表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神を思ってはならない  作者: 宮野香卵
第六章 そして彼は真実を知る
41/50

 腕に、鋭い痛みが走る。

 注射針を刺されても、ろくに抵抗できなかった。ベッドにぐったりと横たわったまま、ただ呼吸を繰り返す。

 それは、ナシュヴィルも同じようだった。寧ろ、彼の方が症状は酷い。

 誰も掃除しない部屋は、どんどん埃っぽくなっていく。

 一つだけある窓は外から板を打ち付けられてしまい、そもそも開けられない。

 室内は常に薄暗かった。たった一つ放り込まれたランプが、ぼんやりとした白い光を放っている。

 本当にここは、毎日過ごしていた廃屋なのだろうか。

 薄暗く埃っぽく、三人分の吐息が籠もって湿っぽい。

 まるで、ここは牢獄だ。

「……アル」

 ローシャに呼びかけられて、アルバートは何とか身動ぎした。じゃら、と耳障りな金属音が響いた。

 ベッドに転がったまま、口の中がどろどろに溶けてしまいそうな熱い息を吐き出す。

 返事をしたつもりの口からは、荒い吐息が零れた。

 ローシャが今にも泣き出しそうな顔をしている。ベッドの横に椅子が置いてあって、彼女はその上で膝を抱えていた。

 唯一の抵抗手段である指輪すら奪われて、ローシャは項垂れていた。時折、思い出したように身震いする。

 一度アルバートが注射されるのを阻止しようとして、レオに殴られた。それがずっと尾を引いているらしい。

 ふと思いついたように、ローシャはアルバートの首に触れた。正確には、そこにはめられた金属の首輪に。

 首輪とベッドの柵は、無骨な鎖で結ばれている。こんなものがなくても、どうせ逃げ出す力など残っていないのに。

 ちなみに、ナシュヴィルの首に輪はない。

 彼は胸を押さえて、ベッドで仰向けになっている。呼吸は浅い。胸部がゆっくりと上下している。目を凝らさなければわからないほど、緩慢に。

 じわじわこみ上げてくる危機感に、吐き気を覚える。

 ナシュヴィルは──このまま、死んでしまうのではないか。

「ろー、しゃ」

「……ね、なんで? なんで、アルもしーちゃんも、いじめられるの? なんで、わたしたち、だしてもらえないの?」

 ローシャが唇を噛み締めて、俯く。

「セシリアも、ふーちゃんも、きてくれるよね。だし、て、くれる、よね?」

 縋るように見つめられて、アルバートは目を瞬かせた。

 腹部の痛みのせいで、熱っぽい。両目にはずっと涙が溜まっていて、瞬きする度に目尻を滑り落ちる。

 今この廃屋には、クラークと呼ばれた青年とレオ以外にも何人か入り込んでいる。白衣を纏った男が数人。

 血を抜かれたり、妙な機械に繋がれたり。同じようなことを毎日繰り返される。

 カムリはいつの間にか、消えていた。どこかへ連れて行かれたのかもしれない。

 食事は与えられず、点滴で最低限の栄養が補給されている。ローシャは、小さなパンや薄いスープを貰っている。

 それをまずアルバートとナシュヴィルに差し出し、やがて諦めたように自分でかじる。

 ぐすぐすと、ローシャが鼻を啜った。

「ねえ、アル。やっぱり、いたい? くる、しい?」

「い、たい」

「いたいの。いたいの、いやだ。……しーちゃん、ぜんぜんね。わたしの話、きいてくれないの。いたいから、かな?」

「そ、う、だな」

 慰めるために、頷いた。強張っていたローシャの表情が、ほんの僅かに緩む。

 彼女は床に足を下ろすと、今度はナシュヴィルの側に向かった。

 彼は完全に意識を失っているようで、全く反応を示さない。額に汗を浮かべて、眉を顰めている。時々、微かに呻いている。

 ナシュヴィルはベノムに襲われても、どれだけ絞め上げられても、平気そうな顔をしていたのに。仲間のはずの人間に突然切りかかられても、罵倒されても。

「やっほー」

 不意に、ノックもなしにドアが開いた。ローシャがびくりと震えた。

 レオが遠慮の欠片もなく入り込んでくる。

 見るからに怯えて、ローシャが身を縮こまらせた。

 レオはそんな彼女を愉快そうに一瞥して、すぐに視線をアルバートに移した。

 ローシャが駆け寄ってきて、間に入ろうとする。しかし、直前で身が竦んでしまったようだ。おどおどと視線を彷徨わせている。

「あるばーと、元気?」

 そんなわけがない。

 アルバートはそう思ったが、反論する余力がなかった。精々不満げに聞こえるように、息を吐く。

「そっか、元気なわけないよね。僕はやったことないからわかんないけど、クラークはそれ、一回使われたんだって。すっごく苦しかったって、言ってた」

 一瞬だけ顔を曇らせたが、レオはすぐにまた笑う。

 いつも通りの、無邪気な笑み。しかし、頬の辺りが僅かに引き攣っているような。

 彼は何度か口を開閉して、ベッドの端に座った。

「ねえ。……ちょっと、って、どれくらいかな」

「ちょっと?」

 ローシャが首を傾げる。一瞬怯えていたことも忘れたように、真剣に考え込んでいる。

「わかんない」

「でもさ。ちょっとって、少ないってこと、だよね」

「わかんないよ。でも、たぶんそう」

 レオの顔が強張った。ぴしりを音を立てて凍り付き、笑みが萎れる。

 アルバートは、内心首を傾げた。

 レオがこんなに落ち込んでいたことなど、あっただろうか。良くも悪くも悪気がなく、自分の欲を追求するのが彼の特徴だ。

 ローシャも、異変を感じ取ったらしい。

「なんか、へん」

「……そんなわけ、ないじゃん。僕、普通だよ」

 苦笑いして、レオは俯く。

 シャツの裾を掴んで、ベッドを叩いた。何度も、何度も。薄暗い室内に、軽い音が響く。

 アルバートはふと身動ぎした。体がべたべたする。気持ち悪い。

 一体彼らがやってきてから、どれくらい時間が経ったのだろう。ずっと痛みで微睡み、日の光も浴びていない。時間の感覚はとっくになかった。

 ローシャは時々シャワーに連れて行ってもらっているようだから、それだけがまだ救いだろう。後は、彼女のベッドがあればいいのだが。

 二つの寝台はアルバートとナシュヴィルが使っているので、ローシャは床で寝ている。床に毛布を重ねて、その上で体を丸める。

 寝心地は当然良くないだろう。実際、いつもぐずっている。

「れ、お」

 何とか呼びかけると、彼はびくりと肩を跳ねさせた。

 弾かれたように顔を上げ、また項垂れる。視線を合わせようとしない。まるで、親に叱られるのを待つ子供のようだ。

「ろーしゃ、が、ねやすい、よう、に、して」

「……え?」

「もうふ、でも、なんで、も、いい、から」

 レオは束の間、拍子抜けしたような表情を浮かべた。ぽかんと口を開け放ち、アルバートを見つめる。

 じりじりと、ランプの方から嫌な音が聞こえた。

 もうずっと付けっぱなしであることを抗議するかのような。

 レオが不意に、笑った。笑い声自体は快活だったが、顔は今にも泣き出しそうだった。

「それより、あるばーとと一号がシャワー使う方が先だよ。この部屋、すっごい臭いもん。ミスラに、頼んできてあげる」

 勢い良く立ち上がって、レオは弾むように部屋を出ていく。ばたん、と大きな音を立ててドアが閉まった。

 しかし、アルバートは元よりローシャですら驚かない。

「へんなの」

 ローシャが、ぽつりと呟く。

 全くだ、とアルバートは思った。



 部屋を出たレオは、真っ先にミスラの元へ向かった。

 ここは、元々孤児院だったらしい。部屋はたくさんあって、レオは初めて自分の部屋を貰った。

 例の地下施設に、彼の部屋はない。レオの部屋ではなく、あくまでミスラの部屋に間借りしている状態だった。

 彼女とずっと一緒にいられることは、嬉しい。

 しかし自分以外の子供たちは、個別に部屋を持っていた。いくらレオでも、そうなると不満を抱かざるを得ない。

 そんな中で部屋を一つ貰えたのだ。実は、躍り上がるほど嬉しかった。

 けれど、部屋は本当に一時のものだ。

 すぐに出て行かなければならないから、家具も置けない。誰かを部屋に呼んで、一緒に遊ぶこともできない。

「ちょっとだって、言ったのに」

 レオは、憮然とした面持ちのまま呟いた。

 無人の廊下に、拗ねた声が空しく響く。

 そういえば、クラークの姿を暫く見ていない。

 レオは落ち着きなく視線を巡らせながら、歩き続ける。

 彼は地下より、この地上にある大きな建物の方が好きだった。古いし黴臭いし、決して綺麗ではないが。

 それでも、ここは暖かい。日の光を浴びるのは心地がいいし、外に出てぼんやり空を眺めるのも全く飽きない。

 ふと、憂鬱になる。

 ここには、ずっといられるわけではない。

 密かに外に出て、小さな骨や綺麗な石を拾ってきて並べているあの部屋も、いずれ出なければならない。

 不意に、怒鳴り声が聞こえた。罵声だ。口汚く何かを罵っている。けれど、何を言っているのかは判別できない。

 レオは思わず立ち止まった。顔をしかめる。

 客間、というらしい。あの男が根城にしているのは。

 いつの間にか、すぐ隣に少年が立っていた。

「あいつ、また怒ってんの」

「……クラークかな」

「どうせそうだろ。俺とかお前だと抵抗するからって、あいつクラークしか怒鳴れないんだよ。俺、あんな奴がバディじゃなくてほんと良かった」

 げ、と舌を出して嫌悪を露わにしているのは、リオだ。

 ばさばさの髪の毛は焦げ茶色で、目は緑色。

 似ている、とよく言われる。レオは認めたくなかったが、名前まで似ているのだからどうしようもない。

 乾燥しきった髪の毛は、焦げ茶と亜麻色。似ている。

 目の色だけが、緑と桃色でかなり異なるのだが。

 ピンクは、女の色だ。女々しい色だと、今まさに怒鳴っているあの男に笑われたこともある。

 リオと違って良かったと思うこともあるけれど、やっぱりピンクの目なんて嫌だ。嫌いだ。

「なあ、あいつさ、今度ぶっ殺してやんない? いい加減ムカつくんだよね。なんか、俺らを下に見てる感じするじゃん。あいつ、別に何もしてないのにさ」

 口を尖らせて、リオが床を蹴る。

 ヒステリックな怒鳴り声は相変わらず響いていて、胸がもやもやした。レオは眉根を寄せて、胸を掻く。

「ねえ。あるばーとたちにあれ、使うのって」

「あれって、あれ?」

「うん。苦しい奴」

「俺も試したことないしなー。まあ、クラークは嘘言わないだろうけど」

 肩を竦め、リオが無言で先を促す。

「ちょっと、って言ってたよね? ちょっとって、少しって意味だと思ってたんだけど、僕」

「そういえば、最初言ってたより長いかもな。俺、すぐ帰れると思ってた。けど、何だかんだもう一週間は経ってるだろ」

 怒鳴り声が、不意に止んだ。二人は反射的に耳をそばだてる。

 客間は、一番豪華な部屋だ。家具も他の部屋より揃っていて、寝台はクラークが運び込んでいた。

 レオは一度ちらりと中を見ただけだったが、ベッドより寝心地の良さそうなソファが二つもあった。テーブルも置いてあった気がする。

 ご飯を食べるには、あまり良くなさそうな低いテーブルだった。

 リオは深々と息を吐いて、レオの腕を引っ張る。

「とばっちりも嫌だし、話すなら俺のとこに行こう」

 意味なく怒鳴られるのは、苛々する。

 レオは頷いて、自分より少し背の高い少年について行くことにした。

 埃っぽい空気を吸い込んだせいか、くしゃみが出る。

 本当に、ちょっとだったはずなのに。

 レオは先ほどとは違った胸のむかつきに、小さく呻いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ