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神を思ってはならない  作者: 宮野香卵
第五章 選ばれた子供
35/50

 青年は、強くなりたいと思っていた。

 強くなければ意味がない。戦えなければ意味がない。

 そもそも商隊に入ったのは、両親の差し金だ。

 本当は、絵を描くのが好きだった。それで生計を立てようとは思わなかったけれど、少なくとも将来は荒事とは無縁の仕事をしたいと思っていた。

 というより、荒事など到底無理だ。少女たちより細い腕は、常に嘲笑の的だった。

 両親が、嫌がらせでこんなことをしたのではないのはわかっている。良かれと思って道を開いてくれた。

 ただ、その道は彼にとって一番歩みたくない道だった。

 戦うどころか、喧嘩も苦手だ。喧嘩を売られたら、大抵ろくな抵抗もできず殴られた。その度に泣いて、助けてくれたのはいつも幼なじみだった。

 強気で、命令ばかりしてきて、それでも優しい。

 見た目は可愛いのに、とにかく残念だと彼女は言われていた。残念とは、どういう意味だったのだろう。

 あんなに優しかったのに。未だに、よくわからない。

 ただその彼女も、商隊に入ってからは連絡を取っていなかった。

 今どこで何をしているのか。まだ、あの村にいるのだろうか。

 青年が住んでいたのは、サンダーソニアという商業都市の程近くにある村だ。

 物流が集中し、商隊の本部も大量に存在する町。その近くにある村は、そこそこに潤っていたと思う。

 いつか、村に帰りたい。

 両親には言わなかったが、彼はいつもそう思っていた。

 彼女の両親は雑貨屋を営んでいたから、きっと村に残っているのではないか。

 オリジン・オルゴールの本部はミルニールにあったから、サンダーソニアには簡単に帰れない。

 でも、いつか。

 できれば、いじめっ子くらい簡単に跳ね返せるくらいに強くなって。



 胸当ては結局調達できないまま、四人は宿に戻った。

 今度の宿は、前回より上等だ。さすが最大規模の商隊を謳うだけある。

 というか、一つ宿を貸し切っているのだ。

 分隊には二十人所属していて、部屋は十。当然の如く、階級の高い人間は一人部屋になる。

 ローシャのことは、おそらく既に知らされていたのだろう。隊長であるラスプは、アルバートとローシャを同室にした。

 他の隊員たちは明らかに引いていたのだが、一切構う素振りを見せなかった。カムリが一人苦笑いをしていて、アルバートは余計に恥ずかしくなった。

 ラスプは、若い。どれだけ多く見積もっても、二十代後半といったところだ。明らかに彼より年上の人間が、分隊の中にも幾人か存在する。

 それでも、第三分隊は他と比べると結束が固い。

 隊長であるラスプが信頼されている証だ。

 吊り上がった碧眼のせいできつい印象を覚えるが、剣を振り回せばそれがやたらに似合うのだ。体格がいいわけではないのに、頼りになりそうな気がする。

「アル。ごはん、おいしかったね」

 部屋に入ってからベッドに倒れ込んだアルバートと違って、ローシャは上機嫌だ。ベッドに座って足をばたつかせている。

 その度に、微かに埃が舞った。

 宿を貸し切るのには、相当な資金が必要なのだろう。

 部屋はきちんと壁で区切られているものの、決して広くない。というより、狭い。

 室内はベッド二つでいっぱいだ。

 人によっては、これを部屋とは認めないかもしれない。

 明かりは小さなランプ一つきりで、最大までつまみを捻っても薄暗かった。色濃い影が、部屋中に満ちている。

 口の中には、ついさっき食べたオニオンスープの味が残っていた。

「また、セシリアにゼリーかっていこうよ。しーちゃんにもっていってもらえば、いいよね?」

「そう、だな。お金も少しは持ってるから、それで買おうか」

「かうーかうー」

 やはり、機嫌がいい。基本的に、彼女が不機嫌なことはあまりないのだが。

 アルバートは、息を吐き出した。

 薄っぺらい闇に、濁った色をした吐息が漏れる。

「ナシュヴィル、大丈夫かな」

「しーちゃん?」

 ローシャが首を傾げる。

 部屋は最大でも二人部屋で、いくらナシュヴィルが床で寝るとはいってもそんなスペースはない。

 ラスプは、これもまた当然のようにナシュヴィルを別の部屋にした。同室なのは、確か戦闘中彼に何かと注意を促していた男だ。

 この分隊は、他の隊とは違う。

 少しの間過ごしただけで、それは理解できる。

 なのに、不安が消えない。ナシュヴィルなら、何をされても気にすら留めないだろう。

 罵声を浴びせられても、攻撃されても。

 しかし、何より先に疑問が浮かぶ。

 この隊の人間は、何故こんなにもナシュヴィルを受け入れているのだろうか。

「わたし、みんなだいすきだよ。しーちゃんのこと、おこったりしないから」

「……そうだな。前は、酷かったし」

「うん。あのひとたちは、きらい。しーちゃんなにも、わるいことしてないのに。すぐおこるんだもん」

 第七分隊との任務で、初めてベノムに出会った。

 三人はその後も、いくつかの任務に参加している。

 だが、そのどれもが判を押したように同じ反応をする。ナシュヴィルだけを露骨に無視し、罵声を浴びせ、時には当たり前のように攻撃してきた。

 ナシュヴィルはその全てを流してきたが、それでも見ている方はたまったものではない。

 他人が悪意をぶつけられる瞬間を見ると、心ががりがり削られる。胃の辺りが緩慢に焼けていくような、おぞましい感覚。

 外に出られるのは、嬉しい。が、理想郷から出る度に、身近な人間が虐げられる光景を見なければならない。

 ミルニールの下層は、確かに上層と比べれば底辺なのだろう。しかし、人は他人に対してとにかく無関心を貫く。誰も、他人に悪意をぶつけている余裕などない。

 壁の外へ出る。外では、人が毒を吐いている。

 虐げる側と、虐げられる側。

 ──ミルニールは、本当に理想郷ではないのだろうか。

「……アル?」

 不安げな声が、耳に滑り込む。喉が引き攣った。

 顔を上げる。ローシャの目が揺れていた。

 空色の瞳が、水面のようにたゆたっている。

「な、に?」

「いま、こわいかお、してた」

 ふらふら近寄ってきて、ローシャはすぐ隣に腰を下ろした。項垂れて、がくりと肩を落とす。

「アルも、おこってる? でも、なんかなきそうなの。わかんない。いっぱい、まざってて。ねえ、アルは、かなしいの?」

 ローシャが、くしゃりと顔を歪めて抱きついてくる。

 いつの間にか、体が冷えていた。ローシャはいつも体温が高い。じっとくっつかれていると、その温度がゆっくりと移ってくる。

 季節は確実に冬に向かっていて、町や村の周辺に群生する花々は枯れ始めていた。

 見渡す限りの草原も、どんどん色褪せていく。

 景色が色を失う様は、わけもなく心をざわめかせた。

「怒ってないよ」

 アルバートは、苦笑いする。

 少しでも、理想郷を肯定しようとした自分が嫌だった。狂っているとしか思えない。

 あんな、人間を燃料源としか考えていないところを認めてはならない。

 頭を振る。浮かんだ考えを、何とか払い落とす。

 ローシャはまだ、親を見失った子供のような顔をしていた。

「本当に、怒ってないから」

「ほんと? じゃあ、かなしいの?」

「どう、だろう。別に、泣きたいわけじゃないんだけど」

 わからない。自分のことのはずなのに。

「なんか、どこも変わらないんだな、と思って。ミルニールばっかり悪いと思ってたけど……ナシュヴィルを貶すのは、その外で暮らしてきた人間だろ。

 壁の中に住んでるメンフィスは、何も言わないし。セシリアは……どこにいるのか知らないけど。でも、あいつもあそこにいると思うんだ。何となく」

 ぽつぽつと、胸の内に溜まった言葉を吐き出す。

 ローシャはじっと、しがみついたまま呼吸を繰り返していた。表情は見えない。それが、少しだけ怖い。

「外にいる方が、本当はずっと怖いんじゃないかと思って、さ。外に出られれば、記憶がなくなる心配がなければ、何か変わると思ったのに。

 きっと、本当は何も変わらないんだな。変わるなんて……そんなこと、ないんだ」

 口に出せば、事実がすとんと心中に落ちる。

 そう、何も変わらない。例えどんな強固な壁が立っていても、結局この世界は地続きなのだ。

 壁の中身だけが、腐敗しているわけではない。

 内側も外側も、きっと腐っている。それがほんの少し早いか遅いか、違いはたったそれだけ。

 がっかりしたような、納得したような。

「アル、は」

 ふと、ローシャが呟いた。

 静寂に、薄い波紋が広がる。

「わたし、と、あわないほうが、よかった?」

 胸の辺りが締め付けられるような声音だった。

 息が詰まる。思わず、アルバートは考え込んだ。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 ローシャや、ナシュヴィルと出会っていなかったら。

 それはつまり、記憶を奪われることを受け入れたということだ。そもそもあの夜、水を飲みたくならなければ、今頃自分はここにいなかった。

 真実を知らなければ。おそらく、理想郷のどこかで都合のいい人間に矯正されていたのだろう。

 両親のように。自分の身の回りにいた、大人たちのように。

 記憶を全て奪われて、型にはめ込まれていく。

 皆、始めは抵抗するのかもしれない。記憶を奪われる瞬間に全てを悟り、絶望する。ほんの僅かな抵抗も、結局は押し潰されて掻き消される。

 そして、全ては壁の内側に葬られるのだ。

 秘密や機密が山となって、理想郷の中心部に積み上げられている。

 上層に入ることができれば。もしかしたら、疑問は全て解けるのかもしれない。

 ローシャの両腕に、力が籠もった。

 小刻みに震えている。ローシャも、怖いのだろうか。

 唾を飲み込む。唇が乾いていた。

「正直、ちょっと……後悔してるかも、しれない」

 がさがさに乾燥した唇なんて、中層にいた頃は縁がなかった。

 理想郷の真ん中は、燃料を培養するための施設に過ぎない。だから、子供たちは何一つ不自由しないように作られている。

 山も谷もなく。何事もそれなりに、楽しく。

 下層は、楽しくない。外も楽しくない。

 勿論、心が躍る瞬間がないわけではないけれど。

「みんなが悪い、わけじゃないんだ。でも……俺、は」

 悪いわけではない。けれど、あの場でナシュヴィルとローシャに出会ったことは──果たして、正しい道だったのか。

 選択を誤っていたのではないか。あそこで選ぶ道が違ったなら。

「あ!」

 不意に、ローシャが鋭く叫んだ。

 心臓が喧しい音を立てて跳ねた。細い指先が、窓の外を指し示す。

 どくどく跳ねる胸を押さえつつ、アルバートも視線を移した。

「……あ」

 声が、漏れる。若干濁った硝子越しに、影が過ぎった。

 見えたのは、ほんの一瞬。

 ぼさぼさの茶髪。髪の毛というより、獣の体毛のよう。

 レオだった。

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