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その死は失恋にも似て

 一年の終わりを祝するように海底都市ルルイエが浮上してから、世界が崩壊するのにそう時間はかからなかった。あるはずのない島が浮上し、神話と現実の境は曖昧となる。ありえざる怪物たちは現実のものとなり、この地球のすべてを覆いつくした。


「当然のことながら、人類は絶滅の危機に瀕しました。しかし世界は先陣を切って反撃に出た人間も、いないわけではありませんでした」

「魔術連盟とか?」

「ええ。彼らは地上を襲う怪物や悪魔、怪異、神話生物を次々と撃破しました。人類生存を賭けて戦った彼らは、ある名高い邪神さえも討伐したと聞きます。ですが……たったそれだけのことに何の意味があるというのでしょう。数十、数百の敵を倒したところで、数千、数万の敵が新たに立ちはだかるだけ。人類に主導権は戻りはしません」


 世界は既に変貌している。時計の針は元には戻せない。もし万が一、糸のように細い可能性の果てにすべての怪物が倒されたとして、世界中の人間が怪物たちの存在に気付いた事実に変わりはない。これまで通り、人類こそが地球の支配者であるなんて顔をして、文明を再興し直すことなどできまい。


「彼らの残党は依然地下や廃墟に潜伏中ですが、もはや革命を起こす力は残されていません。異能力者たちも半数以上が死に、魔術連盟の本部は竜種の襲撃で壊滅」

「竜種? なんと、散々だな」

この世界にもデケムがいるのだろう。彼らが生きているといいが。

「散々です。人類はこの数か月で、かつての五パーセントほどにまで数を減らしました」

「君は?」

「日本における人類生存可能区域(エクメーネ)は……はい? 今なんと?」

「だから、君はどうしていたんだ。僕たちを倒した君は、いわばこの人類滅亡の立役者だろう。それがなぜ、モンスターたちに命を狙われている。感謝こそされど恨まれる筋合いはないだろう」


 僕の質問にカノンは顔を背け、窓の向こうに目をやった。

「知りませんよ、私だって」

「え?」


 聞き間違いではなかった。彼女は、今度はこちらをまっすぐに見て、こう口にした。

「私だってなんでこうなったか、知りませんよ。正直、貴方たちと戦っているときは楽でした。私は私の為すべきことがあった。目標に向かってまっすぐに進むことができた。でもそれが終わったら、私には目標がなくなった。世界は変わったけど、そこに私の居場所はなかった」

「でもナイアルラが……」

「そちらの世界では、貴方はあの少年に辿り着いているのですね。ええ。ナイアルラ。ナイアルラトホテプ。混沌と狂気をつかさどる道化師。彼が怪物たちに指令を下し、世界に新たな恐怖という名の秩序をもたらしました。彼は私に対して、こう言ったのです」


 ――『ああキミか、御苦労御苦労。これでキミは自由だ。どこで野垂れ死んでもかまわないとも。何ならここで今、殺してやってもかまわないが?』


「幸い彼が私に仕掛けていた精神操作の類は、自由の身という報酬のおかげで解除されました。結果、彼の手先に追われる身となりましたが」

「それで君も孤立無援、というわけか。自由の対価が高くついたね」

 人間勢力と共闘するわけにもいくまい。僕は理科室の分厚いカーテンの隙間から、そっと外の様子をうかがった。月の獣の他にも、不気味な怪物たちが校庭をうろついているのが見える。

「そういうこと。まったく、面白くもなんともないです」

「はは、そりゃそうだろうな」


 苦笑をこぼす僕の顔を、カノンがまじまじと見つめる。二人で椅子を並べ、横に座った。


「……案外落ち着いてるんですね、朔馬さん。てっきり以前の貴方らしく、どうしようどうしようって慌てふためくとばかり」

 カノンの声色がいつになく真剣になって、つられて彼女の方を見る。その冷たい夜のような透き通った瞳を見て、僕ははっとした。いま僕は、カノンと話している。死んだはずの人間と、再び言葉を交わしている。僕の運命を、人生を、すべてを変えた一人の少女と。


「僕だって成長くらいするさ。そりゃもちろん、僕はまだまだなんにも知らないけれども……」

 途端、胸元が熱くなった。あわてて懐に手を伸ばすと、そこには僕の禁書があった。その表紙を僕は、まじまじと見つめる。

「知ったことも多い。随分とね」

「私が怖くないのですか? 貴方にも、私に殺された記憶の一つや二つくらいあるでしょう」

「あるよ。忘れたわけじゃない」


 指に力がこもる。感情の高ぶりに呼応して、手帳のページがひとりでに捲れだす。手帳には多くの文字が刻まれていた。その日付はどれも過去のもので、刻まれている文字も過去の出来事についてだ。そうだ、これはもともと僕の日記だった。


「正直、君は最低な人間だと思う。勝手に襲い掛かってきて、大事な友達を殺したり、何の関係もない人を犠牲にしたり……」

 あふれ出す記憶。記憶、記憶の濁流。カノンは何も言わずに目を伏せ、僕の言葉に耳を傾けている。やがてページはひとつの日付で止まった。それは昨年末の決着の日。僕たちの戦いの軌跡がまるで一つの小説のように、事細やかに記されている。その最後の行に、僕は目を奪われた。


「でも、僕は……」

 僕はそこで言葉に迷い、口をつぐむ。しばし迷って、それから、声が震えないように深呼吸する。そしてやっと、言葉を絞り出した。




「でも、僕はたぶん、君が好きなんだ」

 僕はまっすぐ、カノンを見てそう言った。彼女の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。


「え、え? どどどどうして急にそうなるのですか!?」

 身を隠している途中ということも忘れ、カノンが素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。僕は禁書をぱたんと閉じると、つられて立ち上がった。

「だってそれしか考えられないんだよ!」

「意味が分かりませんわ!」

 売り言葉に買い言葉、二人の声はどんどんと大きくなる。だが僕は決めていた。ここで言うべきことをすべて言おう。彼女に直接言葉を伝えられる機会なんて、きっと二度とあり得はしない。



「だって、だって君はこの世界を滅ぼした元凶で、きっと数えきれないほどの人に恨まれていて!」

 教室を埋め尽くさんばかりに備えられた花瓶を思い出す。あれは現実の風景か、それとも幻か、どちらにせよ事実ではあるだろう。みな死んだ。


「僕だってそれぞ数えきれないほど殺されかけて、酷い目にあわされて、そんな君なのに、そんな君と、…………また会えて、嬉しいんだ」



 僕は知っている。カノンもまた、運命を操られた犠牲者の一人にすぎない。黒幕の存在に気づかぬ多くの人は、実行犯たるカノンを憎むだろう。でも真実を、ナイアルラという真の敵を知る僕ぐらいは、彼女の味方でいたいのだ。射手矢君がそうであったように、死んだ人間は二度と蘇りはしない。今目の前にいるカノンも、厳密には別人だ。でもそんなの関係なく、ただ目の前に、もう少し話していたかった人が生きているというだけで、どうしようもなく嬉しい。気が付くと、目から涙があふれだしていた。

「……朔馬さん」

 頬を流れる一滴を、カノンが指先で拭いとる。その指先に確かな体温を感じて、僕は微笑んだ。


「なあカノン、君の知らない、君の最期の話がしたい。君がどれだけ気高く、『じぶん』であろうとしたのかを、君にも知っておいてほしい」

「いいでしょう。ぜひ聞かせてください。ふふ、奇妙なものですね。私が話を聞く側になる、というのは」

「短くまとめるよ。話が長いのは好きじゃない、だろ?」



 禁書にはこう書かれていた。『あの時僕が彼女に抱いていた感情は恋愛感情ではなかったが、それでもあの喪失感は、失恋と形容するのが無難なのかもしれない。今のところは。』と。


 今なら正しく言葉にできる。僕は惹かれていたんだ。うらやましかったんだ。人形として生まれ、人知れず目覚め、挙句自らを侵食され、生きている意味を奪われ、それでもなお自分の存在を世界に刻み付けるべく、必死にあがいた一人の生き様に、惹かれていた。一言でまとめれば、やっぱり好意ということになるだろう。僕の人生はじめての告白だった。

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