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ホンモノが残る町  作者: 春哉那多
第一章.巳裂さま
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帰省

「うわ、いい景色」


 二両編成の電車から降りた透里は、眼前の景色に感嘆の声を漏らした。

 線路を挟んだすぐそこには田んぼによる緑の絨毯が作られている。田んぼの向こうには湖が、湖の向こうには山が広がっていた。


「ワタクシにとっては見慣れた光景ですが透里様はお久しぶりですものね」

「水上スキーにパラグライダーなんて俺がいた時はなかったですよ」

「透里様が引っ越されたあと、市が観光に力を入れ始めたんです。湖をより綺麗にしたり山の道を整備したり。それに市街地の東側には温泉郷もありますから観光で訪れる方も年々増えているみたいですよ」

「なるほど」

「それよりも透里様、言葉が戻っています。昨夜もいいましたが昔みたいに接してください」

「そうだった。ごめん」


 透里は謝罪とともに頭を下げる。彼は依実菜との距離を測り損ねており、また罪悪感を抱いていた。


(俺は依実菜のことを全然覚えてないんだよな)


 依実菜には透里との思い出があるが、透里は依実菜のことを覚えていかった。それも自然に忘れたのではなく、意図的に忘れようとしていたのだ。

 昨晩、透里はそれを伝えているが依実菜は問題ないといっていた。


「十年以上も関わりがなかったので多少の距離感があるのは仕方ありません。思い出はまた作っていけば良いのですから。さあ、早く帰りましょう」


 駅から国道沿いの道を歩き途中坂道を登っていく。コンクリートで舗装された道路から土の道に変わり木々が増えると、蝉の鳴き声が濁流のように透里の耳に流れ込んできた。


「着きましたよ」


 祖父と依実菜だけで暮らしていたにしては大きな家。庭の一角には小さな池があり、鯉が悠然と泳いでいる。駐車場のすぐ横に名前も知れぬ大木がそびえ立っている。

 記憶に残る家の姿は現在も変わりはなかった。


「懐かしいですか」

「そりゃまあ」


 依実菜に伴われて中に入ると狸の置物に出迎えられる。これも昔からあったっけなと懐かしさがこみ上げる。

 居間の隣には仏壇があり、壁には祖父と若かりしときの祖母の遺影がかけられていた。仏壇に手を合わせてから祖父の遺影へと視線を移す。


「………………」

「御影様たちに挨拶はできましたか?」


 後ろで控えていた依実菜は様子を見ながら声をかける。


「ああ」


 透里は短く返すと遺影に一礼してから居間へと戻っていった。


 依実菜が用意した飲み物やお菓子をつまみながら今後について話し合う。


「まずは住吉様に会っていただきます。この地区の会長を務めている方です」

「その人が爺ちゃんの葬儀を取り仕切ってくれたって人か」


 ならば会ってお礼を伝えなければならない。


「その人ってどこに住んでるんだ?」

「ここから歩いて二十分ほどのところですが透里様が行く必要はありませんよ。先ほど住吉様に連絡したところ仕事帰りにこちらに寄ると返事がありました」

「そっか」

「住吉様が来るまではどうなさいますか。夕方以降となるのでまだ大分時間がありますが」


 少し考えてから透里は答える。


「久しぶりにこの辺りを散歩したいな」

「わかりました。ではワタクシはその間、家の中の掃除と夕飯の支度をしておきます。そうですね、六時までには帰ってきてもらえますか」

「わかった」


 荷物を置いて手ぶらで外に出た透里は当て所なく移動を開始する。この辺りは透里が住んでいる地域と違ってカラッとした暑さなので過ごしやすい。事実、家の中を見て回ったがエアコンの類はなく扇風機が一台で事足りるのだろう。

 家を出た透里はまっすぐ湖を目指す。

 巳裂湖(みさきこ)と呼ばれるこの湖は南北に伸びている縦長の湖だった。遠くに見える向こう岸にはバンガローが点在しており、小さく人の姿が確認できる。

 キャンプを楽しんでいるようだ。

 友達と。

 あるいは家族と。


「……」


 キャンプ場に向けていた視線を外して道なりに道を行く。

 それほど広くはない道は進むごとに幅が狭まってきている。

 たまに出くわす釣り人の釣果を眺めながら歩いていると前方から歩いてくる人が見えた。

 グレーのスラックスと淡い水色のシャツに革靴。モデルのような体型にその格好は似合っていたが、このような田舎で遭遇するのは些か違和感があった。おそらく地元の人間ではなく観光かなにかで訪れたのだろう。 


「あの、ちょっといいかな」


 声をかけられたのはすれ違って数メートルほど進んでから。

 振り返るとすれ違ったばかりの男性が人懐っこい笑みを浮かべながら立ち止まっていた。


「突然話しかけてごめんね。キミはこの地区の子かな?」

「いえ、昔は住んでいたけど今は別のとこに住んでて、夏休みだから久しぶりに来てるんです」

「じゃあこの辺りについてはあまり詳しくはない?」

「残念ながら」


 透里が答えると男性はそうかぁ、と少しだけ落胆したような反応をする。


「何か困り事ですか?」

「うーん、困ってるってほどでもないんだけどねぇ」

「よかったら話だけでも聞きますけど」


 そういうと男性は考える素振りを見せてから、じゃあ聞いてくれるかなと前置きをした。


「僕は普段大学で民俗学を教えていてね、今度知り合いに誘われて近くの公民館で講義をすることになったんで、ついでに市内に残っている伝承を聞いて回ってるんだ」

「伝承? この辺りにあるんですか?」

「おや、キミは知らないのかい。ここら辺はいくつかの村や町が合併して市になっているんだよ。それぞれの地区には色々と興味深い伝承が残っていたんだけど、この地区のはまだ集められていないんだ」


 説明を聞いて透里は納得する。


「ああ、だから地元の人間を探してたんですね」

「そうなんだよ。まぁ、この際伝承じゃなくてもいいんだ。古文書でも珍しいでも何だっていい」

「はあ、それじゃあ知り合いに聞いてみますよ。ついでに家の中に何かないか探してみます」

「えっ、いいのかい!」


 男性はあからさまに喜んだ。


「その代わりに俺も講義を受けに行ってもいいですか。民俗学に興味があるんで」

「もちろん! 講義は無料だしね。申し込みもここで受けとくよ。キミの名前は?」

「沖蔵透里です」

「沖蔵クン、か。僕は月森晃(つきもりあきら)っていうんだ。よろしくね」

「こちらこそ」


 講義の日時を伝えた月森は再度よろしくと握手をすると、透里が通ってきた道を進んでいった。

 月森を見送ってから透里も再び進みだした。

 湖を泳ぐ魚や空を飛ぶ鳥を目で追いかけ、都会とは違った田舎特有の澄み渡った空気を吸い込む。頬を撫でる風の心地よさに思わず笑みが浮かぶ。

 陰鬱とした気分が吹き飛んでいく。依実菜に誘われず故郷を訪れなかったら向こうの家でずっと落ち込んでいただろう。

 

「いいな。ここ、凄くいいなあ」 


 来てよかったと透里は心の底から思った。


 あちこちを見渡しながら歩いていたらいつの間にか家から離れたところまで来ていた。

 帰りは行きと別の道をゆっくりと歩き景色を堪能しながら祖父の家まで辿り着く。


「あら、お帰りなさい。もうすぐ料理が出来あがるので待っていてください」


 ドアを開けた音に気づいた依実菜が玄関までやってくる。出かけている間に着替えたらしく、動きやすそうな部屋着とエプロンを身につけていた。

 手を洗ってから依実菜の手伝いをする。

 座卓に所狭しと並べられた料理の数々に透里は目を見張った。


「依実菜は色んな料理を作れるんだな。どこで覚えたんだ?」

「大抵は料理本を見て覚えました。あとはテレビで見たり、近所の方から教えてもらうこともありました」

「すごいな、どれも美味しそうだ」

「少し作り過ぎたかもしれませんが食べきれない場合は明日に回しますね。さあ、それではいただきましょうか」

「んじゃあ、いただきます」


 口に運ばれていく料理を依実菜はジッと見つめている。

 感想を待っているのか料理に手をつける様子のない彼女に透里は口を開く。


「うん、おいしい。ちゃんとおいしいから依実菜も見てないで食べなよ」

「はい。いただきます」


 食事中、透里は依実菜に様々な質問をされた。食べ物の好き嫌いから始まり、学校生活や趣味について。休日はどんなことをして過ごしているかなど、まさしく根掘り葉掘りという言葉がふさわしいほどであった。

 最初は無言の空間に耐え切れないから会話をしているのだと思っていたが、途中から彼女は純粋に自分のことが知りたいのだと透里は気づいた。

 十年以上空いた空白を埋めようとするかの如く質問してくる依実菜に透里は律儀に答えた。時折透里からも気になったことを質問していく。

 その中で透里が一番驚いたことは依実菜が自身より二つも年下であることだった。透里は現在高校二年生なので依実菜は中学三年生で受験生ということになる。小柄な体格だが言葉使いや所作から良家のお嬢様のような品の良さが感じられるため、透里は教えられるまで依実菜のことを年上であると勘違いしていた。

 なにはともあれ食事を終える頃には幾分打ち解けることができていた。


 玄関のチャイムが鳴ったのは食器を洗い終えたときだった。


「こんばんわ。遅くなってすまない」


 四角い黒縁の眼鏡をかけた四十代半ばの男性が玄関に立っていた。依実菜に挨拶をした男性は透里へと視線を移すと温和に笑いかけた。


「君が透里くんか。なるほど、面影が残っているね。こうして会うのは十二年ぶりかな」


 記憶の引き出しをあけたが男性のことを思い出すことはできなかった。


「すみません。俺ここでのことをほとんど覚えてなくて。住吉さん、ですよね? 依実菜から聞きました。爺ちゃんの葬儀を取り仕切ってくれたって」

「御影さんにはお世話になったことがあるからね。当然のことをしたまでさ」 

「それでも感謝しています。ありがとうございます」

「昔はやんちゃだったのに礼儀正しい青年に育ったようだね」 


 居間に通された住吉が懐かしそうにいう。

 透里は住吉が苗字だと思っていたがそれは誤りで、男性は沖蔵住吉といい透里の遠い親戚らしかった。

 透里は覚えてなかったが住吉は透里の両親とも親交があり、二人の死について話すと気落ちした様子を見せた。

 

「そうか、依実菜ちゃんから聞いてはいたけど、里紗さんたちは亡くなってしまったのか……透里くんも辛かっただろう」

「そうですね。それに爺ちゃんも死んでしまいましたし。けどまたここに来れて良かったです。気分転換になりますから」

「どのくらい滞在する予定なのかな?」

「とりあえず一週間くらいはいようと思ってます。その後のことはまだ……」

「だったら一週間後に地区の祭があるから行ってみたらどうだい? 規模は小さいけど屋台は出るし、|神楽(かぐら)もあるんだ」

「祭……」


 ああ、と透里は呟く。それならば両親と一緒に行った覚えがあった。 


「懐かしいですね。せっかくなんで行ってみます」

「おおそうか! いやあよかった。ニエカワの子が来てくれて」

「はい?」

「はは、なんでもないよ」


 祭に参加するのがそんなに嬉しいことなのかと透里は不思議に思ったが、それ以上深く考えることはしなかった。


「困ったことがあったら何でもいってほしい。なに、気にすることはないよ。客人は丁重にもてなさないといけないからね」


 帰ろうとした住吉からかけられた言葉に透里はお礼をいい、住吉を見送る。


「こっちの夜は思ってたよりも涼しいな」

「窓を開けておくだけで快適に寝られますよ。透里様の家では空調が効いてないと寝られなかったですものね」

「まあ、向こうはね。盆地だし」

「ワタクシ、エアコンの恩恵を受けたのは初めてでした」

「マジで!?」


 会話しながら家に入ろうとしてそういえば、と透里は思う。


(住吉さんがいる間、依実菜は全然喋ってなかったよな)



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