隠匿された真実
「......さて。僕らがどんな仕事をしているかわかったかい?」
僕らは今図書館の中の一室、禁書エリアでテレビを見ながらくつろいでいる。先ほどの喧騒が嘘のよう。バラエティ番組でタレントが気の利いた発言をしたのか、スタジオの笑い声が画面の向こう側から聞こえてきた。
「−−−−−−−−あれは悪い夢か何かですか?」
自分にしても間の抜けた返答だと思う。新興宗教の勧誘方法とかでよくある「奇跡の実践」とやらの一部だろうか。あの世界も、あの怪物も。
「……寝ぼけてんのか? 自分の目で見たものくらい信じるようにするべきだな。あれは紛うことなき現実だ。それもとびきり上等のな」
綿津見がテレビから目を離し、僕に笑いかける。
「ペリュトン−−−−−アトランティス大陸に住まうとされた怪鳥だ。自分の影を持っておらず、人を殺すことで自分の影を取り戻す。大概は大群で襲いかかってきて、昔は随分と兵士が喰われたそうだ」
「ぎゃあぎゃあ煩いのよね。アイツ」
目を閉じ、理恵が鬱陶しそうに呟く。その説明が、当然の事実だと言わんばかりに。
「−−−−−−−じゃあ、あの場所は一体……」
目も合わさずに、質問と、それに対する答えが飛ぶ。
「あそこは現実の世界だ。今流行りの異世界なんていうもんじゃ無い」
遼が立ち上がってテレビを消す。綿津見が不服そうに抗議するが、すぐに黙った。
「見てたのに......」
「煩い。録画でもしておけばいい。あ、あと報告書の作成もよろしく」
「酷すぎない??????」
遼は綿津見の言葉に一瞥で返すと、部屋の奥から無地のホワイトボードを引き摺ってきて、僕の前でぴたりと止めた。
「今、朔馬が見ている世界をAとしようか。この世界Aは、万人が見、聞き、そして触れることができる『当たり前の世界』だ。大概の人はこの世界の上でのみ生きていくし、このほかに何かがあるなんて疑おうとさえしない。ここまでいいか?」
頷く。感知できる範囲のみが世界の全てだ。
「よし、それじゃ次の説明をする」
ホワイトボードに引かれる、一本の横線。
「この線より上を、俺たちは表層と呼ぶ。先ほど定義したAは、この表層にあたる」
そう言うと遼は線の上に棒人間を書いた。
「これが朔馬だ。世界Aに足をつけ、その上で暮らしている」
とん、とホワイトボードを叩く。
「だが、線があるということは、世界は二つに分けられる。上側の世界があるだけじゃなくて、下側にも世界がある。勿論その世界にはその世界の住人がいて、その世界にはそれぞれ別の理がある」
彼は言葉を紡ぐ一方で、その下に何本も線を引いていく。
「そして、俺たちがさっき行った世界はここ」
彼は区切られた空間のうち、棒人間が足をつけた線から、その一つ下の線までの間に斜線を引いた。
「でもって、このホワイトボード全体が本当の意味での世界だ。俺たちは異世界に行っているわけじゃない。ただ、世界の裏側を垣間見ただけ。この表層から下の全ての世界、いわば世界B全体のことを、俺たちは特に名前を付けて呼んでいる」
遼がニヤリと笑う。
「アネクメーネ。人類の未踏地の名を拝借した」
だが納得してしまった反面、もちろん不安が渦巻いていた。世界がもう一つ、存在している。それはとびきり危険で、とびきり妖しくて、そして日常のすぐ後ろに潜んでいる。それを現実とするなら、僕が今まで生きていた世界はなんと狭い範囲なのだろうか。
ホワイトボードに書かれた棒人間を見る。あれが僕だ。だとするならば、僕の足元に、僕が知る世界の何倍もの広さのセカイが広がっているというのだろうか。
「話が、大きすぎて、ついていけない」
「おや、容量限界か。もう一回説明する?」
遼がペンをクルクルと回す。彼の癖だ。だが僕の目には、その動作さえも全く同じには映っていない。
「言っている意味がわからないんじゃない。言っていること自体がわからないんだ。この話は......おそらく僕が関わっていいような話じゃない。僕は一般人だ。物の三態も操れないし、血を操って化け物を召喚することもできない。僕はただ、おかしな夢を見るだけだ。だから.....」
だから。
「僕はこのことに関われない。はっきり言って怖いんだ。職業見学は終わりでいいかな?」
部屋を、一瞬の静寂が包む。
それを問答無用に打ち破ったのは、扉が開く音。それと軽やかな女性の声だった。
「通知あったけど、もう退治終わったのかな……って君、誰?」
扉の隙間から顔だけ覗かせたその女性は、入ってくるなり首を傾げて僕に質問を投げかける。
彼女の緑がかった黒い髪の毛が風に揺れる。
「あ、僕は−−−−」
「そういえば、ここにくる前に猫を追っかけるミツとヤイバを見かけたんだけど、あいつら何やってんの。ストーカー?」
僕が挨拶しようとしたのを遮って、その女性は綿津見に話しかける。
「彼らには彼らなりの仕事があるのさ、それより−−−−−−」
綿津見がこちらを向く。
「紹介しよう。こちら《禁書の守り手》が一人、佐口 澪だ」
先程から単語として時々登場する《禁書の守り手》というのは、おそらくここ《禁書エリア》の関係者の事だろう。
その一人、と紹介された彼女は、いかにも『司書』といった雰囲気。黒縁の眼鏡が相まって、さらに知的な佇まいを増している。年は20代前半くらいだろうか。綿津見と同じくらいであるのは間違いなかろう。人の年齢を当てるのは得意じゃないが、静かな雰囲気の、落ち着いた印象を受ける。ただ眠たげなその目とその周りのくまは、彼女が見た目通りの人間ではないことを暗示していた。
「はい、どうも」
彼女はぺこりと会釈をする。
「……で、こちらが黒乃朔馬くん。理恵と遼の知り合いで、どうやら適正者らしいとのことで連れてきた」
「はじめまして、黒乃と申します」
僕もあらためて自己紹介に移る。
「よろしく。……なるほど。じゃあ通知を見て面倒に思わずに来たのは良い判断だったと」
「そういうことだ。いや、通知が入ったらちゃんと毎回来てくれ。そういう仕事のはずだ」
『こちら側』という言葉が指し示す意味を僕が理解するには、結果数秒の時間を要した。
「それはつまり……やっぱり僕の予知夢はその異能力ってことですか?」
僕の質問に対しては、綿津見は言い訳を探すように、実際探して、あー、と言葉を濁した。
「いや、それは断定できん。が、少なくともその可能性はある、という意味での適性者だ。純粋な一般人は、あの世界に入るどころか、感知することすらできない。あの世界に入ることができた時点で、既に君は少し特殊だ。そして君がどうしようもなく特殊で、異質で、こちら側の人間かは……」
「私が見てやろう」
佐口さんが後を継いだ。彼女の目は笑っていなかった。