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ホンモノが残る町  作者: 春哉那多
第一章.巳裂さま
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青天の霹靂

 沖蔵透里が一七年間生きてきた中で青天の霹靂といえる大事件は二度起きている。

 一度目は透里がまだ五歳か六歳の頃。

 当時暮らしていたのは田舎と呼んで何ら差し支えない地域だった。家のすぐ裏には山が、窓からは湖が見渡せる長閑(のどか)なところだった。田舎ゆえに子どもの数は少なかったが、その代わりどこで何をして遊ぶのも一緒で実の兄弟のように仲が良かった。

 居心地のよかった田舎をどうして離れなければならなくなったのか透里は覚えていない。ただ普段は優しかった祖父が見たことのない厳しい表情をしていたのと、誰かと何か約束を交わしたような気がするという曖昧なものだけだった。

 覚えていないのは友達に別れを告げることもなく、逃げるように引っ越した罪悪感から積極的に忘れようとしたからだ。

 なんにせよ、引っ越して以来、自らの性格が変わったことを透里は自覚していた。

 なるべく親しい人間を作らず、家族以外とは一定の距離を取ることにした。別離する相手がいなければそもそも悲しむ必要はない。別離の悲しみを味わいたくないがために、一人でいるという孤独を透里は選んだのだった。

 どこか矛盾しているようだがそれで平穏な日々を送ることができていた。


 だがそんな日々はあっさりと壊れてしまう。


 二度目の大事件が起こったのだ。


「この度は誠にご愁傷様でございます」


 両親が交通事故に巻き込まれたと知らせを受けたのは、夏休み前の期末テストを受けている最中のことだった。

 二人が乗っている車が衝突事故に巻き込まれたのだと。病院の運ばれたが非常に危険な状態なのだと。

 報告を受けて慌てて病院へ駆けつけた透里を迎えたのは、既に冷たくなった両親の姿だった。


 両親の葬儀は父親が勤めていた会社の人間の手を借りて行われた。葬儀の最中まったく泣かない透里を見て気丈な子だとも、冷たい子だとも囁かれたが、そのどれにも反応することはなかった。

 全てを終えてから家路に着き、今晩の夕飯はなんだろうと母親に尋ねようとして――動きを止める。

 誰もいない家の中で透里はようやく両親が死んだのだと実感したのだった。




……ポーン……ピンポーン……


 僅かに聞こえてくる玄関チャイムの音で透里は目を覚ました。

 目覚まし時計に目をやると時刻は4時50分。陽射しの具合から午前ではなく午後だと判断した。


「うるっさいな……」


 寝起きのためか少しだけかすれた声で透里は呻く。

 布団も敷かず床に直接寝ていたためにあちこち体が強張っていた。手足を伸ばすとパキパキと骨が鳴る音ともにジワリと血行がよくなったのを感じる。


「そういえば朝も鳴ってたっけ」


 たしか8時頃。

 今と同じようにチャイムが何回も鳴り安眠を妨害されていた。

 誰かが訪ねてくる予定はなかったのでセールスの類だろうと、そのときは居留守を決め込んでいた。だが再び鳴らされるのであれば大事な用事でもあるのではないのかという考えが浮かぶ。訪れる人間がいるとしたら父親が勤めていた会社の人間だろう。葬儀中、透里のこれからをどうするか話していたときに、引き取ってもいいという奇特な人がいたのだ。


(でも当分は誰とも会いたくない)


 再度居留守を使い、どうか帰ってくれるようにと祈る。

 しばらくすると相手が諦めたのかチャイムが鳴り止み静寂が訪れた。


(これからどうするかな)


 睡眠はたっぷりと取れたのでひとまず空腹を満たすところからだろうか。

 まだカップ麺に買い置きがあったはずだと自室からキッチンへと向かう。フタを開けて沸かしたお湯を注いで三分間待つ。ズルズルと麺を啜りながら、このあとはどうしようかとぼんやりと思考する。

 近頃は寝て起きて食事を摂ってまた寝て起きて、たまにシャワーを浴びてという誰がどう見ても駄目人間の見本だと感想を抱くような生活を送っていた。


(母さんが見たら滅茶苦茶怒るだろうな。父さんには思いっきり(はた)かれるかもしれない)


 そう考えてから、いやそうじゃないと首を振る。


(違う、そうじゃない。先のことについてだ)


 二日三日先のことではない。まだ先のことだが進路について。

 高校を卒業したら大学に進学するか、それとも就職するか。透里は進学を希望していたが両親の死によってそれは困難なものへとなりかけていた。金銭的な問題だった。

 父親の知り合いが引き取ってくれるとはいっていたが、透里にとって面識のない人の世話になるということは精神的に負担があった。とはいえ一人で生活するとなると負担がかかることもわかっていた。精神的にも肉体的にも。


(こんなとき、爺ちゃんに連絡できたら……)


 幼い頃に住んでいた祖父の家。両親以外の唯一の身内。だが父親も母親は連絡先も場所も教えてくれなかったので、連絡の取りようがなかった。


「あー、考えても仕方ないな」


 声にすることで区切りをつける。ひとまず結論を出すのを先延ばしにして、気分を変えるためにシャワーを浴びようとリビングを出る。

 着替えとバスタオルを用意した透里は廊下を歩きながら何気なく玄関へと目を向ける。

 すると、そこには見知らぬ少女がいた。

 水色のワンピースという涼しげな格好。黒髪のおかっぱに目鼻立ちの整った顔は日本人形を連想させた。年頃は透里と同じくらいであったが、周囲との交流に乏しい透里には目の前の少女が誰なのかまったく見当がつかなかった。

 少女は透里に向かって(たお)やかに微笑んだ。


「こんにちは、お邪魔しています」

「こんにちは……?」


 少女は手さげのバッグを傍らに置くと靴を脱ぎ透里へと歩み寄ってきた。


「お久しぶりですね透里様。随分とやつれているようですが食事はしっかりと摂っているのですか?」


 少女は喋りながら透里の頬に触れる。


「え、いや……」


 見知らぬ少女の久しぶりという言葉と挙動に透里は混乱する。。


「鍵、開いたままでしたよ。無用心です」

「す、すいません」


 若干の咎めるような口調に透里は反射的に誤ってしまう。


「いえ、こちらこそ勝手に入ってしまい申し訳ありませんでした。どうしても気になってしまって」

「それはいいんですけど、うちには何か用があって来たんですよね?」 

「そうでした――――この度の(とおる)様と里紗(りさ)様の不幸。心からお悔やみ申し上げます」

「あの、なんで知ってるんですか? というかあなたは誰なんですか?」

「沖蔵御影。この名前について覚えておいでですか?」


 透里の質問に少女は質問で返す。


「それって、爺ちゃんの名前……」


 沖蔵御影というのは、今し方連絡を取れないかと考えていた祖父の名前だった。覚えていると答えると少女は嬉しそうに笑い、それから悲しげに視線を下げた。

 嫌な予感がした透里は聞かずにはいられなかった。


「まさか爺ちゃんに何かあったんですか?」


 少女はどこか躊躇った様子だったが透里の目を見て覚悟を決めた。


「……御影様はふた月前に亡くなられました。葬儀も済んでいます」

「そう、でしたか」


 両親に続いて祖父まで死んだ。これで透里が知っている親族は全ていなくなったことになる。本当に天涯孤独になってしまったとしばし惚けていたが、少女を立たせたままだったと慌てる。


「っと、わざわざ伝えに来てくれてありがとうございます。えーっとどうしよう、取り敢えず上がってきます?」

「はい、それとご迷惑でなければお線香もあげさせていただきませんか?」

「あっ、ありがとうございます」


 線香をあげている間に透里は飲み物を用意する。少女がリビングにやってくると飲み物が注がれたグラスを渡した。


「お気遣いありがとうございます透里様」

「いや、こちらこそ、えっと……」


 名前を呼ぼうにもまだ聞いてすらいなかったと透里は気づく。それを察したのか少女はグラスを置いて佇まいを正した。


「申し訳ありません。名乗るのが遅れました。ワタクシは七篠依実菜(ななしのいみな)と申します」


 聞き覚えのない名前だった。


「七篠さん、ですか。あの……爺ちゃんとはどういった関係で?」

「御影様は身寄りのないワタクシを家に住まわせてくださって、そのお礼として身の回りのお世話をしていました」


 記憶に残る優しい祖父ならあり得る話だと透里は納得する。


「そうでしたか。重ね重ねありがとうございます」 

「お礼をいわれるほどのことではありません。それで御影様が亡くなったことを透里様たちへお伝えしようと探していたところ、透様と里紗様のことをテレビで知りここまで来たのです」

「なるほど。それとまだ気になることがあるんですけど」

「何でしょうか?」

「最初にあったときに“お久しぶり”っていってましたけど、俺たちってどこかで会ったことありましたっけ? それにどうして様付けを?」

「やはり忘れてしまっているのですね。といっても随分昔のことなので仕方の無いことなのでしょうが」

「え?」

「そうですね。色々と説明することもありますし――」


 視線を宙に彷徨わせ何か考える仕草をした依実菜は、良い案が浮かんだとばかりに手をパチリと合わせて顔を綻ばせた。


「――とりあえず、一度御影様の家に帰ってみませんか? 皆様も喜ばれるはずです」

「皆様?」


 その後、依実菜といくつかの話をした透里は彼女の案に賛成して翌日に出発することになった。

 まだ宿をとっていなかったということなので、一泊くらいならウチに泊まったらどうかと透里が提案すると、依実菜は恐縮しながらも泊まることにした。


「じゃあ客間を掃除しないと。そのあとは、明日の準備か」

「ワタクシもお手伝いしますよ」 


 慌てて動き出した透里を依実菜は追いかけた。


 笑いながら。


 笑いながら。


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