星占アフター~火のエレメント~
第182回コバルト短編小説新人賞「もう一歩」の作品です。姫やドレスは出てきませんが、二十歳くらいの女の子の恋のお話です。
占い師や飲食店スタッフさんが出てきます。
私は、失恋したんだと思ってた。十九年生きてきて初めて彼氏ができたけど、初恋はあっけなく終わり、行き場を失った恋心は苦しい未練に姿を変えてしまった、と。
「……で、彼氏に言われるまま、コツコツ貯めた百万円を渡して、次の日から連絡が取れなくなった、という訳ね。うーん……それって詐欺じゃない?」
「え?」
涙で腫れた重いまぶたは、占い師の意外な言葉に見開かれる。
「占い館じゃなく、警察に相談しに行った方がいいんじゃないかしら? タロットカードに聞いてもいいけど……ホラ、『悪魔』が出たわ。失踪した彼はそもそも、あなたに恋なんてしてなかったの。最初からお金目当てで近づいたのよ」
最強占い師と呼ばれるマダム・アイリーンは、私の顔の前に、山羊の角と蝙蝠の羽を持った悪魔のカードを掲げた。しかめっ面の醜いバフォメットの前に、全裸の男女が首を鎖で繋がれている。男は腰に手を当てて、得意げにも生意気にも見えるのに、女は両腕をだらりと下げたまま、ただ立ち尽くすだけ。無防備に絶望するカードの中の女は、まるで今の私を表しているようだった。
「あのぅ……彼は私のことをどう思って……」
「なんとも思ってなかったわよ」
マダムの鑑定結果はとても簡潔。だけど、そのぶん残酷に心をえぐる。
「カモがネギ背負ってきた、と興奮したでしょうね。ハッキリ言うけど、愛とか恋とかじゃないから。失恋したと悲しむなんて、おバカもいいとこ。騙されたと怒るべきよ」
「だま、騙された?」
「そう。あなた、彼にお金を騙し取られたの。かわいそうに。まだ気づいていないのね。まあ、九月一日生まれの乙女座だしね。色恋沙汰には疎いから仕方ないか。あなた、クソがつくほど真面目で、ちょっと潔癖っていうか、男女関係が苦手でしょ。オトコと手を繋ぐだけでも緊張しちゃって、エッチの経験もあんまり多くないんじゃない? いや……あまり多くないどころか、まだ処女ね。間違いない。今回の彼にも、身体を許してないでしょう?」
遠慮のない言葉でズバズバ指摘するマダムに、私は何も言えない。まくし立てる彼女に圧倒されたんじゃなく、すべてが当たっていたから、反論なんてできなかったのだ。
「セックスもしてないのに、どうして百万渡しちゃうのよ? もったいない……百万あったら、ホストクラブで結構遊べちゃうわよ。あはは」
五十代も半ばだというマダムは、あっけらかんと大笑いする。あまりの配慮のなさに、私は唖然とした。この人、本当に口コミナンバーワン占い師だろうか?
鑑定室に漂うサンダルウッドの香りは、甘く神々しい。でも、それは私にとって、魂を抜き取られる死の匂いだった。クラクラして今にも倒れそう。失恋よりも衝撃的な詐欺行為が暴かれて、心は完全に折れている。しっかりと意識を保ち続けることが、もう難しくなっていた。
「……あらやだ、大丈夫? 顔、真っ白よ。おぼこな乙女座には、ちょっとキツかったかしら。ごめんごめん! じゃあ、少しでも元気取り戻すために、ここ寄ってみてよ」
呆然とする私の手に、マダムはハガキほどの大きさのチラシを乗せた。
――カランコロン
ドアベルが鳴る。遠慮がちに、誰かが「ごめんください」と言うのが聞こえると、マダムは私の後ろへ視線を送った。
「あ、次のお客さんが来ちゃった。えーと、花京さん……貴旬子ちゃんだったわね。大丈夫よ。この世の中には男なんて星の数ほどいるんだから。詐欺オトコなんか忘れて、新しい恋に目を向けるべきだわ。悲しむだけ損するわよ。じゃあね!」
大粒のルビーの指輪をはめたマダムの指が、私の頬をそっと撫でてから無情にバイバイと振られた。ニッと口角を釣り上げて笑う顔に悪気は感じられないけど、私は胸の奥で「クソババア」と呟いてしまう。いつもの私なら、そんな汚く醜い単語なんて、思い浮かべることもしないのに。促されるまま席を立ち、サンダルウッドの神々しい香りが立ち込める鑑定室を出た。ドアまでのたった数歩が、とんでもなく重く遠く感じる。
「なんだったんだろう……?」
それは、マダム・アイリーンの占い鑑定に対する感想だけじゃない。コツコツ貯めた百万円を持って消えた彼に対して。そして、簡単に騙されてしまった愚かな自分に対して。恋なんて最初からなかった。愛は偽物だった。唯一守られたのは、十九歳にして男を知らない、この肉体だけか。
占い館を出ると、眩しい春の日差しが痛いほど目に飛び込んでくる。底抜けに明るすぎる太陽を、私は見上げることができない。マダムに無理やり握らされたチラシに、視線は自然と落ちた。
『半額チケット! ファイヤー・ゲート』
紙面を占めるのは、巨大な三段重ねのハンバーガー。厚い肉汁たっぷりのパテと瑞々しいトマト、とろんと溶けるチーズの写真は、私の胃に直接訴えかけた。
ぐぅぅ。
お腹が鳴るのも無理はない。失恋と思い込んでいた私は、ここ数日ろくに食事ができなかったのだから。千円のランチが半額で五百円になるという見出しに、心はすぐ決まった。迷う必要もない。超大手ハンバーガーチェーンの薄っぺらなチーズバーガーセットを食べるより、お得。涙も心も空っからに乾ききった私には今、食欲を満たすことだけが救いなのかもしれない。
チラシに描かれた地図を見ると、お店は占い館から歩いて三分。ご近所とはいえ、鑑定後に飲食店を紹介するなんて、変な占い師だと思った。ネットの口コミ情報は、まったく当てにならない。少なくとも私には、マダム・アイリーンはただの失礼なオバさんでしかなかった。
丸いコカ・コーラの看板と、バドワイザーのイルミネーション。アメリカンな雰囲気が漂うハンバーガーショップは、開店したばかりのようだった。昼前でランチには早く、入口のガラスドアから見える店内に、客はまだ一人もいない。
「いらっしゃーい!」
店の中に入ると、妙に艶っぽい声が飛んできて、私は戸惑う。声の主は、ミルクティーブラウンのロングヘアを揺らして笑うウエイトレスだとすぐにわかるけど、彼女はあまりにも背が高く、不自然に肩幅が広かった。
「今日の一番乗りサマ、カウンター席へどうぞォ!」
とても美しいその人は、どうやら彼女ではなく、『彼』のようだった。
「あの……これ、使えますか?」
おずおずと差し出す半額チケットを見て、長いつけまつげを付けた彼は、「もちろんよ」とニッコリする。チラシに載るスペシャルバーガーをサラダとコーラ付きのセットで頼むと、性別不明の美しい人は厨房に呼び掛けた。
「スペシャルバーガーひとつ、マダムのお客様ですぅ!」
その艶やかな声に応じるように、黒のノースリーブシャツを着たエプロンの男性が顔を出す。私の顔も見ないで、黙々と調理を始めた。長い前髪で表情はよく窺えないものの、薄い唇は真一文字に閉ざされている。笑顔のえの字もない。飲食店に勤める店員としてはひどく不愛想で、にこやかなオネエさんとは対照的。やる気のないフリーターかもしれなかった。
「ハイ、水お待ち!」
「ぅわっ」
カウンターの向こうに気を取られていたからか、テーブルの上にグラスが勢いよく置かれると、私は思わずのけぞった。ビックリ箱を開けた時のように声が出たのは、ウェイターが驚くべき速さで運んできたから。ついさっきまで人の気配すら感じなかった右肩に、くっきり二重の細身男子がお盆を持って屈み込んでいる。
「そんなにビビらないでよ。白けちゃうじゃん。昔のアメリカっぽくて、カッコいいっしょ?」
滑らかにクルリと一回転するウェイターは、ローラースケートを履いていた。銀のお盆を持ってポーズを決めるのだけど、私はどうリアクションすればいいのかわからない。そもそも、こういうタイプは苦手というか。白けるつもりがなくても、困惑している間に白けた空気が流れてしまう。
「やめなよ、玲司。お客さん困ってるじゃない」
「カッコ良くない? 俺的には、店の雰囲気にもハマってると思うんだよね」
オネエさんの注意を右から左へ流して、ローラースケートの少年はテーブルの間を器用に滑り抜ける。アハハと軽い笑い声が店内に響いた。
「玲司、やめろ。危ないだろ」
笑顔で滑るウェイターの足を止めたのは、低く澄んだ声。カウンターの向こうで、不愛想なフリーターが睨んでいる。いや、睨んでいなかったかもしれないけど、無表情は厳しい顔に見えた。
「ほらァ、怒られた。店長の言葉は絶対よ。早くローラースケート脱いできなさい」
オネエさんにも畳みかけられて、軽率なウェイターは静かに厨房へ消えていく。でも、大げさに肩をすくめてみせる彼は、本当に反省しているわけではなさそうだった。というより、私は『店長』という言葉に少し驚く。やる気のないフリーターが店長だったとは。
「すみません。お騒がせして」
初めて私を見るその人と視線が合った。切れ長の目にまっすぐ見つめられて、なんだか困ってしまう。漆黒の瞳には、余計なものをすべて排除するような、ストイックさが感じられた。ちょっと頑固にも見えるその目を、じっくり見たい気もするけれど、視線を合わせるのは妙に気恥ずかしい。やる気がないなんて思ったことを、少し後悔する。
「剛流ってば、つまんねーの。ちょっとくらいいいじゃんよ。お客さんも、ハンバーガーだけじゃなくて、色々楽しみたいよねぇ?」
ウェイター君は、白いハイカットのバスケットシューズに履き替えて厨房から出てくる。しかも、手にコーラの入ったグラスを持ちながら。何の躊躇もなく私の隣に座り、馴れ馴れしく店長への愚痴に同意を求めてきた。「ねぇ?」と問いかけられても、私はただ、彼のきれいな二重を見返すばかり。店員に相席されて世間話をするというシチュエーションは、今まで経験したことがない。
「玲司、コーラを勝手に飲むなと言ってるだろ」
自由すぎる従業員を、店長は苛立った声で叱る。
「だって、この人、マダムのお客様だろ? 気分入れ替えて、スカッと明るくなってもらいたいじゃん。アンタ、何か悩みがあって占ってもらったんだろ?」
「はい……彼氏にお金騙し取られちゃって」
まるで友達みたいに話しかけてくるウェイター君に、私もつい答えてしまう。分け隔てなく親しげに振る舞う彼は、天然の人気者だと思った。中学や高校時代は、華やかで充実した日々を送ったんだろうなと、ふと想像する。彼のような生徒は、クラスに必ず一人はいるものだ。つねに周りの注目を集めて、みんなから愛されるタイプ。私のような地味子とは縁が薄い、ちょっと遠い存在。だから、ウェイター君が笑うのをやめて、私を普通に心配してくれたことが意外だった。
「ちょっと、それマズくない? 占いっていうか、警察行った方がいいお悩みだよね。こんなとこでのんびりしてていいの?」
「とりあえず、はい。お腹すいたんで……」
「バッカ! 落ち着きすぎだよ。もう開き直っちゃってんの? ダメだよ、犯罪に泣き寝入りしちゃ。ハンバーガーなんか食ってないで、早く警察行こうよ!」
慌てたように立ち上がって彼は、私にも立つよう促した。驚きの表情を浮かべて肩を揺すってくるのだけど、私は焦って警察に行く気にはならなかった。犯罪に巻き込まれたことはもう、正直どうでもよくて。あまり問題じゃないと感じていた。だって、警察に行ったところで、私の心は納得も癒されもしない。むしろ、自分の馬鹿さ加減を再確認するだけ。詐欺を恋と見間違えた虚しさは消えないのだ。
「おい! アンタ、大丈夫か? なんで、そんな平気な顔してんの? 早く警察行こうよ!」
彼は、親切心からそう言ってるんだと思う。でも、今の私には優しさと受け取れない。しつこく急かされるにつれ、煩わしく感じ始めた。彼氏のことも、騙されたという事実からも、しばらく離れたい。考えたくなかった。
「ちょっと、聞いてんの? こういうのは早い方がいいんだってば」
乱暴に腕をつかまれて、私の頭の中で何かが弾ける。
「やめてください! もういいんです!」
自分でもハッとするくらい、大きな声が出た。荒々しい叫びは子供の泣き声にも似ていて、瞬時に自己嫌悪に陥る。感情のままに大泣きした最後は、遠い遠い昔の話。私は、自分を理性的で冷静な人間だと思っていたのに。幼くみっともない素の喚きが出たことに、唖然とする。十九になっても、私にはまだコントロールしきれない部分があるのだと気づいた。
そんな私の声に驚いたのか、ウェイター君は急に口を閉ざす。人が変わったみたいに深刻な顔をしていた。
「あ、あの……えっと……」
何かフォローするべきは、もちろん私じゃない。だけど、気まずい空気を作ったのは間違いなく自分で、何か言わなくちゃと思ってしまう。
マダムが言ったとおり、私はクソ真面目。どうでもいいところに気を遣って、そんな自分が嫌になる。初対面の不躾な店員にはむしろ、声を荒げて怒鳴ったっていいじゃない。あんたには関係ない。うるさい黙れと、怒りをぶつけたって構わないはず。でも、それができない私の心はモヤモヤと乱れて、視界までモヤモヤと見えづらくなる。
「すみません。これ、使ってください」
低く落ち着いた声が、真正面から降りてきた。カウンター越しに差し出されるおしぼりが、不自然に揺れている。
「涙……拭いてください」
店長に言われて、私は初めて自分が泣いていると知った。
「玲司、外に『貸切』の札、出してこい。早くしろ。しばらく他の客は入れるな」
早口で店長は指示を出し、カウンターから出てくる。手には三段重ねの大きなスペシャルバーガー。分厚いパテと瑞々しいトマト、とろんと溶けたチーズが、バンズの間から覗いている。店長はトレーを私の前に置き、膝をつくと屈み込んだ。
「何でも言ってください。我慢することはありません。自分が話、聞きますから」
まっすぐな目に戸惑ったのは、数秒だけ。胸の奥でわだかまっていた感情はもう、抑えようもなく流れだした。握りしめる真っ白なおしぼりに、嗚咽が吸い込まれていく。私の愚かさと悔しさは、枯れたと思った涙と一緒に溢れ出た。
「ここはね、マダムがオーナーを務めるアフターケアのためのお店なの」
泣きはらして腫れた私の目に、性別不明の創也さんはアイラインを入れてくれる。メイクが趣味という彼の話によると、マダム・アイリーンはファイヤー・ゲートの他にも三つのお店を持っているそうで。占星術では十二星座を火・地・風・水の四つのエレメントに分類する考え方があり、それぞれのお店は各エレメントがテーマになっているらしい。
「ファイヤー・ゲートには火の星座が集まっているの。ボクは射手座。玲司は獅子座。店長の剛流は牡羊座ね。……目尻のラインは、こんな感じかな」
射手座の創也さんが私にメイクする様子を、ウェイターの玲司君はコーラを飲みながら眺めている。
「火の星座っていうのは、サッパリバッサリなんだって。マダムが言ってた。乙女座のキクちゃんには、ちょっと肌が合わないかもしれないけど、ショック療法と考えればちょうどいいのかもしれないよ」
「キクちゃんって……いつの間に私の名前を?」
彼氏のことや騙し取られた百万円の話はしたけど、自分の名前を名乗った記憶はない。
「あ、ゴメン。さっきマダムにラインして聞いちゃった。いいじゃん。いろいろ腹割って話したんだし。もう友達っしょ?」
エヘヘと笑う玲司君は、やっぱり軽率でイラっとくる。でも、人懐っこい笑顔がなぜか憎みきれない。友達と言われて、逆にうれしいとすら感じている。それは、彼みたいなタイプが私の周りにはいなかったからか。いや、いたけれど、自分から近づいていけなくて、憧れだけを募らせていたからか。
クラスの人気者を、私はいつも遠くから見ていた。仲良くなれたらいいなと思いながらも、受け入れてもらえる自信がなかった。華やかな人と親しくなるなんて、ありえないと思い込んでいた。玲司君みたいなタイプは、正直言って苦手。でも、嫌いじゃない。眩しい存在には、ちょっと戸惑ってしまうだけ。
「玲司。お客さんの名前を断りもなく聞くもんじゃない」
店長の剛流さんの注意にも、玲司君は舌を出しておどける。創也さんも、「いいじゃん、名前聞くくらい」と苦笑した。壊れかけた私には、そんな適当さがちょうど良いのか。深刻に悩むことが、ちょっと馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「お前ら、まったく……いい加減なことばっか言って。申し訳ないです。でも、また来てください。気楽に、世間話するだけでもいいですから」
剛流さんは、カウンターの中で洗い物をしながら言った。切れ長の目はやっぱり、まっすぐに私を見つめている。彼の人生にはきっと、迷い揺らぐものなんてないんだろう。自分自身を支える芯が、いつだってしっかりと通っているに違いない。剛流さんの目ににじむ真っ直ぐな強さが、今の私には羨ましい。キラキラと遠く輝いて見えて、真正面から見つめ返すことは数秒もできなかった。恥ずかしさといたたまれない気持ちと、すぐには言葉に表しきれない思いが、ごちゃごちゃと混じり合う。俯いた頬はぼうっと熱を帯び、私はにわかに動揺した。
「……また来ます。絶対」
それでも、唇からは素の気持ちが小さく漏れた。剛流さんの強く凛とした目を、今日限りで思い出にするのは惜しい。
また、会いたい。
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数日後、私の幻の失恋は完全に昇華されることになった。言葉巧みに愛を語って百万円を持ち逃げした男は、結婚詐欺罪で逮捕された。私以外の女性からもお金を騙し取っていたらしい。
「アホウ……だわね」
淡々と朝のニュースを伝えるアナウンサーを見ながら、私は思わず呟いた。それはもちろん、詐欺男に対して。そして、自分を含めた哀れで真面目な女たちに。確かに、まんまと騙された私はアホウ。初めてできた彼氏が詐欺師だなんて、まったく情けないと思う。でも、ファイヤー・ゲートで悔しさと悲しみをすっかり吐き出していたからか、心は平静を保って、もはや何も感じなかった。事件は私にとって、すでに終わったこと。他人事にすら思えた。
――テレビ見た? バカ男の逮捕おめでとう! お祝いパーティーしなきゃね!
スマートフォンの画面に、絶妙なタイミングでラインのメッセージが表示される。送り主は、玲司君。素早いリアクションと、サバサバした明るい文面に思わず頬が緩んだ。
あの日以来、ファイヤー・ゲートの三人とはラインをやり取りする仲になっていた。玲司君や創也さんとは下らない話もするけれど、剛流さんは忙しいのか、こういうことはマメじゃないのか、お店のお知らせ以外はめったにメッセージをくれない。
――お店が混まない時に、暇みて行こうかな。
笑顔のスタンプと一緒に、玲司君には返信を送る。自分でもやらかしたと思う出来事を、変に気兼ねなく共有してくれる人たちがいるのは心強い。本当ならすぐにでも忘れてしまいたいけど、私が騙されたことで玲司君や創也さん、そして剛流さんと知り合えたのだから、事件を完全無視にはできない。もう少し時間が経てば、幻の失恋も笑い話になるだろう。憎らしい彼氏に感謝する日だって来るかもしれない。
テレビの見出しは変わり、アナウンサーは芸能ニュースを伝え始める。私は立ち上がってクローゼットを開けた。今日は何を着ようかと考えるまでもなく、白やピンク、明るい色の服にばかり目が向いた。
『ライン!』
メッセージの着信を伝える音が、軽やかに響く。玲司君がさらに返信してきたのか、あるいは創也さんかもしれない。私は、淡いブルーのワンピースを手に取ったまま、スマートフォンを取り上げる。
けれど、画面に表示された名前は、そのどちらでもなくて。私の目は釘付けになる。
――今夜、店を貸切にするんで、お祝いパーティーしましょう。お待ちしています。剛流
めったに来ないラインの送り主に、戸惑わずにはいられない。スタンプも絵文字もない、シンプルな字面なのに、私の心は急に躍り出す。
うれしい。当然。それは、玲司君のメッセージに対する喜びとは、ちょっと違う気持ち。一瞬で胸がヒリヒリと乾くような、いじらしい火照りだった。心も身体も一気に目覚めて、息苦しさすら覚えるほど鼓動は早まる。手にしたブルーのワンピースを、私は皺だらけにしそうなくらい、きつく握りしめていた。
今さらのように気づく。
「もしかして……私」
好き、かもしれない。
やっぱり、と感じたのは、今ここで恋が生まれたとは思わないから。初めて会った日にはもう、心は走り出していたはず。でも、マダムいわく、私はクソ真面目だから。時間をかけなければ気づけなかったんだろう。心は緩やかに、少しずつ傷を癒して新しい情熱をあたためていたみたい。
剛流さんに会える。
そう思うだけで笑みが浮かぶ私は、とっくに幸せなのかもしれない。失恋なんて、遠い記憶の彼方。
優しいスカイブルーのワンピースは、好きな人と会う日にふさわしい色だろうか。私は、鏡の前で何度もポーズを取って眺めた。
終