界は(・・・・・・)滅びるしかない(・・・・・・・)以上、我々の計画に加えるわけにはいくまい」


 黒乃はにっこりと笑って、屋上のフェンスを登り始める。

「だが彼は今そこにいるのだろう? であるならば、その意味は必ず存在する。それになんだ、彼がその世界に居続けるのであれば、今度はここが不要な世界(・・・・・)となる。それを知らぬ君ではあるまい」

「……何をしている?」

 フェンスを登りきり、またごうとしている黒乃に、ナイアルラが問う。

「何とはなんだ。旅行だよ。少しあちら(・・・)に行かなくてはならなくなった。向こうの君に任せるのはすこし不安でね。僕は僕のシナリオがあるのだから。では、留守を頼んだよ。紫雲」

「え、俺?」

「紫雲が他にどこにいる。時に覚えているだろうか、いつだったか、黄泉が言っていたことなのだが」

悪戯っぽく口元をゆがませた黒乃は、自分の喉元をとんとんと指さす。


「言葉が喉につっかえるように、魂は喉につっかえてしまうらしい。簡単に吐き出せやしないんだと」

「…………は?」


 理解できない紫雲を余所に、黒乃はフェンスをまたいだかと思うと、煙のように掻き消えてしまった。落ちたわけでもない。ただ、当然のように、夕の隙間へと消えた。


 ナイアルラと紫音。取り残された二人に沈黙が訪れ、すぐさまナイアルラがそれを破る。

「……あの男、魔術師で間違いありませんか」

「なんだ、藪から棒に。土御門家を継ぐ七人が一人、尋ねることすら野暮だろう」

「まあ、一芸は持っているようですね。異能力の類は? それとも魔具の所持を?」

 矢継ぎ早に問を重ねるナイアルラに、紫音は些かの気色悪さを感じていた。ナイアルラ。この得体のしれない少年は、魔術の使い手たる自分たちに対してさえ常に高圧的であり、下手に出ることは一度もなかった。土御門黒乃と黒乃朔馬。二人の黒乃を除いて、彼はヒトという種に対して優位に立ちつづけていたのだ。

「いや、無い。少なくとも俺はそう把握している」

「本当に?」

「おいおい俺を疑うのか? 真実の共有を自らに課すこの俺を?」

「弟にも秘密がある、という可能性もあります」

「いや、これに関してははっきり言い切れる。兄に異能起源は存在しない。自身が発案した異能の(・・・)体外排出機構(・・・・・・)に、当の本人は一切の効果を及ぼさなかったからな」

「そうですか……ご協力に感謝します(・・・・・・・・・)。では疑問は残るばかりですね。なぜ彼から神の匂い(・・・・)が……」

 気色悪さは確かだった。今や、彼は見下すべきヒトに感謝さえしているのだ。それは、兄に対するナイアルラの疑心がそうさせているのだろうか。焦りが視野を狭めているのだろうか。


 ナイアルラもまた、独りで何か考え込むようにして立ち上がり、貯水槽の影の中に蕩けて消えた。


「じゃ、俺も帰るかな。仕事も大詰めだ。道化(・・)の下働きも楽じゃない」

 紫音も目を閉じ、ハザマに潜る。奇妙で奇怪で歪な会合は、自然消滅と相成った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング

ツギクルさんはこちらです。クリックで応援よろしくお願いします!↓

ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ