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腹に力を込める。
右足で、突っ込んできたベノムを薙ぎ払う。
千切れ飛んだ赤い破片と事切れた残骸を、アルバートは咄嗟にしゃがんで避けた。
何故、こんなことになっているのだろうか。
アルバートはさらに、飛びかかってきたベノムをかわす。蛇の動きは、とにかく覚束ない。
ふらふらと無秩序に動き回っていたかと思えば、急に方向転換して襲いかかってくる。
とにかく、規則性がない。
目の前でうようよしている、赤い蛇の群。
周りでは、同じように商隊の制服を纏った男たちが戦っている。指示を飛ばす声、敵に打ちかかる瞬間に上げる鬨の声。
ぐらぐらと、頭が揺れる。
蛇が千切れ飛ぶ。人が吹き飛ぶ。
アルバートは、機械的に足を振るう。石の力は足にしか働かない。
チランジアでメンフィスに助けられてから、一応武器は貰っていた。小さなナイフだ。
始めは剣だったのだが、何度練習しても様にすらならなかった。どうしても足に集中して、手の方がおろそかになってしまう。
気付けば使うのは足だけで、右手はただ柄を握っているだけ。組み手の際にそんな状態が何度も続いて、やがてメンフィスは諦めたように息を吐いた。
相手をしていたナシュヴィルは、急に中断させられた意味がわからないようで一人首を捻っていた。
そうして、渡されたのがナイフだったのだ。
刃渡りは、十五センチほど。剣ほどの存在感はない。
そのせいだろうか。剣を持っているときは、上手く使わなければ、というプレッシャーが尋常ではなかった。
しかし、差し出されたから受け取ったものの、アルバートはナイフを使いたくなかった。
ベノムは、石の力を使わなければ倒せない。
ナシュヴィルは全身に力が巡っているから、肉弾戦に持ち込めばいい。ローシャは蛇を使う。金色の蛇も当然、石の力だ。
だから、彼らの攻撃はベノムを倒すことができる。
しかし、ナイフを使ってもベノムは死なない。
アルバートの石は、脚部にしか力が反映されていないからだ。腕力は何も変わらない。
反射的に蛇に拳を振るって、危うく腕から呑み込まれそうになったこともある。
仮にこのナイフを使うとしたら、本当に効果がある相手にだけだ。
「アル、いきてる?」
金色の蛇に半ば埋まりながら、ローシャがのんきに声をかけてくる。
この戦闘中、分隊の隊長が何度も隊員に言っていたから気に入ってしまったらしい。
蛇の動きに振り回されながら、ローシャは場違いな歓声を上げている。はっきり言って、怖かった。
見ているだけで気持ち悪くなりそうだが、ローシャは全く堪えていない。
「生きてるよ」
「しーちゃんも、ちゃんといきてる」
縦横無尽に飛び交う影を見やり、ローシャが笑った。
「ナシュヴィル、後ろ気を付けろ!」
どこからか、切羽詰まった声が響く。
ベノムの突進をかわしつつアルバートは視線を巡らせた。
自分の真後ろに迫っていた敵を、ナシュヴィルが振り向き様に薙ぎ払っていた。
ついでのように、すぐ横で襲われかけていた隊員の敵も切り捨てていく。
掠れた感謝の言葉が、怒号に混じって微かに聞こえた。
アルバートは、この隊に合流したときからあった疑念がさらに膨らむのを感じた。
そもそも、今回は田舎の村から救援依頼を受けて駆けつけたのだ。ルピナスというそこは、チランジアの程近くにある。
本来こういった場合、騎士団を持たない村や町は近隣の騎士団持ちに救助を求める。ただ、チランジアはそれだけの戦力を持っていなかった。
一度全滅した騎士団は、まだ補充されていないのだ。
崩壊した町は色々と整備が追いついていない。
そのため、一番近くにいた第三分隊に連絡が来た。
オリジン・オルゴールとこの村は、少なからず縁があるらしい。正確には、商隊側が世話になった。だから、助けを求められれば断れない。
「ナシュヴィル! こっち頼む!」
まただ。
ナシュヴィルの名前が、戦場で飛び交う。
今まで、そんなことはなかった。戦場どころか、日常生活であっても。
第三分隊セレナーデの人間は、皆ナシュヴィルのことを気遣っている。
常に視界の端にでも捉えているのか、彼が何か危なっかしいことをしようとすればすぐに声がかかるのだ。
例えば、微睡みながら歩いていて民家の壁にぶつかりそうになったとき。あるいは、食事を摂っていて食べ物を零してしまったとき。
それは一見、些細なことだ。
しかし、必ず声がかかる。嫌悪で発せられるものではなく、純粋に相手を案じている声が。
ベノムを蹴る。格好など関係ない。とにかく、足蹴にする。アルバートにはそれしかできない。
しかし、最近攻撃されかけている人間を抱えて離脱することを覚えた。やる度に腕が抜けそうになるのだが、それでも他人から感謝されるのは心地いい。
胸の内がふわふわと温かくなって、顔が少し熱くなる。
今も、そうだった。背後から忍び寄る敵に気付いていなかった青年を抱え、その場を飛び退いた。
攻撃を空振りしたベノムは、辻斬りの如く飛来したナシュヴィルに沈黙させられた。
「あ、ありがとう。後ろなんて、全然見てなかった」
顔を青ざめさせた彼は、恐怖も露わに赤い肉塊を見つめている。後少し遅ければ、食われていたかもしれない。
青年は、商隊の制服の上から一般的な鉄製の胸当てを身につけていた。それがやけに重そうで、細身の体格にはあまり合っていない。
胸当ては明らかに新品だ。傷も、まだ少ない。
「君、足速いんだな。やっぱり、胸当てとか籠手とかが重いのか……君、何も付けてないけど」
「一応、オルゴール、使ってるんで。それ、は、重そうです、ね」
アルバートが指さした胸当てを、青年は苦笑いしつつ見下ろした。
「そう。重くてしょうがないんだ、これ。ちゃんとトレーニングはしてるけど、筋肉なんて一気につくものでもないし。でも、付けてないと、いざというときに危ないかもしれないだろ?」
青年は、困ったように眉尻を下げた。
肩のベルトを摘んで、引っ張る。真新しい革製で、持ち上げた彼の手は明らかに震えていた。
いつの間にか、敵影は減っている。ぐるりと見回して、その数三。
物量に押され、ベノムは次々に息絶えていく。
少なくとも、二人くらいが油を売っていても咎められる雰囲気ではなかった。
「俺も、もう少し強かったらな」
ぽつりと、青年は呟く。
ほら、と右袖を捲り上げた。華奢な腕には、至る所に打撲の痕がある。
「たぶん、腹とかもっと不味いことになってるなあ」
そう言って、彼は自嘲気味に笑った。
アルバートは、その様子に何も言えない。
彼が胸当てなど防具を身につけていないのは、単純に重いと疲れるからだ。
普通に足を動かすだけでも、石を使えばとてつもなく消耗する。それを少しでも緩和するには、体重を軽くするしかない、らしい。
セシリアが出した案だから、下手な意見よりよっぽど参考になる。
そのため、アルバートは防具を付けない。
何となく、気まずかった。
いくらオルゴールを使っていると言い訳しても、防具を付けないのはさすがにおかしいかもしれない。
誰だって死にたくはない。そのために、ある程度の防御力を補っておくのは当たり前のことだ。
無意識のうちに、視線が下がっていく。
「あ、そういえばさ。君、名前は? 俺、カムリ」
「……アルバート、です」
「敬語、いらないよ。俺と同じくらいでしょ?」
カムリ、と名乗った青年は、ふにゃり、と間の抜けた笑みを浮かべる。
確かに、年の頃は同じくらいに見える。十代後半といったところだ。
黒い髪の毛は、ナシュヴィルとはまた違う印象を受ける。髪質が細いのだろうか。全体的にぺたんと潰れている。小動物のような、とでも言えばいいのか。
黄色っぽい色合いの目は、やたらにつぶらだ。
「じゃ、あ、敬語なし、で」
「うん。敬語なしで」
繰り返されて、思わず笑みが漏れた。
まともに話せる、同年代の人間。そんな存在に出会ったのは、いつぶりだろう。
中層にいた頃も、学校を卒業してから十八歳になるまでの一年、友人と接することもなかった。何故だろう。皆家自体は近かったはずなのに。
そういえば、たまに外出しても全く遭遇しなかった。
そもそも、連絡手段がなかったというのもあるのだが。
いつの間にか、ベノムの声は聞こえなくなっていた。代わりに、後片付けに勤しむ男たちの声が村外れの更地に響く。
その後も取り留めのない雑談に興じていた二人が、分隊の隊長に揃って殴られるのはもう少し後の話である。